. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第132講
■ 今日の「井戸掘り」

   「愛のくちづけをもってたがいにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。」             ペテロの手紙5:14 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「どうか、恵みの平安が、あなたがたのうえにますます豊かにされますように」という祈り・挨拶で始まったこの手紙が「キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように」という挨拶・祈りをもって締め括られています。

   現代は不安の時代と言われ、環境破壊や環境汚染の世界大の問題を初め、リストラ、就職難といった身近な課題もあって、私たち現代人になんともいえない不安感をもたらしています。初代のクリスチャンにとって、平安を願う祈り・挨拶が意味を持っていたように、私たちにもこの挨拶は心に留めるべき内容です。「平安がありますように。」

   ただ、この祈りは「キリストにあるあなたがたすべての者に」とあって、少々限定的といえるでしょう。人は、キリストにあるときのみ、キリストにある平安を味わい知ることができます。この「キリストにある平安」は、主イエスご自身が言われたように「この世が与える平安」とは異なります。それは「神の平安」であり、「御霊がもたらされる平安」であって、霊の神が共にあってくださるという事実のうちに見出される平安です。

   ペテロの第一の手紙からのこのデヴォーションのためのメッセージも、「平安がありますように」、「平安が豊かにされますように」と言う挨拶をもって、今回で締め括りましょう。

高知県・越知町の大樽の滝

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