中国で使われる熟語の70%は日本製  
 
  平成21年1月       中国人学者「王彬彬のため息」

 1日 国字(こくじ)
(
和製漢字) 

私は、平成1852日付の日本海新聞に寄稿したことがある。題して「国字(和製漢字)」である。反響は強く、台湾人、また高名な桜井よし子先生からもあった。再度掲載してみよう。

日本に漢字が入ったのは四世紀末の応神天皇期、百済の
()()(せん)()(もん)をもたらした。

日本は縄文時代から「やまと言葉」だけで文字は無く漢字を利用した。万葉集は漢字の「(おん)」を活用したが、「(くん)」を考案。
現在使用中の漢字が凡て中国からのものだと思う人があれば大間違い。古代から日本人が発明した和製文字は「国字」と言われ膨大なものが累積され国字辞典もある。

 2日

漢字は中国文化の産物だが明治以降、中国に無い素晴らしい「術語国字」を発明し、それらは日本から輸出されて現代中国・韓国の近代化に大いに役立った。明治時代、日本はアジアでいち早く西洋文明を積極的に導入し咀嚼したからである。その過程で、明治20年迄に西洋文物を多岐に亘り国字に翻訳し一説では20万語と言われる。

中華人民共和国の中華以外の人民も共和国も日本製である。日本領海を侵犯した中国船「科学1号」の科学も国字。今日の中国は日常用語から政治、制度、経済、法律、自然科学、医学、教育、文化用語に至るまで日本語からの輸入文字で満ち溢れ近代生活は日本語の上に成り立ち営まれていると言う。
 3日 国字の一部

数え上げると際限無いが膨大な西洋文物を明治人は実に適切な国字に翻訳しており祖先の見識と教養の高さに感動する。科学文明に関する西洋文物をすべて国字に翻訳して西洋文明を学んだのはアジアでは日本だけである。その国字の一部を引用して見よう、日本ではそれまで無かった概念の哲学、社会、社会主義、経済、科学などを始めとして、国家、思想、国際、学校、学生、伝統、侵略、意識、現実、進化、理想、常識、改革、

解放、闘争、運動、進歩、民主、同志、理学、物質、元素、分子、引力、電気、主観、客観、定義、命題、前提、演繹、帰納、郵便、銀行、概念、階級、社会科学、支配、批評、観念、唯物論、唯心論、印象、文明、交通、鉛筆、演説、会話、計画、原則、危機、情報、環境、化学、信用、王道、道場、等々である。

 4日 明治人の凄い造語力

明治人の凄い造語力、現代人のように安易に、熟考もないまま英語を使用していない。昨年9月末日、日経新聞一面の論説副主幹の文中にイッシュー(争点)と書いているのを発見して私は思わず吹き出した。初めから争点でいいのだ。これは他紙の論述にも多見される。

21世紀の今なお英語の使用を知的とでも思うのか噴飯物である。どうして素晴らしい日本語に自信がもてないのか家庭内暴力でよいのにドメスチックバイオレンス、政党もバカみたいにマニュフェスト、政見公約で良い。
 5日 和魂も見識も喪失した現代指導者・マスメディア

憐れむべきものを引用して見る、影響評価をアセスメント、内部関係者をインサイダー、納得診療をインフォームドコンセント、外部委託をアウトソーシング、提携をアライアンス等無数にある。現代政治家、財界人、知識人、メディアが「和魂」も見識も喪失した将に亡国現象、今なお米国の占領下のようで、国語を失ったフィリピンのようにならない事を切望する。立派な祖先を持ちながら戦後日本人はどうかしており、自国の主体性・独自性を放棄している。

明治人は常に「和魂」という背骨を持っていた。一つの国で、漢字・カタカナ・平仮名が自由自在に国民全員が書けて話せる優秀な民族は世界のどこにも無い。国語の身につかぬ幼少から英語を学ぶなど祖国喪失につながり真の国際人が育たない。祖国の歴史伝統と国語に自信を持ち日本文化を貫いたから二千年の発展があったことを忘れてはならぬ。
 6日 国字について 古代、漢字が中国から日本に伝わったのは事実。だが、明治以降は、日本人が作った国字が中国や韓国に大量に輸出され現在に到っている。それは、西欧近代文明を最初に日本人が咀嚼し、極めて適確な概念による

