. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第128講
■ 今日の「井戸掘り」

   「私の認めている忠実な兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。」             ペテロの手紙5:12A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「この恵みの中にしっかり立っていなさい。」―この偽りでない、真の恵みの中に、、、です。書簡の中の勧めのことばには「立っていなさい」と言う勧めが比較的多く見受けられます。最も良く知られているものの一つが、エペソ人への手紙6章14節の「では、しっかり立ちなさい」という使徒パウロのことばでしょうか。

   その他にも、ガラテヤ人への手紙5:1にも「しっかり立って、、、」とありますし、コリント人への第一の手紙16:13には「堅く信仰に立ちなさい」とあります。「立つ」と言うのは、クリスチャンにとって基本的な姿勢です。それは闘う姿勢を示唆しています。少し前にペテロは「堅く信仰に立って、、、」と書きましたが、その文脈は、サタンの働きが述べられている文脈です。パウロの「しっかり立ちなさい」という勧めのことばも、「主権、力、この世の暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」と書かれている文脈のなかで述べられています。

   クリスチャンは、主イエスと同じように、柔和でなければなりませんが、柔和であると言うことは、なよなよして、弱々しい態度ではありません。それは信仰にしっかり立って、戦いを挑む態度と矛盾しないのです。主イエスは「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬を向けなさい」と教えなさいました。人に対しては、確かにそのような一面もなければなりません。しかし、悪の勢力に対しては、堅く信仰に立って、断固として戦いを挑むことが必要です。消極的な姿勢では、勝利はおぼつきません。

高知県・越知町の大樽の滝

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