. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第131講
■ 今日の「井戸掘り」■ 井戸を掘りましょう:
「愛のくちづけをもってたがいにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。」 ペテロの手紙5:14
それぞれの文化に、それぞれの挨拶の仕方があります。ある人種では、鼻をすり合わせるのが挨拶と聞きました。欧米では、握手をします。これは昔、敵意のないこと、また、手に剣などを隠し持っていないことを証しすることから始まった習慣と聞いています。中国、韓国、日本といった東洋の国々では、頭を下げてお辞儀をすることが挨拶となっています。
中近東の国々では、抱き合って頬をすり合わせる形の挨拶をよく目にします。さて、イスラエルでは「口づけ」すること、今様の表現では「キス」することが通常の挨拶の仕方のようです。ペテロはそれに「愛の、、」と言うことばを添えて、この世の人々の形だけの、単なる形式的な挨拶としてのみの口づけではなく、心からの「愛」を込めた口づけによって挨拶するように勧めているのです。
使徒パウロが、コリント人への手紙の中に言っているように「愛がなければ」何をしても空しいものです。挨拶の口づけも虚礼になってしまいます。「愛」はすべてのことを生かすいのちです。「愛は礼儀に反することをせず、、、」と、パウロは書きましたが、「愛」こそが、どのような形式で挨拶が交わされようとも、すべての挨拶に必要な要素です。
「愛」とは、相手を受け入れる心です。「愛」とは、相手を尊敬する心です。それらこそがすべての挨拶のなかに込められた意識でなくてはなりません。
