美しい日本の歌 清々しく、清明にして麗しい歌 

矢張り、お正月だから、万葉集はお休みして、何か清々しく、清明で、麗しい、日本らしい趣のある和歌をと思う気持が湧き起こり、探してみた。平成181

1日

君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで

古今和歌集 読み人知らず、 巻第七「賀歌」延喜五年、905年である。世界最古の国歌である。主要外国国歌の歌詞が血生臭いのを知り、この日本の国歌に矜持を持ちたいものだ。
 2日

わたつみの豊旗雲に入日さし今夜(こよひ)月夜(つくよ)あきらけくこそ

中大兄(なかのおほえの)皇子(わうじ) 万葉集 巻一。
広やかな豊旗雲がさらに広大となり、神々しい感じを受ける。旗雲とは、空を横断している古代の旗である
(のぼり)が靡くようなもの。それに夕日で茜色に輝いている。国の明るく輝かしい未来への祈りか。後の天智天皇で大帝王である。
 3日 熟田津(にぎたづ)に舟乗りせむと月待てば (しお)もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王 万葉集 巻一。
何度歌っても、心の高ぶりのある歌。みなぎる力感がある。斉明天皇の時、唐・新羅連合軍に圧迫された百済を救援する為、西征の途につき途中、伊予の熟田津に停泊したときの歌。
 4日 (あらた)しき年の始の初春の今日降る雪のいや()吉事(よごと)

大伴家持 万葉集巻十二。
因幡
(鳥取)国の国守。平明で晴れやかであり、正月らしい願いをこめた歌。万葉集最後の歌で国の平安を祈るものかも。

 5日

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

明治天皇。
一面に青く澄んだ大空の、あの広々とした様を、自分の心としたいものである。世界歴史学会では、大英帝国のビクトリア女王と並び称される明治天皇ならではの大きい御心である。
 6日

神まつるわが白妙の袖の()にかつうすれ行くみあかしのかげ

大正天皇。
神祭りする自分の白い衣の袖の上にゆらめいていた雪洞の火の影が、夜の明けるにつれて、次第に薄れてゆく。新嘗祭に詠まれた歌。こうして
2千年間、ただ世の平安を祈られる日本の天皇さま。
 7日

遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅行く

第124代、昭和天皇。
御年
85歳。武士の出現以前、二千年前、第一代、神武天皇の橿原の宮での御即位の英姿を想起されたのかも。
 8日

みがかずば玉も鏡もなにかせむ学びの道もかくこそありけれ

昭憲(しょうけん)皇太后(こうたいごう)、明治天皇皇后、女子教育の振興に尽くされた。現在のお茶の水女子大学に賜った歌、同校の校訓・校歌である。
 9日

敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山ざくら花

本居宣長。江戸時代の国学者。日本人を象徴する表現の歌。簡潔、清潔、素直な日本人の気分がよく現われている素晴らしい歌。
10日

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

詠み人知らずという。崇高な「おはします」、溢れ出る、へりくだった、優しい気持、人間を越えるものに対する日本人の心にぴったりである。天地自然、万物に神々は宿るという日本人の、素朴で大らかな宗教心、さらに自分が今日、生きていけることを「かたじけない」と感ずる人間人の謙虚な心情は、我々が遠い先祖から連綿と抱き続けてきた民族の心ではないか。
11日

親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん

吉田松陰、
貧しいが暖かい家庭に育ち、思ひやりの深い松陰、父、兄弟、叔父に永別の書簡を書く。「平生の学問浅薄にして至誠天地を感格すること出来申さず、非常の変に立到り申し候。さぞさぞ御愁傷も遊ばさるべく拝察仕り候。」と述べてこの歌が続く。
12日

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」

「我今国の為に死す。死して君親に背かず。悠々たり天地の事。観照、明神に在り」  

と高らかに朗誦して刑場に向かい、従容として死につかれた。ああ・・。
松蔭を思うと私は涙となる。伝馬町の獄で呼び出しを受けた吉田松陰辞世の歌である。

13日

学徒みな兵となりたり歩み入る広き校舎に立つ音あらず

窪田空穂、
昭和
18年、非常事態の日本。「鉦鳴らし信濃の国を行き行かば ありしながらの母見るらむか」もある。巡礼の持つ鉦を鳴らし故郷の信濃を尋ね歩けば、生きていた時そのままの懐かしい母を見られるだろうか。現在の頽廃した日本と学生を見るともう悲しいばかりである。
特攻隊遺詠集より
14日

来る年も咲きて匂へよ桜花われなきあとも大和島根に

長沢徳治陸軍大尉の辞世、沖縄で散華された。ああ、こうしたお方、また明るい顔をして日本の為に命を捧げられた少年飛行兵、その靖国参拝に隣国から言われている現今日本。一部の反日国民が悪い、彼らは根底的に間違っている。自ら天に唾する類いである。島根は、接尾語で、しっかりと立つ日本の意。
15日

