. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第50講
■ 今日の「井戸掘り」

   「それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。」                   ペテロの第二の手紙3:2 

■ 井戸を掘りましょう:

   この節で注目すべきことは「聖なる預言者たちによって、、、語られたみことば」と「使徒たちが語った主、、、の命令」とが同列に置かれていることです。すなわち、ペテロの意識の中では、旧約聖書と新約聖書とに、その神的な権威に関して何も差異を認めていなかったと言う事実です。

   第二に注目すべきことは「主であり救い主である方」と書かれているときの語順です。私たちの理解では、しばしば、キリストは先ず「救い主」、そして「主」と言う順序でこのお方を理解します。しかし、ペテロは、イエス・キリストは先ず「主」であられ、それゆえ「救い主」であられると言っているのです。イエス・キリストが「主」であると言うのは、キリストが「救い主」であると言うことに先立つ事実なのです。キリストは、「主」であられるからこそ、「救い主」であり得たのです。

   1章の12節以下にも「思い起こさせようとする」と言う句が、頻繁に使用されていました。ペテロは、再び、彼の使命はそのことにあるとのことを強調します。福音の説教者は、講壇から常に目新しいことを語る必要はありません。過去に語った大切な真理を再び取り上げて、それを思い起こさせると言う使命も大切なのです。そうしませんと、人々は一旦耳にしたことでも忘れ去ってしまいます。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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