安岡正篤先生語録 8 百朝集 

戦時中だから、70年前以前に、先生が弟子を集めて朝な夕な古今名賢心腹の語録を話されたものである。この中から適宜引用する。平成18年元旦

 1日 人間 人七尺の(からだ)を具ふるも、此の心・此の理を除了すれば、便(すなは)ち貴ぶべき無し。(すべ)て是れ一包の膿血裹(のうけっくわ)、一大塊の骨頭のみ。飢えては能く食ひ、渇しては能く飲み、能く衣服を著、能く淫欲を行ひ、賎貧にしては富貴を(ねが)ひ、富貴にしては権勢を貪り、忿(いか)っては争ひ、憂へては悲しみ、窮しては(みだ)り、楽しん では(ふけ)凡百(あらゆる)所為(もっぱ)ら気血に(まか)せ、老死して()む。則ち之を(なづ)けて禽獣と曰ふも可なり。−陳白沙、明の哲人。

人間から心というもの、道理というものを除いてしまった只の人間というものは一個の
膿血(うみち)ぶくろ、一かたまりの白骨に過ぎない。
 2日 世間

村漢有銭 無才識者作好官 善人被小人陵辱 見初学人及第 俗夫有好妻 −蘇東坡

田舎っぺが銭を持つ、才能も見識もないつまらぬ人間が好い役に納まりこんでいる。善い人が下らぬ人間に見下され、辱められている。まだ勉強し始めのホヤホヤが運よく難しい試験に及第し得々としている。つまらぬ男が好い女房を持っている。
 3日 衆人 衆人のその心を用ふるや、愛は憎の始なり。徳は怨の本なり。その親に(つか)ふるや、妻子(そな)はれば則ち孝衰ふ。その君に事ふるや、好業ありて家室富足すれば則ち行衰へ、爵録(しゃくろく)満つれば則ち忠衰ふ。唯賢者のみ然らず。−管子枢言 人間をよく見つめた味わい深い言葉。こういう衆人が、形式を変えるだけで、心の用い方、心理、道徳を変えないで新しく指導権を握ってみても、世の中果たしてどれ程良くなるのか。現代の社会運動家は一様に外を責めることのみ知り、一向内省しない。それでは人間も世の中も救われまい。
4日 改過 過は心に由って造り、亦心に由って改む。毒樹を斬るが如く、直ちにその根を断つべし。なんぞ必ずしも枝々にして伐り、葉々にして摘まんや。−袁了凡 誠にそうでなくては気宇が小さくなる。こせこせ敗戦原因を唯物的にほじくつて助からない。日本人の気持を大転換させる光明が必要。暴露、責任のなすりあいではどうにもならぬ。
 5日   治病 人不善を積むこと多くして心神鬱悸す。医家知らずして却って草根樹皮を以て之を治せんと欲するも難い哉。只当に己に反り、過を改め、倫理を正し、恩義を厚くすべし。此の如くんば乃と薬なくして喜あり。
−谷泰山

おんにこにこ はらたつまいぞや そはか

で行くのが最善、医道の真髄である。

 6日 読書

予幼年より読書を好み、家貧にして書に乏し。或はこれを人に借り、或はこれを市に(けみ)し、中歳衣食を節約して書巻を購得し、世故紛紜老また至る。少より老に至って抄書倦まず、過見瞥観皆すなはち疎記して積んで数巻をなす。

読書子はみなこうしたものである。疎記は要点を箇条書きにする。
 7日 わが言貌 士大夫三日書を読まされば則ち理義胸中に交わらず。便ち覚ゆ、面目・憎むべく、語言・味なきを。−黄山谷

理は事物の法則、義は行為を決定する道義的法則。面は精神状態の鋭敏な表現の座である。一切は顔に書いてある。

 8日 当今の学徒

(こころみ)に当今の学徒を観るに、その(しょう)校に在るや孜々(しし)勤労する者あり。庠を退くに及んで則ち倦む。庠を退いて倦まざる者あり。妻子を蓄ふるに及んでは則ち衰ふ。妻子を蓄へて衰えざる者あり。一患一災に逢へば則ち挫く。−塩谷宕陰

