. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第129講
■ 今日の「井戸掘り」■ 井戸を掘りましょう:
「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしく言っています。また私の子マルコもよろしく言っています。」 ペテロの手紙5:13
この節の冒頭にある「バビロン」が、字義的なのか象徴的なのか、いろいろ論じられるところです。この世を悪の象徴であるバビロンとして表現しているという学説と、そうではなく文字通りのバビロンを指すとする説とがあります。私としては、バビロンは単純にある地名として用いられていると理解しています。
あなたがたと共に選ばれた婦人―1章の2節に、その選びの目的が記されていることを想い起こしましょう。「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように選ばれた人々」とあるのがそうです。選びの目的は、前にも見たように二重です。一つには「イエス・キリストに従うように」とのことであり、二つめには「その血の注ぎかけを受けるように」と言うことです。
2重の目的とは言っても「その血の注ぎかけをくけるように」は、その前に記されている「イエス・キリストに従うように」と言う目的を達成するための手段と理解できます。最終的に意図されていることは「イエス・キリストに従うように」と言うことではないでしょうか。
欄外註をみますと「婦人」の代わりに「教会」となっている写本もあるようです。「婦人」であれば、個人が言及されているのでしょうし、「教会」であれば、複数のクリスチャンからの挨拶と言うことになります。
