徒然の抄 その3
吉田兼好は、つれづれなるままに、と筆を起こし、種々の思索や随想や見聞を記した我が国随筆文学の白眉である。私はこのホームページで、色々な随想やら、経済、金融問題、政治等々を論じているが、この徒然の抄昨年1月から始めた思いつくままの私日記的なもので、他愛無い思いを断片的に、月初めに書き連ねたものである。とうとう三年目となった。平成17年1月元旦

明けましておめでとうございます。
月並みな言葉だが、こうして元気にご挨拶できるという事は、とても忝いことであります。
なにごとがおはしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる
という思いであり健康を噛みしております。どうか、今年もと願わずにはおられません。この、忝いという言葉の余韻が私は大変好きである。かたじけない、世界に稀な2000年、一貫した国家として連綿と続いたのは、我々の先祖の御蔭である、大和民族の弛まぬ研鑽と命懸けの貢献があった。幕末の動乱期にも、欧米諸国の植民地にもならず、対米戦争には負けたが、類稀な万世一系の天皇を頂けて、こうして平和であるとは、将に忝い。
処が、先祖が最も危惧した国際情勢が近未来の起き得る情勢となった。果たして、我々の世代以降が、確りやってくれて、日本国の名誉を高めてくれるのであろうか。甚だ心細い気がする。
考えて見れば、明治初期の人口は約3000万人、それから6千万となり1億となり、遂に1億2千万人の現在をピークに大きく減少して行く。人口増の成長経済が反転し、螺旋階段のように縮小するということは、想像以上の社会的重大問題を孕んでいる。高齢化社会も年々激化する、あと10年先を想像するとゾッとしてしまう。農地も山々も田舎の村々もゴーストタウンのようになるのであろうか。おめでたい正月から暗い話だが、これも一つの現実である。
そんな折、隣りの中国は、昇竜のようである。好むと好まざるを問わず、これからこの中国とどう向き合って行くのか、尊厳を失わない日本であれと心から祈らずにはおられない。明治の元勲が最も恐れた危機、朝鮮半島は再び、歴史が繰り返したように中国の属国化しようとしている。金正日政権は時間の問題であり、古代の高句麗のように中国の属国となる。さすれば、韓国は有無を言わず中国の属領的になる。それが嫌で古代の百済は日本に支援を求め、敗北した百済王族を日本は暖かく迎え入れた。遠い未来には、そのように韓国もなり得るような気もする。当時は玄界灘があり、中国と900キロ離れて中国の政治動乱と無関係であったが、現代は距離が無くなっており、中国人が日本で好き勝手に犯罪を犯している。弱腰と見れば中国は更に居丈高になる、覇権共産主義国家である。
それに正しく対応するには、政治家やマスメディアは元より、官僚も財界人も国家あってのものという自覚を高めなくては対抗できない。真実の歴史を一人一人が学び、知的に、無法な彼らの論理に対抗して行かなくては負けてしまう。政財界人の多数に、戦後教育の欠陥が内臓されており、私の、日本の未来を思う気持は休まらない。平成17年1月1日 徳永圀典 

平成17年2月1日
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、とはよく言ったものだ。日に日に時は去って行く。大寒の最中であるが、日中の陽射しはずっと前から春の気がある。陽も長くなっていて午後5時半でも明るい、12月の冬至の頃は真っ暗であった。宇宙の原理は変化であり、何一つ、一日たりとて停滞していない。私の思うところは、大体最高に寒いのは1月末から2月の7日頃までのように思う。山の中にいても樹木の枝には確かな蕾が寒さに耐えて生きている。1月10日、友と、熊野の子ノ泊山に登山した。快晴であったが天候が急変し、ヤケ嵒という切り立った岩頭の稜線にいる時に吹雪に遭遇した。凍えるような手で岩とか木の枝を掴みながら登山する、或いは急傾斜を下山する。掴んだ木の枝には、雪が被っているが、蕾が確りと見えた、ああ春の準備をしているのだと、健気にそして気丈に思えてならなかった。我々も宇宙の一生命である、どこまでも、気力充実して前に進むのみだなと痛感した。