人生は絶えざる勉強である。社会や宇宙はそのままに一大経巻である。
之を解すると否とが学人と俗人の分かれる所以。逆境にあっても心がふらつかないように自省を。
 9日 学に進む道

学に進むに漸あり。速かに成らんことを欲する勿れ。唯循々として已まざれば則ち遂に必ず得ることあり。既に得ることあれば則ち又已むこと能はず。故に学んで三年・間断なくんば則ち必ず得る所あるなり。
−南村梅軒

速成は不自然、且つ無理。民主主義も速成が好きである、軽薄では大成しない。なんでもコツコツ根気よく続けるに限る。
学問しつめた人

英傑大事に当っては固より禍福生死を忘る。而て事適々成れば則ち亦或は禍福生死に惑ふ。学問精熟の君子に至っては則ち一なり。
―大塩中斉

英傑は非凡の気迫力量才幹を以て功業を争うが、多く気に任せて、深く心を練るということがない。故に、何か事に当たり、己が全智全能を傾け、為に余念のない時はよいが、さういう問題が無く心に緩みが生じた時,或いは事・志と違い混乱の生ずるようなことがあると、惑いは大きい。君子は功名富貴を念とせず、その学問とは何であるか、窮して困まず、憂えて意衰えず、禍福終始を知り惑わぬ心術を養うを本義とする。
10日 男性的交友

「丈夫気を以て相許す。小嫌は胸中に置くに足らず。」―唐書尉遅敬徳伝

今夜飲んだな いや、まだそれほどでもない ほんとに済まなかったな 何が済まぬ まあまあ赦してくれ 何を言うとるのか さう言われると恥ずかしい さ、君も飲め飲め。何をこせこせしとるのか 
いや、ほんとに済まなかつた

まだ言うとるのか 大体彼奴も悪いんだよ もう好い加減にしとけ。あれがどうの、これがどうのと、吝なことを言うもんぢゃない。お互いに大きく、一度善からうと許しあったら、ちとばかり気に入らぬ点(小嫌)は採りあげぬものだよ。分かった、分かった。男らしくない話だな 万里の長江、あに千里に一曲せざらんやだ 呵呵大笑
11日 男子吟

一男子と()らんと欲すれば、すべからく四般の事を了すべし。財・よく人をして貪らしむ。色・よく人をして(この)ましむ。名・よく人をして(ほこ)らしむ。勢・よく人をして()らしむ。四患既に(すべ)て去る。(あに)塵埃(じんあい)(うち)に在らんや。−邵康節

一人の男らしい男になろうと思えば、是非次の四通りのことを片付けねばにらぬ。財利は人に欲しいだけ儲けさせ、女色は人の好きなようにさせ、名誉は人が自慢するにまかせ、勢力は人に勝手にさせておく。人々を悩ますこの四つの患いを自分から去ってしまへば、俗に伍する人間ではない。嫉妬は女へんに限らない。男へんの疾や石の字もあってよい。否、そのほうが大問題。
12日 非情の人物

今世短所の数ふべきあらば便ち是れ第一等の人。東莱の此の語、晦翁象山の輩を指す(ごと)し。大海時有ってか狂瀾を起し、大川・時有ってか横流を生ず。区々守常の士は以て語るに足らず。
−春日潜庵

今世・時めく人はみな難のうちどころがない。頭もいいし、才はある、交際も上手、当たり障りもない。大して酒も飲まぬし、女も漁らぬ。誠に整っている。然し、さっぱり旨味がない。感激がない。何やら始終忙しく立ち働いてをるが、要するに何をしているのか。可もなし不可もなしという類である。それより一等欲しい人物は、手応えのある男である。ああなんという退屈な人間どもだ。
13日 同志

古来聞き難きは道、天下得難きは同志なり。而て同志数輩相遇うて、心学を江西の僻壤に講ず。誠に大幸といふべきなり。然れども唯だ未だ道義を身に有するあたはざるをはづるのみ。
―中江藤樹

もう今までの社会運動のように、無責任な、虫のいい宣言綱領を掲げて、野次馬や、がらにもない野心家をかき集めて、誤魔化して行こうとしても、日本では通用しない。真面目な謙虚な同志相学ぶことから進む必要がある。
14日 一切の戦

