畏友、大杉耕一氏から素晴らしい論説を寄稿して頂いたので、ここにご披露する。これは政官財のトップ達に読んで貰いたい。徳永圀典
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徳永さん 

いつも最新の金融情報などありがとうございます。
それにしても各銀行の不良債権はどうしてこんなに多いのでしょうか。過去の幹部役員には、多額の国費投入の経営責任を感じ、若干なりとも退職金の一部戻入などして国費返還に充当して頂くと、行員や世間へある程度示しがつくのではないでしょうか。世間の銀行への風当たりは厳しいですから。
個人的には知己の方々もいらっしゃいますが、あえて公的な立場を考えると「ノーブレス・オブリージ」(高い地位に立つ者の負う重い責務)を、天下に示してほしいとの銀行員OBとしての願望ですこのままでは古武士は死語となったかと慨嘆しています。 
今日5月31日は朝から雨で、庭の剪定もできないので久々にのんびりインターネットをしております。
 
徳永さん同様に、私の憂国の情もますます深くなっております。
今朝も「亡国の地鳴りが聞こえる」(平成14年2月)を熟読しました。 

1 公私の姿勢がまず基本
 
戦後60年の成功と失敗の要因分析と今後の対策をまとめるだけでも大論文になります。徳永さんの憂国論は、次々と問題を取り上げられ分析され、素晴らしい読み物です。
 
これらを俎上に載せるには、まず自らの姿勢が他人の誹謗中傷を浴びぬ凛たるものでなければなりませんが、その点で徳永さんは公私の生活で見事です。
 
「凛然」もはや古語となりカタカナと造語はびこる

憂き世を眺む
戦後多くの学者や経営者や為政者やジャーナリストが、今ひとつ冴えないのは、この倫理とか道徳という徳目に、なんらかの欠陥があるからかなと感じています。
 
国民の精神的風土は家庭と学校と社会で醸成されるのでしょうが今、そのいずれもが病んでいるように見えます。
安東氏が慨嘆しているように、テレヴィの常連が「万引きしていた」などと公言し、司会者がへつらうようでは、困ったものです。
 
また、「偽造品がなぜコピー」の例のように、「税金投入」というべきところ「公的資金導入」というのも、「公的」という語感や「導入」を悪用した表現の弊害例です。
学者やジャーナリズムの堕落です。このところ「必ずしもウソではないが真実ではない」「妙に気配りしたごまかしの表現」や「論理のすり替え」が気になります。正確でしょうか。
 
直截な表現では、誰かに傷がつくのかもしれませんが、真実を報道したり表現すべき方々が、妙に政治的気配りして国民をだましているような雰囲気があります。
話がそれましたが、公私の姿勢がきちんとしていれば、徳永さん流にジャーナリズムは「まともに」表現すればよいと思います。
 
2 各層に真のリーダー不在の危惧 
30年前在英時代に感じた危惧の一部を、「ロンドン憶良見聞録」に「百年の大計」とか「ノーブレス・オブリージ」(やっと開いた落下傘)あるいは「二つの教科書」など書き、ささやかな警鐘を鳴らしましたが、今、更に深く危惧を感じています。
 
『黄昏』とか『斜陽』とかいわれた英国が、いろいろ批判を受けながらも国家としての体裁をなし、米国の独走を牽制し、EUにも是々非々を通しているのを見ますと、最終的にはサッチャーやブレア首相など為政者やそれをささえる各方面のリーダーの見識にあるのかなと思っています。 
私は、突き詰めれば戦後60年は、優れたリーダーッシップある者の養成に失敗した歴史とみています。秋田県副知事も、また彼を慰留した知事も『ノーブレス・オブリージ」の欠如した事例です。(秋田杉を売り物に見事失敗した住宅公社も当然の風土でしょう)これが秋田だけでなく、徳永さんが歩かれた小さな田舎町の役場建築まで、多くの行政は腐っています。
地方分権は理想的ですが、立派な為政者と、愚物の為政者の差がありすぎて、心配な面もありますね。利権と結びついた公共投資の過大支出になりそうです。
 
3 真のリーダー育成を阻んだ「平均化教育」の弊害 
円周率3.14を3にして計算するとか、梯形の面積の出し方を削除など「やさしさ」に媚びる教育改革には驚きです。30年前「ひとつのクラスで算数に二種類の教科書が使われ、個人別に進度が違っていることに驚嘆しました。個性の差を子供の時から容認しあい、それぞれの特徴を伸ばす教育と、均質化に拘泥した日本の教育の差です。均質化教育と個性化教育の併用をすべきでした。
 
コンピュータの分野でアメリカにソフトが多いのは、小学校から能力のある子は伸ばす教育システムだからと、慶応の先生が教育制度の差を指摘していました。もはやキャッチアップは難しいそうです。
アメリカはデモクラシーの国ですが、伸びる者は伸ばす制度があることも心しなければなりません。アングロサクソンは、リーダーシップの養成の上手な民族です。
英米史は現代もヴァイキングの歴史です。 
人間がグループで生活する以上、リーダーは必要です。とりわけ農耕民族の日本では、国民が従属型ですから、優れた「長」が出ないととんでもない方向にもついていきます。
一国の首相や地方の長は「夢の球宴」のように人気投票で決めればいいという種類ではないはずですが、、どうも戦後教育のツケを今払っているのでしょう。ビジネスに熱心過ぎ、子女教育を夫人に任せた我々や、そのようなアメリカ型企業利益優先社会にしてしまった財界の責任もあります。(平均化を望んだのも財界ですから)
 
4 欠けている国家百年の計 
日本の産業が海外へ出て行くのとは裏腹に、私が在英していた時代から英国政府は外国企業の誘致(特にウェールズやスコットランド北アイルランドなどの地域に)熱心でした。日本の著名企業も多数進出しています。EU市場へのアクセス、コモンウェルズの復活など着々と国家百年の大計は、(保守・労働の政権交替とは関係なく)進んでいます。労働党は今や市民党です。日本の社会党や社民党あるいは民主党の左派のように国際音痴ではありません。
今、自民党や公明党あるいは民主党に、国家百年の大計があるでしょうか。また肝心の国民にも子々孫々を憂える気があるのでしょうか。「子孫に美田を残さず」が妙に誤用されていないでしょうか。美田を残さないで多額の負債を子孫に残して、しゃあしゃあと景気回復を論じています。国民は、700兆という国や地方債負担を分かっているのでしょうか。 
500万円の年収で1000万円の生活、足りない部分は借金で繰り回し年々借金累計額が増えているのが日本の財政です。(東大財政学敗れたり!いや破れたり!というのが実情でしょう) りそな銀行に2兆円投入して、他の金融機関にはどうするのでしょうか。 
各分野で、かって貧乏だった戦後のように、あるいは幕末のように老若が忌憚ない書生論を論議して国家百年の大計を決める時期でしょう。憲法改正もそのひとつと思います。 長々と論じましたので、この辺で。 大杉