平成17年3月1日
西洋人は、この500年間、世界を切り取って彼等の原理で世界を支配し、今猶その力は衰えていない。然し、日本の敗戦をきっかけとして、被支配の国々は独立し現在も発展途上である。その中で日本国の一部であった韓国と台湾が先進国の仲間入りしているということを、どう評価するべきか。当事国以外の外国の識者や途上国は日本の政策の良かったことを認めている。それが分からない韓国は、なんと了見の小さい国民性があるのであろう。サンケイ新聞に連載された、韓国人の呉善花という女性は、若いのに、日本の戦前の良い統治を認めている。国際的視野の広い若い韓国人にこの事実を直視する人が増えたのは喜ばしい。このような韓国人が増えてきたが、現政権は実に歴史に反するような動きをしている。この半島人の感謝・報恩の欠けた橋梁性に嫌気がさす。竹島なんて文句なしに日本領土である。あれは敗戦直後、李承晩が強引に線引きしたに過ぎない。この点、島根県は立派である。竹島の領有は日本に所属すると県会で議決した。当然であるが、その当然を表明しない、声をあげない連中が日本には多すぎる。

平成17年4月1日
新しい年度の始まりである。私の孫も小学校の一年生となり、張り切って、新しい机の前で終日近く坐って感慨に耽っているやに見える。企業の新入生も、矢張り人生の一大イベントとして記憶されるであろう。
青雲のただよう季節である。既に老境に達している私でさえ、遠い過去のことだが、その感激の日を今猶、懐かしい思い出として脳裏によぎる。青雲のたなびくいい人生の季節である。
老境の私だが、入学ではないが、私には毎月、毎日、その青雲の気に包まれている。それは、山である。未知の山は常に憧れがあり、ロマンがある。どんな低山でも、新しい発見があり、探求があり、神秘がある。次ぎの登山の山を決める迄、或いは決まってからの登山研究、そして登山行程の検討と、夢が大きく膨らむのである。私は、こうして常に青雲の気の漂う中にいる。気分は常に青春である。
さあ、桜花爛漫の季節到来だ、野に山に、私も年齢の若い人に負けないで、命ある限り、青雲のたなびく山を友と共にさらに求めてゆきたいと思っている。

平成17年5月1日
先ず、韓国に関して、私の「韓国に油断は禁物」の潮流論説が当たってしまった。嬉しいようで国民の意識が不足していたのは悲しい、これで眼が覚めてくれないかなと思う。続いて中国、これは5月当初に日本海新聞に掲載されるが「私見・中国経済」である。問題の本質を指摘していると思う。この隣国の不道義と、どうつきあて行くかが日本の未来を決定する。某大学の名誉教授が私の本を購入されていた。そして私塾の私版本に寄稿を依頼された。竹島問題であるが、韓国は大統領と新聞がバカだから、どうしようもない。日本が普通の国になろうとしているのが困る中国・韓国であり、今の間に叩いておこうということであろう。中国などオリンピックボイコットしたらいい、韓国などもっと戦後の事実関係の公表したらいい。そして、政府はアメリカと話をつけて、東京裁判否定宣言を国連でしたらいいのだ。その時期が到来している。世界に向かいその認識の訂正を求めるべきである。

平成17年6月1日
5月19日に桜井よし子氏が来鳥されて、講演会を聞きに行く。開幕前から大入りの聴衆にその人気の高さが分かる。東洋大学の黄教授に隙を見せないのみか史実に基づき理路整然と反論されて顔色なさしめた桜井氏。優しい穏やかな口調で終始笑みを欠かさないあの柔和な語り口に私は圧倒された。この桜井氏と比較すると、本日の本ホームページで取り上げているようにテレビ・キャスターとかジャーナリズム・政治家など、馬鹿馬鹿しいくらいに思える低劣さである。説得力の全く無い彼ら桜井氏の爪の垢でも貰いに行くがいいと思う。先般、久しぶりに小泉総理に質問する管直人を見たが、知性も教養も奥ゆかしさも、説得力も無く、嫌味を与えるだけであった。管もいい年となってあのざまでは、日本の政治家とはなんとお粗末だと思う。それにしても桜井よし子氏には頭が下がる。誇りある日本にしましょうと、山田方谷の故事で締めくくられた。余韻がまだ私には残っていて芳香を漂わせている。