人間の言語はその思想の貧弱なる指標である。否、人間の思想そのものも亦心中の神秘なものの貧弱な表明である。何人も自己を説明することが出来ず、又自己は説明されることも出来ない。

人々は互いに他の歪んだ幻影を見て、これをその正体と信じてをる。そしてこれを憎み、これと戦う。実に一切の戦いは誤解、ミスアンダースタンディングと称されている。尤もなことである。
−トーマス・カーライル
15日 (はん)厭う(いと)

煩を厭うは是れ人の大病。是れ人事の廃弛し、功業の成らざる所以なり。蓋し事物の応接煩多と雖も、皆是れ吾人当に為すべき所、分内の事なり。但だ序に循つて漸為せば、則ち心を苦しめ力を労するの患無くして、行を果たし事を為すの功有り。

程子曰く、是れ事・心を累するに非ず。却って是れ心・事に累せらるるなりと。朱子曰く、学者常に細務を親らするを要す。心をして租ならしむるなかれと。此等の言、放堕にして事を厭う者の戒と為すべし。今の学者往々煩を厭うの病根有り。終に事をなさざる所以なり。―貝原益軒
16日 小事と人格

人間の真実の正しさは、礼節と同様、小事に於ける行に表れる。小事に於ける正しさは道徳の根底から生ずるのである。之に反して大袈裟な正義は単に習慣的であるか、或いは巧智に過ぎぬことがあり、人の性格について未だ判明を与えぬことがある。−ヒルティー

大袈裟な正義を演説したり時局に便乗して巧みにメディアに登場する者があっても、偉い人かと迷わされぬことだ。その人のなんでもない日常生活の言動によくよく注意すれば、正体が何か分かるものである。
17日 人間の真価

人間の真価を直接に表わすものは、その人の所持するものではなく、その人の為すことでもなく、唯その人が有る所のものである。偉大なる人物とは、真実な人のことである。自然がその人の中にその志を為し遂げた人のことである。彼等は異常ではない。唯真実の階梯を踏んでいる。
−アミエル日記

ケインズは「我々がhow to do good よりも how to be good の方が大切だと言っているような事を注意する者は殆どいない。そんな経済学は畢竟不完全である。
18日 習慣

人生の行為に於て習慣は主義以上の価値を持っている。何となれば、習慣は生きた主義であり、肉体となり本能となった主義だからである。誰のでも主義を改造するのは何でもない事である。それは書名を変へるほどのことに過ぎぬ。新しい習慣を学ぶことが万事である。それは生活の核心に到達する所以である。生活とは習慣の織物に外ならない。−アミエル日記

イデオロギーは所詮看板であり、その塗り替えは至極簡単。それよりも真理を生活しなくてはならぬ。政治でも、風俗習慣を正しくすることが肝要、民主主義だの共産主義だのと屁理屈を言うよりも、身嗜みでも良くし、怒鳴ったり、わめいたり、痰吐き散らすような習慣を止めるほうがよい。
19日 真の幸不幸

或る人問ふ、人艱難に遭う、これ不幸なる事か。曰く、艱難は亦これ事を経ざる人の良薬なり。心を明らかにし、性を練り、変に通じ、権に達する,正に此の処に在って力を得。

人生最も不幸なる処は、これ偶々一失言して禍及ばず、偶々(たまたま)一失謀して事倖成し、偶々一()行して小利を獲ることなり。後乃ち視て故常(つね)となし(てん)として意と為さず。則ち行を敗り検を喪ふことより大なる患なし。
−格言聯壁
20日 人の是非

人の非を論ずる、当にその心を(たづ)ぬべし。徒にその跡に(なず)むべからず。人の善を取る、当にその跡に拠るべし。必ずしも深くその心を究めざれ。―格言聯壁

これこそ真の教養ある人の態度。明の呂心吾も「人情を論ずる時、只薄き処に求め、人心を説く時、只悪しき辺より想う。此れはこれ私にして刻なる念頭なり。長厚の道に非ざるなり。
21日 真の幸不幸

世の中を甘く考え、誤魔化して渡るクセがつけば、もうお終いである。真剣になれないのが一番の不幸である。世には味をしめるということがある。あ、拙いこと言ったなと心配しても、何のこともなかつたり、

