日本、あれやこれや  34
平成19年 2月

 1日 儒学と日本古来の精神 儒学思想は日本でも大いに受け入れられて武家社会の規範として重んじられた。特に「義」の概念は日本武士道の根幹をなす思想として導入され孔孟の「義を見てせざれば勇なきなり」は武士の行動の規範とされるまでに至る。 江戸時代の本居宣長は、日本の和歌や文芸に関して「儒仏による善悪にあずからぬ事」と論じ、日本には古来「いにしえ心」、「和心(やまとごころ)」があると「古学」を提唱した。要するに宣長は、日本には仏教と共に儒学の倫理とはかかわりなく醸成されてきた、日本精神があると主張したのである。
 2日 宣長の「漢心」の否定 宣長は「まことの道」は「古代の神々の生活のなかに形成された習俗」であるとした。神々は規範を「理」として語ることなく神々の行いそのものが規範であると説いた。それを感受するのが、日本の「誠」であるとしたのである。 江戸時代では宣長の漢心の否定、或いは儒学離れと並行して日本の儒学者たちは儒学をとらえ直し日本独特の風土に於いて中国とは異なる解釈、道義を考察していたのである。愚生の日本海新聞・潮流「これで納得、日本・中国「道義」孝 
 3日 朱子学からの検証 当時の日本人は、朱子学に於ける「(つつしむ)」の思想の検証から始め、朱子学から距離を置き、より儒教の本質に迫ろうと、山鹿素行、伊藤仁斎らが「古学」と称して、あらためて仁義、忠信への考察をした。

彼らは儒学の「義」から出発して神道の精神である清明心から説き起こして日本独自の「誠」という観念を導きだした。これは最大の功績であり、中国の儒教とは違うのであるが日本人は認識が足りない。 

 4日 幕末の志士の至誠 幕末の志士たちのように、心のうちから、湧き出すやむにやまれぬ真情と、外に向かう行動を一致させようと言う思想をもたらしたのである。 志士たちの実践的な「誠」のエネルギーが明治維新へと時代を大きく動かして行くのである。中国の儒学から、遂に「誠」と言う心性を日本の儒学は引き出したのであり中国のそれは破綻しておりもはや孔孟の国の民ではない。
 5日 儒家の本家の中国では 中国では儒学はいかなる結果をもたらしたか。漢時代以来、儒教を国教として、隋の時代から科挙制度を敷き、宋以降は官吏はすべからく儒学の修得を義務つけられた。

政治はひたすら儒教の説く理想国家の実現を目指してきた。然し儒家思想はあくまでも書斎の学問であり、聖人君子が民を治めるための学問であった。 

 6日

儒家の本家の中国では

 

徳が善であり、徳は一種の神通力を持って中国社会を支配した。しかし上からの徳の絶対化は行われたが、権力者あるいは知識人は下位にある現実社会を見向きもしなかった。現実の生活の中で徳を追求することは不可能に近い。その結果、本音と建前を使い分けるという民族性も生まれたのである。 商工業への蔑視も、この書斎の学問から生み出されたものである。20世紀にいり科挙制度も廃止され儒家は最大の後ろ盾を失い、新文化運動では儒教は「打倒孔家店」の掛け声と共に封建思想とされ、更に文化大革命の「批林批孔」運動で大打撃を受けたのであり共産主義思想により完膚なき無きまでに孔孟思想は息絶えている。
 7日 歴史学者たち 津田左右吉はいう「要するに、儒教が日本化した事実はなく、儒教とはどこまでも儒教であり、シナ思想であり、文学上の知識であり日本人の生活には入りこまなかったものである。だから日本人とシナ人とが儒教によって共通の教養を受けているとか、共通の思想を作り出していると考えるのは全く迷妄である」。 本居宣長は、古典を読み解こうとするならば、まだ漢意(中華思想、漢学)を排除しなければならない、と考え大和心の真髄に迫ろうとした。加茂真淵は「からごころを清く離れて、古のまことの意をたずねる」とし、古言により古意を得ることだと国学を提唱した。真淵も宣長も万葉集、源氏物語から大和心を発見したのである。
 8日 戦後の道徳的退廃 近年の日本人は戦前に比して不徳になっている。老若男女を問わず、正義感も責任感も、道徳心も世の中に見えない。エコノミックアニマルと言われだした1970年代から兆しがあった。年々悪化して今日がある。
70年代に入ると、世相は全く地に落ち、道義は大きく消失した。小手先の欲望を刺激する情報ばかり、無責任の言動が氾濫、誇張と扇動と欺瞞が充満する末期的日本となった。
 9日

