. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第35講
■ 今日の「井戸掘り」

   「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。」              ペテロの手紙1:22 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「あなたがたは、真理に従うことによって」―このように書いたとき、ペテロの心にあった「真理」とは、キリストの復活にかかわる真理に相違ありません。否、「従うことによって」と言う表現は、更に「真理」によって、復活されたキリストご自身を意味していたのではないでしょうか。キリストはかって、ペテロの聞いている前で「わたしは、よみがえりです。いのちです」(ヨハネ11:25)、また、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)と語られました。ペテロは、キリストのそのことばを覚えていたに相違ありません。

   彼らは、キリスト、すなわち「真理に従うことによって」、「たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのです。」人格の深奥が、愛に反するものから潔られるとき、愛が、エロスの愛ではない、アガペーの愛が始まります。それは、最終的には、自分を憎み、敵対する人々への愛にまで拡大してゆくものですが、その初めは兄弟愛において証されます。身近な者を真実に愛することがなくては、敵を愛することなど到底できません。

   「偽りのない兄弟愛」、見せ掛けではない兄弟愛です。愛は、実践されなければ意味がありません。兄弟愛を心に抱いているだけでは不十分です。それは日常生活の中で実践されなければならないのです。ですから、ペテロは「互いに心から熱く愛し合いなさい」と付け加えます。初代のクリスチャンは、愛の実践によって、真理であるキリストに従う者たちであることが証しされました。各地に「散って寄留している」人々には、その日常生活に多くの困難が伴ったに相違ありません。しかし、彼らはその苦境を、兄弟愛の実践によって乗り切ったのです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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