国字を生み出したからである。中国や韓国は漢字文明であり、日本製「国字術語」により簡便に欧米近代文化を理解、咀嚼し身につけることができたのである。
 7日 実例を挙げてみる

再び、重複するが、実例を挙げてみる歴史・民族・国家・宗教・信用・自然・目的・宗旨・代表・代価・国際・排外・基準・場合・伝統・継承・基地・元素・要素・学校・学生・警察・写真・法人・保険・常識・強制・経済・同化・出版・支配・公敵・哲学・理想・

作用・新聞・図書館・記者・社会・主義・野蛮・発起・革命・思想・運動・計画・金融・交通・現実・会話・反対・原則・人道・演説・文明・広場・人民・意識・工業・論文・進歩・義務・(中略)。
 8日 化・的・性など

明治の先達には深甚なる敬意を捧げたい、「化」という字をつけた、形や性格、変更を表す言葉、「民主化」「革命化」「現代化」を開発している。これさえ現代中国は利用している。

同様に、「性」「式」「率」「型」「観」「力」「界」がついた単語も、すべて元は日本語であり、「形式的」「科学的」「民族的」という「的」も日本から中国に輸出している。
 9日 中国人学者王彬彬のため息 20021014日、インターネット「世紀中国」に寄せた論文の中で、中国人学者王彬彬は、次のように述べている。
現代中国語の中における日本語は、数量としても驚異的ですらある。統計によれば、わたしたちが今日使用している社会、人文、科学諸領域の名詞、術語の70%は日本から輸入したものだ。これらは日本人による西洋言語の翻訳を経て中国に伝来し、
中国語の中に牢固たる根をおろしたのである。わたしたちが毎日立派な議論をたたかわすのも、瞑想にふけったり思考したりするのも、東西世界を語るときに使用する概念は、ほとんど日本人がつくってくれたものである...。ここまで思いいたると、実に鳥肌が立つぐらいである。」と慨嘆し認めている。
10日 西周(にしあまね) 西周(にしあまね)という津和野出身の明治の貴族院議員がいた。聞く処や調べた処によると、これら日本製「国字」は、西周(にしあまね)によるものが多いのである。 西周(にしあまね)明治文化の功労者の一人であり、「哲学」という国字の開発者であると共に、我国哲学界の先駆者として知られている。
11日 明治の先覚者 元より漢字自体は中国文化の産物である。だが日本に移入された後は、中国でも見られなかった独自の発展を遂げ、数十万にのぼる「和製漢字、即ち国字」を創り上げた。 更に、明治となり欧米文物を取り入れる際、「術語国字」の素晴らしいものを創意工夫し独自の発展を遂げたのである。中国・韓国は日本文化の実質的影響下にあると言えるのである。 
12日 やまと言葉 やまと言葉は、漢字表記が出来るようになって、一挙に語彙(ごい)を急増させた。例えば、「て」は手という漢字と置換することで、「手段」、「手法」、「挙手」、「手配」、「選手」、「歌手」といった熟語を幾らでも生み出した。 同様に「みち」は「道」にして「書道」、「華道」、「武道」、「王道」、「人道」、「道場」といった意味深い簡潔な言語を派生的に創造させている。その言葉から新しい思想や概念を更に発展創造してきたのである。中国には無い。
13日 日本人先祖の智慧 やまと言葉を漢字に翻訳した日本人の先祖の智慧と手際よさは驚嘆すべきものがある。 例えば、「えび」を「海老」、「あま」を「海女」、「かげろう」を「陽炎」、「のろし」を「狼煙」、「おろち」を「大蛇」、「こたつ」を「火燵」、の如く、文字を見るだけでその概念が一段と明確に浮び上がってくるではないか!
14日 新しい文明の創造 このような智慧とか手腕は、明治以降、西欧語の日本語訳に於いて見事に発揮されている。
戦後の英語のカタカナ氾濫など幼稚極まりない