ああ四月西の国には薔薇さく日 東の国にさくらにほふ日

堀口大学、海外で日本を思ったのであろう。
16日

鶴岡(つるがおか)の霜の朝けに打つ神鼓(じんこ)あな(とうとう)(きも)にひびかふ

吉野秀雄、
霜の降りた朝明け、神事の太鼓を打つ音がどどどん、と肝を揺り動かすように鳴り続ける。厳しい寒気と張り詰める虚空に轟く太鼓の音がまるで太古から聞こえるように想像され、時空を自在に往来する雄勁な詩情に厳粛なものを感ずる。寒でなくば似合わない。
17日

父母(ちちはは)(かしら)かき撫で()くあれていひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる

丈部稲麻呂 万葉集 巻二十、
防人の歌。出征前夜のことか、子供の時のことか。けとぱは方言らしい。若者の素朴さとひたむきさを伝えている。
18日

山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ

行基、玉葉集巻十九。今は亡き父や母をしのぶもの。ほろほろ、とは雉の擬声語らしい。「ちちははのしきりにこひし雉の声」は高野山での歌。
19日

(ひんがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ

柿本人麻呂 万葉集 巻一。
一昨年、この歌を詠んだ阿騎野の原に立ったことがある、詠みぶりの大きさ、雄大さ、荘厳さ、まさに言葉の力、詩の力である。
20日 青丹(あおに)よし寧楽(なら)の都は咲く花の(にほ)ふがごとく今盛りなり 小野老(おののをゆ) 万葉集 巻三。千年以上の前の奈良の情景が、色のついたように目に浮ぶ。先祖の表現力に学ぶもの多々。
21日

石ばしる垂水の上のさ(わらび)の萌えいづる春になりにけるかも

志貴皇子 万葉集 巻八。蕨の前の「さ」のには神韻を感じる。流れ来たり、流れ去る春の雪解け水の勢いが見えるようだ。
22日

日本最古の歌

八雲立つ出雲八重垣妻籠(つまご)みに八重垣作るその八重垣を

古事記。新婚のスサノオと櫛名田姫を寿ぐような、ほがらかな歌。八重は目出度いものの重なりの「弥栄(いやさか)」のイヤと通ずるというる。
23日

天離(あまざか)(ひな)長道(ながぢ)ゆ恋ひくれば明石の()より大和島見ゆ

柿本人麻呂 万葉集 巻三。
うーーん、と唸りたくなるような歌。溜息がでる、素晴らしい。
24日 (をのこ)やも空しかるべき万世(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして 山上憶良 万葉集 巻五。
憶良が死の病床で詠んだと言う。「志ある男子たる者が、後世に語り継ぐに足る功名を立てられずにこの世を終わることがどうしてできよう」、家庭人の憶良とは思えない高い志と激情が窺える。
25日

あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は来にしを

上丁大舎(かみつよほろおほとね)人部(りべの)千文(ちふみ) 万葉集 巻二十。別離の不安を抑えて軍神の鹿島の神に祈願する堂々たる覚悟。国家には不可欠な魂が見られる。
26日

今日よりは顧みなくて大君の(しこ)御楯(みたて)と出で立つ吾は

下野(しもつけ)今奉(いままつり)部與曾布(べのよそふ) 万葉集。戦争中歌ったが、国軍の兵士の緊張感は清々しい。この方は一方で「筑波嶺(つくばね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆどこ)にも(かな)しけ妹ぞ昼も愛しけ」(4369)と置いてきた妻を痛切に愛慕している。
27日

吹く風をなこその関と思へども道も狭に散る山桜かな

源義家 千載和歌集 巻一。武将にしてこの教養と感性。殺伐とした戦場にあってもこの風雅のたしなみを忘れない日本人。中国人などと違う文明度の高さ。
28日

われこそは新島守(にいじまもり)よ隠岐の海の荒き波風心して吹け

後鳥羽院 増鏡。隠岐に流された悲運の後鳥羽院、然し、さすがは帝王である、吾こそはと、悲運を嘆かれることはない、帝王の誇りと不屈の魂を感じる、天の憐れみさえ乞われない。
29日

大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも

源実朝 金塊和歌集。
私の好きな実朝の代表歌。詩心豊かな悲運の将軍、
28歳で生涯を終わるが、この名人のような歌。
30日 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ 

時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王あめやめ給え 

源実朝 金塊和歌集
31日

つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

在原業平、古今和歌集 巻十六。
人間凡てが、最後にはたどらねばならぬ死出の旅だとは、予てより聞き知っていたが、それが昨日今日という差し迫ったことになるとは思わなかった。人間とはこんなものであろう。