戦後の道徳的退廃2

日本の社会は滔々として軽佻浮薄になり、人々は贅沢に慣れ華美を競う。質実の風は地を払い剛健の気風はさらに微塵もなし。自分の生まれた国の国歌や国旗を尊ばない世 界でも稀な国となった。親が子を平気で殺し、また子も親や兄弟を殺傷し平然としている。他人の迷惑なとど知らぬ顔の社会となった。なんのかんばせあって父祖の霊にまみゆるを得んや。
10日 仕方が無いでは再生不能 要するに日本人は死んだのだ。古来、礼儀に厚い日本人が、無責任、無作法な人種となり、和を以て貴しとした大和民族が、今や互いに自我を剥き出しにして、日本列島が私利私欲の万人闘争の修羅場となっている。ユダヤ人のトーマス・M・トケーヤー氏は「日本人は死んだ。日本人お

得意の「仕方が無い」の哲学では蘇生できない」という。本人がぼんやりしていて、自覚なく、金権主義に陥ったからだ。戦後の民主主義のイデオロギーが、自由、平等、博愛を標榜する進歩的と言われる思想だと、その欺瞞と虚妄に気がつかないまま社会主義イデオロギーに遭遇してしまつたからだ。

11日 日本社会の劣化原因 日本社会の劣化は1980年代以降特に深刻である。青少年の凶悪犯罪、親の子殺しの増加、国民の大きな信頼を得ていた警察、官僚、政治家、正義の味方の法曹の不祥事多発は年々激増している。価値観の相対性、多様化を前提に している民主主義で個人を守る。それは価値観の普遍性、絶対主義的価値観の否定を意味する。そのような社会では常に新しいものが社会で持て囃される。伝統的価値観の美徳が影薄くなる。その結果、社会的混乱を招き社会がアナーキーとなる。それが現代日本の姿である。
12日

聖徳太子の
「和」

(やわ)らぐをもって(たっと)しとす。(さから)うることなきを(むね)とす。人皆(たむら)あり。また(さと)る者少なし。()れをもって或いは君父(くんぷ)(したが)わず。また(さととな)()に違えり。然も、(うえ)(やわ)らぎ下睦(したむつ)びて事を(あげつら)うに(かな)うときは、事理(じり)自らに通う。何の事が成らざらん

和の理念は論語の「礼之用、和為貴」からという人がいるが、中村元氏によると論語の主題は礼であり和ではない。

聖徳太子は、仏教思想の「和敬」や「和合」から来るもので、あわゆる人間関係ら於ける行動原理として生かそうとしたものである。
13日 国体の本義 戦前の文部省の国体の本義によると。「我が(ちょう)(こく)の事実及び歴史の発展の跡を辿る時、常にそこに見出されるものは「和」の精神である。和は、我が肇国の鴻業(こうぎょう)より出で、歴史生成の力であると共に、日常離れるべからざる人倫の道である。和の精神は、万物融合の上に成り立つ」とある 更に、「わが国の和は、全体の中に分を以て存在し、この分に応ずる行を通じてよく一体を保つところの大和である」、「我が国においては、君臣一体と古くより言われ、天皇を中心として一億一条心、協心戮力(りくりき)、世々その(けつ)の美をみし来った。天皇の聖道と国民の臣節とは互いに融合して美しい和をなしている。」
14日 聖徳太子「憲法十七条」 第一条「和をもって貴しとす」
第二条「篤く三宝を敬え」
第三条「詔を承りては必ず謹め」。
この重要度が大切、和が最初である。詔より最初にあるのは和を重要視したこと。
15日 聖徳太子「憲法十七条」2 最後の第十七条は「重大なことがらは必ず論議で決めよ、多くの人々と共に決めれば必ず道理にかなう」とある。 日本人の協調精神は、現在でもこの「話し合い至上主義」に徹していると言える、民主主義は聖徳太子時代があるのだ。アメリカに教えられるまでもなかった。
16日 日本人の長寿の源泉 食事文化である。米のめしを主食とする日本人の食生活が長寿の源泉である。主食と副食を明快に区別するのは日本だけである。 米のめしは、日本人にとり完全食であった。生まれてから死ぬまで毎日食べて飽きたという人はいない。美食家が世界中を食べ歩いて日本の日の丸の「お握り」が一番うまいという結論に達した。
17日 アメリカの調査結果 肥満や成人病に悩む米国、政府が理想的な国民栄養バランスの澱粉、脂肪タンパク質を計算したらそれは伝統的な日本食であることが解った。寿司は、鮨とも書き、名前から して寿を司る、旨い食物で、めし、鮮魚、酢、海苔、醤油で成り立ち、栄養バランスは最高である。食は人に良いことという構成、食は人を最良に保つ生理行為、食べ物とは(たべ)もので天地の神の恵みで賜ったものである。
18日 和食こそ 和食は刺し身、いか刺し、生卵子、大根おろし、トロロ、納豆、海藻、生野菜、漬物と生食が多い。 ごはんは水でゆでただけで料理したものではないから良いのである。和食こそ長寿万歳である。
19日 郷に入れば郷に従う 郷土の言い伝え、ご先祖様の教えや俚諺を守るのが幸せに近づく。

