. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第130講
■ 今日の「井戸掘り」

   「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしく言っています。また私の子マルコもよろしく言っています。」             ペテロの手紙5:13A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「私の子マルコ」とあります。ペテロは結婚して家庭を持っていたようですが(コリント人への第一の手紙9:5)、このマルコは、ペテロの実の子ではありません。マルコはペテロの霊の子・奉仕の実です。また、マルコは、ペテロの傍にいつもいて、ペテロに仕えた若者だったようです。

   使徒パウロは、このマルコを彼の第一回宣教旅行に同伴しましたが、その旅路の困難さに、マルコは耐えかねて途中で一行を離れてしまいました。いわば、働きの放棄をしたのです(使徒の働き13:13)。それで、パウロは、マルコを働き人としては失格と考えましたが、そのマルコのために執り成し、その信仰の恢復のためにいろいろ心を用いたのがバルナバでした(使徒の働き15:38、39)。最終的にはパウロも、マルコが立ち直って、役に立つ存在となったことを認めています(テモテへの第二の手紙4:11)。

   マルコの福音書は、実にこのヨハネとの呼ばれるマルコの筆になるものでした。マルコは常にペテロに同行して、ペテロが語るときにはいつもペテロの傍にいました。マルコはその福音書に、ペテロの説教を再現していると言われています。それで、第二の福音書はマルコの福音書であると共に、内容的にはペテロの福音書といっても良いのです(新約聖書の経外典に「ペテロの福音書」と言うのがありますので、それと混同してはいけませんが、、、)。

   「私の子マルコ」―この簡潔な表現の中に、ペテロのマルコに対するこの上ない愛着の念を感じるのではないでしょうか。

高知県・越知町の大樽の滝

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