. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第24講
■ 今日の「井戸掘り」

   「彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。」              ペテロの手紙1:11 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ここに語られている旧約聖書の理解は、何と素晴らしいことでしょうか。旧約の時代に、預言者たちに霊感を与えた聖霊は「キリストの霊」に他ならないことを、ここにペテロは語っています。そして、預言者たちが、聖霊によって書き綴ったことどもは「キリストの苦難とそれに続く栄光」だったと書いています。すなわち、旧約聖書のテーマは「キリストの苦難と栄光」にあると言うのです。聖書は正に、「キリスト」について語っている書なのです。

   「キリスト」とは、ギリシャ語の「クリストス」から来ており、それはヘブル語の「メシヤ(英語読みは『メサイヤ』)」と同様、「膏注がれた者」を意味します。旧約時代、次の三つの職に就任した人々が、膏注ぎを受けました。すなわち、「王・祭司・預言者」たちです。それで、キリストはこの三つの職を兼ね備えて神に仕える方と理解されます。

   先ず「王」です。クリスマスの折、東からの賢者たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、、、」といって、エルサレムに尋ねてきましたが、キリストは、ユダヤ人の王であるだけではなく、全世界・全人類の王として立てられているお方です。それですから、やがてのとき、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかかめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白」する時がきます。

   第二には「祭司」です。人に代わって神に近づく役目を担っています。人のために執り成し、人のために願いごとを捧げるのです。そして、第三は「預言者」で、祭司とは逆に、神に代わって、神からの霊感を受けて、そのみこころを人に伝える役目を負っています。「預言」はしばしば「予言」と混同されていますが、「預言」は、字が示すように、神のことばを「預かって」語ることであり、「予言」は後のことを「予め」語ることです。「預言」は、神のことばを語ることですから当然「予言」的な内容を含んでいます。しかし、預言者の中心的な役割は「預言すること」、神のことばを語り伝えることにありました。

   そして、その神のことばが伝えるメッセージとは、「キリストの苦難と栄光」とに関わることだったと、ペテロは書いているのです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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