徳永圀典の「住友銀行」とは


私は住友銀行と共に生きて円満勇退後も、私の趣味は住友銀行と云って憚らなかった人間である。
私の職業は銀行員のみである。 

然し住友銀行という職場に人生の大半を過すことが出来た事は、最高に素晴らしかったと思っている。 

処遇に満足したと言うのではない。小事を捨て大局的に見ればである。 

では、住友銀行とはどんな職場か。 

@ 仕事は厳しいが業務の合理性追及に於いて知性の通用する職場であったこと。 

A 進取の気性に富み、合理性追求の一方で顧客にも職員に対しても人情の機微を決して疎かにしない企業であった事。 

B職員を大切にする大家族的風土があった事。 

B 問題あらば、実態を直視し、知性と意思を以て断固としてやり遂げる能力を組織として保有している銀行。 

であろうか。 

住友銀行というのは、言い訳を一切しない正々堂々とした男性的気概に長けた銀行であると。

安宅産業でもイトマンでも融資量では決してメインバンクではない。他行の融資をあそこまで肩代わりしなくてドライに自分の銀行の融資のみ負担しておれば、あれ程の傷は受けなくてすんだと思う。 

住友銀行は国家の視点を持つ気骨溢れる銀行である。 

さて、私は当初から外国業務に携わり後に取引先業務を研鑽して支店長となったが、二十代の頃の外国関連の上司から次のような訓育を受けた。

支店長時代に片時も忘れずに応用してそれ故に不良債権を作らなかったと信じている。 

それは何か。 

融資等の与信業務に際しての三原則、

@先ずメリットの明快なる見極め。 

Aデメリットの厳正なる把握。 

B最後の決断の判断尺度は「住友という信用の(ふるい)」にかける事である。 

住友銀行入行時から(こん)(しゅ゜)と命名した読書録を使用しており、この事を記載している。その他実に多々、個人的実践的指導を受けたものだ。 

住友銀行中興の祖である堀田庄三氏が頭取になった時の、あの素晴らしい宣言も私の信条となっていた。

これは歴史の風雪に耐え得る価値ある真言であろう。 

(前略)、発展の基礎は信用にあり、信用の基礎は堅実なる経営にある。故に発展の要諦(ようてい)は堅実なる経営にある。而もそれは公正妥当なる運営に生まる。業務の処理は人情の機微を掴む要あるも情実になじまず因縁に(とら)われず合理性に立脚すると共に、積極果敢に業務に励み各自は品性の陶冶(とうや)に努め清潔なるマナーを以て気品高き行風(こうふう)を築く事。(攻略) 

私はこれを(けん)(けん)服膺(ふくよう)してきたと言っても過言ではない。

住友銀行はこのような銀行であった。かかる住友銀行に勤務できた人生の幸せを痛感している。 

バブル期、住友銀行百年の歴史に初めて起きたあの忌まわしい事柄は、この精神の忘却以外の何物でもない。 

ここに、歴史を常に学ぶという精神が人間にも企業にも如何に大切かがわかろうというものだ。 

然し、住友銀行のかかる合理性追求の精神風土はビッグバンの時代にふさわしい。

21世紀には、再び日本を代表するトップパンクになるであろうと確信している。