失敗したなと思った計画が案外うまくいったり、でたらめ行って一寸儲けたり、確かにそんなことがある。それに味しめて世の中そんなものだと思うと大変に違う。日本の敗戦も満州で味をしめた祟りということができる。
22日 子を戒む

(なんじ)容止(ようし)甚だ軽し。是れ一大幣病なり。以後宜しく時々留心すべし。行坐に論なく重厚なるべし。早起・有恒・重厚の三者は皆爾最も之を務むるを要す。
−曾国藩

(時々)―機会あるこどに。()何事があっても変わらぬ良心的操守があること。これは子に与えた書簡の一部。吾人の生活に痛切な反省を与える、こういう修養を日本の青少年が積んで偉大な人物になることが望ましい。
23日 一利一害

一利を興すは一害を除くにしかず。一事を生やすには一事をへらすにしかず。
―耶律楚材

大宰相の名言。積弊が手につけられないようになると革命を誘発する。これは国でも組織でもある通弊でありいずれ行詰る。
24日 二人

二人心を同じうすれば其の利きこと(かね)をも断つ。同心の言は其の臭蘭の如し。−易経繋辞上

こういう交友の道は矢張り東洋独自なものではあるまいか。この道、今如何。万葉集「しきしまの やまとの国に 人ふたり ありとし思はば 何かなげかん」
25日 三学

少くして学べば壮にして為すあり。壮にして学べば老いて衰へず。老いて学べば死して朽ちず。−佐藤一斉。

雑学では駄目であり心性の学を肝腎とする。学ばないと案外老衰が早く来る。所謂若朽であり精神が呆けてしまう。よく学ぶ人は老来益々妙である。
26日 三樹

一年の計は穀を樹うるに如くはなし。十年の計は木を樹うるに如くはなし。終身の計は人を樹うるに如くはなし。−管子

今日の経済思想の失っている根本を説いたものだ。近来このような心がけが失われて個人主義、刹那主義、その場塞ぎになっている。
27日 四惜

書坐・当に陰を惜むべし。夜坐・当に燈を惜むべし。言に遇はば当に口を惜むべし。時に遇はば当に心を惜むべし。
−陸世儀

人間というものは、つまらぬ物には吝なくせに、かういふ大切なものについては案外濫費して省みない。貴重に夜の時間を無駄使いするなど燈に対して申し訳ないというものだ。物言えば唇寒し秋の風。人間言うからには価値のある発言をしたいもの、でないと口に済まぬ。時世は、我が哲学して心を深める好資料だ。

28日 四看

大事難事に擔当を看る。逆境順境に襟度を看る。臨喜臨怒に涵養を看る。群行群止に識見を看る。
−呂坤

(擔当)どれ程の仕事が背負えるか。(襟度)心のできばえ。(群行云々)衆人の中でどう処するか自主的判断能力。本当の人物判定指針。
29日 五医

費を省いて貧を医す。静坐して躁を医す。縁に随って愁を医す。茶を煎じて倦を医す。書を読みて俗を医す。−格言聯壁

名医は自己内奥の浄室にいる。聖賢の書である。欲を少なくして迷を医す。事を省いて忙を医す。客を謝して煩を医す。書を読んで俗を医す。
30日 六時心戒

鬧時(だうじ)・心を練る。静時(せいじ)・心を養ふ。

坐時(ざじ)・心を守る。言時(げんじ)

・心を(せい)す。動時(どうじ)・心を制す。

−格言聯壁

こういう人知れぬ自心の秘修など近代人は全くやらなくなつて、世間を相手に議論し運動するような華やかな然し空虚なことばかり流行る。真の人物事業の出ない所以である。騒がしい時、ごたごた取り込んでいる時こそ、それにめげぬように心を練ることだ。静かな時に心を養っておきも坐る時には心も動揺を静めるように守り、行動する時は心を実験する好機である。ものを言う時は、内心を反省せねばならぬ。動揺する時には散乱しやすい心をよく制御すべきである。

31日 六中観

死中(しちゅう)(かつ)有り。苦中(くちゅう)・楽有り。忙中(ぼうちゅう)(かん)有り。()中・天有り。意中(いちゅう)・人有り。(ふく)中・書有り。
−安岡正篤

私は平生密かにこの観をなして、如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。