「柿が赤くなると医者が青くなる」、柿にはビタミンABCがあり先祖が庭に植えておいてくれた柿の実を食べて鳥も人も厳しい冬を越せる。 

20日

日本人の風土食

「お粥に梅干、医者殺し」、「梅はその日の難逃れ」 梅の効用は老化防止、血液浄化、活力増進、殺菌効果、疲労回復で日本人の好む最高の風土食。梅は温暖多湿、カビの国、日本人の不可欠な常備薬で長寿の源泉。
21日 日本人の健康俚諺 「コンのつくもの精がつく」、大根、レンコン、コンニャク、昆布である。「大豆は畑の肉」、「老化は足からやってくる」、「酒は百薬の長、過ぐれはば百厄の長」 「一杯は人が酒を飲み、二杯は酒が酒を飲み、三杯は酒が人を飲む」、「脂肪(美食)の取りすぎ死亡に通ず」、「人は飢えて死ぬのでなく、食べ過ぎて死ぬ」。
22日 祖先崇拝と家族制度 長寿日本を支えた背景に祖先崇拝と家族制度がある。家では老人は長老として尊敬され子や孫に囲まれて幸せ余生は暖かい家族制度の賜物。戦後は欧米の個人主義が核家族 を是とし、老人は現代の姨捨山の老ホームに疎外され深刻な問題化。これは日本去勢のための米国製現憲法によりタテ社会の破壊を招いた。日本の家制度は世界の模範の醇風美俗なのである。
23日 日本の価値観 江戸時代から明治維新を経て、日本人を貫く精神は「武士道」と「大和魂」そして「忠孝」の思想であった。処が戦後、敗戦を契機としてこれら「日本的な価値観」は全て悪として切り捨てられた。 憂国の士がこれらの価値観を前向きに評価すると「右翼」だ「保守反動」だ「タカ派」だとレッテルを貼り圧殺する空気があった。北朝鮮拉致問題を契機に漸く日本人は目覚めつつある。
24日 新渡戸稲造 反戦・平和主義で国際的知識人の新渡戸稲造は率先して「武士道」や「大和魂」の素晴らしさを世界に早くから宣伝した。 米国とドイツに留学後、一高と東大教授として、若者の人間教育に心血を注いだ。世界に日本と日本人を知ってもらう為に、あえて「武士道」という名の本を英語で出版した。
25日 指導者の規範 新渡戸は、武士の道徳的在り方を律してきた武士道こそ、日本国民すべての日本魂であるとした。道徳大系としての武士道が説く、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己等の徳目は単に武士階級にとど

まらず、広く人間形成における普遍的規範である。西洋におけるキリスト教的個人倫理に比肩される堂々たるものであると新渡戸は強調した。これにの美徳こそ現在の日本人には切実に求められる時は無い。 

26日 武士道の「武」という字は、「(ほこ)(武器)を[止]めるからきている。戦わずして平和を維持する道である。

戦うための武術というより、武士階級が守るべき倫理道徳の精神面が強調されているの点が特色。 

27日 葉隠れ 佐賀藩の武士の道徳を説いた「葉隠(はがくれ)」では、「武士道とは死ぬことと見つけたり」と割り切っている。 武士とは死を覚悟して行動する者、これが葉隠れの心である。
28日 奉公の精神 江戸時代においては、武士道は単に武士階級の倫理道徳から一般国民の道義にまで及び、奉公という言葉は、「公に奉ずる心は他の為に生きる奉仕の精神に拡大された。 戦前教育を受けた日本人はすべて武士道精神を身につけていた。不正や侵略には断固立ち上がる毅然たる勇気を抱いていた。武士道は野蛮な戦闘技術ではないのである、深い倫理哲学を持った人の道である。