日本人が劣化した証左である。
日本の近代化の成功は、西周等の先覚者による国字術語のおかげなのである。やまと言葉も欧米語も、国字いう日本製漢字に訳されて、新しい概念と意味も加わり、新しい日本文明もクリエートされたと言えるのだ。
15日 聡明な幕末前後の日本人

土着の日本文明と異質なヨーロッパ文明を受け入れるに当り、窓口となる言語を決めるという意識は、江戸末期、オランダ医学の習得時代からのものだ。

西洋医学の基礎になる学問を「理学」と呼ぶ習慣が生れた。そして「物質」、「元素」、「分子」、「引力」、「電気」などの国字が次々と工夫の上生み出されたのである。聡明な日本人と言わざるを得ない。
16日 百学(ひゃくがく)連環(れんかん)

日本で最初にヨーロッパの諸科学体系を紹介したのは、西周の「百学(ひゃくがく)連環(れんかん)」、明治四年著作である。西は諸学問を「心理上の学」と「物理上の学」と二分類した。

そして、「哲学」、「天文学」などの呼称を固定させた。西周は「主観」、「客観」、「定義」、「命題」、「前提」、「演繹」、「帰納」などの国字を工夫した。故にその後の日本の学問が大きく素早く進歩成長を遂げたのである。
17日 (まえ)(じま)(ひそか)

前島密は、1866年(慶応2年)に「漢字御廃止之議」という建議書を将軍徳川慶喜に提出した。これは、国民の間に学問を広めるためには、難しい漢字の使用をやめるべきだという趣旨のもので、わが国の国語国字問題について言文一致を提言した歴史的な文献である。

彼は青年時代、江戸から帰省したとき、みやげの絵草紙と三字経を甥に教えてみて、漢字教育の難しさを痛感し、漢字廃止を思い立った。その後も、国語調査委員としてこの問題に取り組んだ。
18日 郵政の父 明治4年、東京大阪間で官営の郵便事業を開始したが、前島密の発議によるものである。 その前島の創意による国字がある、「郵便」、「郵便切手」である。
19日 政府が熱心指針

新概念の国字

当時、政府も「新語」の工夫に熱心であり、大蔵省は「銀行」という語を定着させた。明治5年には、福沢諭吉は「学問のすすめ」で「科学」という語を誕生させている、官民挙げて新国字の創造を試みたのである。

政府の熱心であり、やがて「概念」、「思想」、「観念」、「唯物論」、「唯心論」、「社会」、「印象」など、それまで日本人が知らなかった抽象概念を沢山生み、国民の思考技術は飛躍的に進歩するのである。 
20日 中国が輸入した日本製国字 エコノミーを「経済」、ソーシャリズムを「社会主義」などの国字を創出したが、中国はこれを輸入して現在でも中国の常用語になっている「名訳」なのである。 中国が日本から輸入した国字は無数だが「文明」、「交通」、「哲学」、「手続」、「引揚」、「鉛筆」、「演説」、「会話」、「計画」、「原則」、「侵略」、「信用」などで中国近代化に大きく貢献しているのである。
21日 先祖の知恵を知れ

日本の柔軟な適応力
明治人は、翻訳できない外国語には、「新文字」を発明している。現代日本人とは凡そ違う。例えば、センチメートル、これを「糎」、キロメートルを「(きろめーとる)」、ミリグラムは「(みりぐらむ)」、トンを「(とん)」と対応するなどである。凄いではないか。 アメリカ合衆国を「米国」、ユナイテッド・キングダムを「英国」と定めたのも明治の智慧である。どうしても翻訳できない時は、エネルギーやテレビ、ラジオ、アイスクリーム、エレベーターの如く、そのままカタカナで示した。人名もエジソン、レーガン、仮名(かな)の持つ特性を活用している。
22日 中国の適応力? 中国にはカタカナも平仮名もなく漢字だけである。中国では、テレビは「電影」、アイスクリームは「氷菓」、チョコレートは「巧克力」、エレベーターは「天梯」、自動車は「汽車」、汽車は「火車」、バスは「巴士」、タクシーは「的士」などしか翻訳しようがないのだ。 人名に対してもカタカナがない中国では同様である。
ケネディは「肯尼迪」、マルクスに到っては「馬克思」というようにその音を漢字で表すのでとても難しくなる。万葉集を漢字で記録したようなものだ。カタカナと平仮名の効用は大きい。
 