平成17年7月1日
この宇宙は大なる創造、変化である。いはゆる造化、絶えず何ものかを生み、そして千変万化してゆくのが宇宙本然の姿。従って我々の精神も生命もこの宇宙の本体に即して、絶えず何かを生み、絶えず何らか変化してゆかねばならないのであろう。これが我々の生命・精神の本能、我々は生きる限り活発に、常に創造的、常に微妙な変化が必要、固定したり進歩が止まっては何にもならならないのであろう。それがこの大宇宙の原理に相応しい生き方なのであろう。今年も早や、半分が終わった。変化は人を俟たない。

平成17年8月1日
旱魃で雨の心配も、集中豪雨で、土砂降りの大雨で死者が出たり洪水の心配をする程の梅雨となり水不足も一挙に解決。あっけない日本だ、有難いようで、かなわんなあという思いもする。
梅雨が、明ければ、猛烈な猛暑の日々である。我々の子供時代、いや、ここ10年前までは、こんな気象ではなかった。しとしとと、じめじめとした梅雨であった。最近は、梅雨の情緒も四季もない、スコールのような大雨と土砂降り!これは確かに日本でなくなつた。世界の温暖化によるものであろう。
世間では毎日のように殺人やら収賄やら、外国では、テロやら起きる。実に、実に嫌な時代と社会である。これは人間も社会も国家も悪くなったからであろうか。成熟した国家や社会がこのようにものになるとは、中国とか韓国とかも何れ追随してくることとなる。人間の成熟というのは、実に理性とか道徳とか知性を麻痺させる。と言う事は、社会・国家は益々未来に向けて絶望的なことを示してくることになる。人間の道徳的頽廃は人類社会を破滅に導引する要素がある。

平成17年9月1日
8月は、遂に小泉総理が衆議院の解散をした。一挙に支持率が急上昇して57パーセントという。郵政改革に、断固として立ち向かい、殺されてもかまわないといった。これぞ待ち遠しい言葉であった。これが政治家の政治家たる所以であり、案の定、国民は大喝采である。この観点で亀井静香など見ていると、コップの中の甘えの構造、ムラのオッさんに過ぎない。民主党などは、対案も未提出で政権交代とホザク、ごちゃ混ぜ政党で、とても日本を委託できない政党である。国家観が見えてこないのである。日本人よ、賢明なる断固たる選択をして未来の凛とした国の一里塚となりますように。

平成17年10月1日
日本の有権者は実に賢明である。極めて大切な時に政権が安定してくれた。この4年間を、有効に使い、21世紀の「新国家像の国民的合意」を得るような国会にして欲しい。民主党の党首は前の党首より少なくとも、国の安全保障問題では、与党に近い。憲法の改訂を実現する絶好の天与の機会である。左翼思想の本部の朝日新聞のインチキが暴露された。反日本的、NHKも、朝日新聞と同様に部数と受信料激減が始まった。かれらが窮地に陥いることが、左翼勢力の衰亡に連結する。日本人は賢明な選択をした。与党は傲慢になっては次回選挙で激減する。真摯な政治姿勢を培う「新自民党」知的合理性を追求する「新自民党」であれ。

平成17年月11月1日
今年も、あと一月を残すばかりとなつた。同じような日々を暮らしているようで、人間の肉体も、思考も、日常生活も、その他の環境も、日本も、世界も、そして宇宙も微妙に変化している。そう、宇宙の原理は「変化と造化」である。精神も絶えず造化してゆかなくてはなるまい。それは、宇宙の原理に従い、常に新しいものに挑戦して行くことといえるのではあるまいか。今月も、私は、前進する、前進あるのみ。

平成17年12月1日
遂に今年も最終月となつた。今年も登山三昧に明け暮れた。だが、私は、人生は一寸先は暗闇だと、痛切に思い知らされ、人間という存在を改めて深く考えさせられた今年であった。願わくば、新年は、健康と明朗と祝福が私の意中の人に豊かに与えられんことを衷心より神様にお願い申し上げる。徳永圀典、臥して願い奉る。