23日 日本語の自由さ 日本語は自由である。カタカナを上手に使えば、ナイター、ホームドラマなど和製英語を次々と産むことが出来る。 日本人の「縮み志向」の産物である、カラオケ、マスコミ、ワープロ、ハイテクなどなどの新語は見事極まりない「和製英語」である。これは戦後の見事な簡潔な表現である。
24日 「危」と「機」とクライシス 英語のクライシス、これを「危」と「機」の合体「危機」と訳してお陰で日本では、危険な事態に遭遇した時は必ず「機」即ちチャンスであると対応できたのだ。  幕末の黒船の国難を「機」に近代化のチャンスとした対応した。戦後でもニクソンのドルショックを機会と捉え成長のテコとした。
25日 インフォーメーション 日本語では「情報」である。中々、とても含蓄のある翻訳である。情報社会とは、「情」と「報」のバランスで成り立つ社会のことだ。「報」とは報道、通報、報告のような電気機器の発達によりもたらされたハードである。 「情」とは、情緒、人情、情交というような人間的な分野の交流を指し、以心伝心、言わず語らずのような暖かい人間同士のソフトの結びつきを指す。「情」と「報」、ソフトとハードが統合された時こそ真の情報社会となるのである。
26日 二字の「術語国字」

学習院大学の大野晋教授の指摘がある。「日本が、東南アジアや中近東の国々に比べて、どうしてこれほど早くヨーロッパ文明を受け入れることができたのか。それは明治時代に異質文化を日本が受け入れるに至った時、ヨーロッパ言語を一度濾過する和製国字という媒体があったからだ。

いきなり言語をそのまま使うことは、音節構造の関係から長すぎる結果となり、使い切れない。また大和言葉だけで訳そうとすれば、一語が長すぎて無理だった。それを和製国字二字を一語として日本語の中に組み込めたからだ」と。
27日 術語国字

確かに総て二字に訳されたため、英語のままを使用するより概念規程が一段と明白に把握できる。エンバイロンメントより「環境」、インフォーメーションより「情報」ケミカルより「化学」の方が分かり易い。こうして一度入ったヨーロッパのこれらの新しい概念は、他の多くの単語と

自由自在に結びついて更に多くの新語を派生し、より深く広い概念や事柄を創造し得たである。それは言語の一人歩きであり、「洋才」に「和魂」と「和技」が加わり日本独自の微妙にして繊細な文明を産むのである。
28日 寺子屋 日本語は高度で且つ難解な言語であり学習しなければ覚えられなかった。江戸時代に寺子屋が栄え、その数三万と言われる。 民百姓でも、みな読み書き算盤の教養を身につけていた。当時、既に識字率は世界一となっていたのである。
29日 明治先覚者の英知

明治の先覚者の外国語輸入に格別な努力と技法があった。これは本当に感謝しなければいけない。

公園、野球、哲学、経済などの新漢字=新国字、公園、野球、哲学、経済などの国字で日本語のままで西洋文明を学べ得た。
30日 日本のアイデンティティを保守

明治のこの尊敬すべき先覚者たちは、現代の日本人のように、外来語の発音をそのままバンク(銀行)、メイル(郵便)、エレキ(電気)、JRなどと軽薄な舶来趣味を取らなかった。どこまでも日本語でアイデンティティを主張したのである。

これが「見識」というもので、現代指導者に欠けているが明治人は胆識に近いものを存分に保有していた。常に「和魂」という背骨で裏打ちしていた。母国の文化や母国語に自信を持ち貫いたから日本が東アジアでダントツの近代化が進んだのである。
31日

他のアジア諸国

インドや東南アジアの植民地族は、母国語を捨てさせられ、宗主国の言語を秀でたものとして競って学び公用語にもした。 彼等は、国際会議などで欧米語をペラペラと話して得意になっているが、みな一様に貧しいままであった。自国の文化を捨てていることに気づかない愚かさがある。