亡国の地鳴りが聞こえる

----混迷の奥に見えるもの

初めに

旧・住友銀行を恒例により55歳で退職し、関係傘下地銀代表役員を経て、還暦と共に完全引退した。その後バブル破裂が始まった。その頃から鳥取県の寡占紙・日本海新聞の潮流という1600字コラムの各月連載を始めた。驚くなかれ、各月連載は10年続いた。その後もコラム欄は変わったが90才の昨年まで、通算30年近く同紙にほぼ毎月寄稿したことになる。

私の潮流コラムへの読者の反響
私が日本海新聞に寄稿している潮流コラムに対する読者からの反響は電話から手紙、葉書、口頭、インターネットメールと実に多い。大変感激している。サイレントマジョリティは私と心の中は同じだと確信している。これを凡てあからさまに公表は出来ないが匿名でごく一部をご披露する。ここ3―4年間で延べ200通余りの反響があつた。 平成13年10月13日現在
----溢れるばかりの憂国の至情でズバリ核心を突かれた論説の数々には深く共鳴、只感服するばかりです。戦前の軍隊生活をただ悪と決め付け葬ってきた私は貴兄の論説を拝読し過去の鬱積が吹っ飛ぶようです。    82歳 軍隊生活経験者より
②現在、テレビなどで放送される時事問題については本当に日本の事を思っての意見が無い様に感じられます。昔、父は日曜日になれば必ず「時事放談」を見ておりました。私もそばで分からないながらも聞いておりましたが、その頃は国民全員が誇りと希望を持ち細川隆元さん・オバマリトクさん・藤原弘達さんなどの方々の意見を熱く求めるような雰囲気が有ったように感じております。
翻って今を考えると夏のハエや蚊の様にうるさい意見が多く聞かれますが何かチャチな意見に感じてなりません。しかし徳永さんの潮流のご意見には一々納得し自分に自信を持ったり学ぶものを感じております。また意見の洪水の中、前方を明瞭に見えるようフロントガラスを拭くワイパーを得たようにも感じております。会社社長  40代                           ③初めてメ―ルをさしあげます。徳永先生の論評には共感することが多く,いつも読ましていただいております。鳥取市内居住者                               
④潮流、孔孟の国、今はを拝読し大賛成です。徳永様の論調は歯切れ申し分なく梅雨空の晴れる思いで拝読しました。同憂の志も多いと思います。        鳥取県郡部在住者
⑤見知らぬ者からの突然の便りを差し上げるのをお許しください。7月12日潮流の論述を拝読し共感を覚えるあまり一筆したためます。----あいまいで甘い中国観を持つ傾向に鋭い警鐘を鳴らした文章は地方紙の論壇では皆無に近く、今こそ覚醒の為に透徹した論理の展開が必要であると思えます。----今後も先生が真の憂国者として硬質の論述を期待します。----鳥取県郡部在住 元教員
⑥未知の私が突然お便りを致します非礼をご寛容下さい。本日の潮流論説を拝読し81歳の私が日ごろ思考している事を百パーセント発表されました。驚きと敬服の念を持って協賛の意をお伝えしたかったからであります。---何卒今後とも無知な大衆の啓蒙を御願い致します。  元教員
⑦孔孟の国、今は、は私が日ごろ言いたいことでありました。よくぞ書いてくださいました。潮流の論説は必ず読ませて頂いております。貴殿の勇気と深い教養に敬服しております。元地方銀行員         
⑧本日もまた胸のすくような諸論評、気持ちよく拝読させて頂きました。全くしかり、でこれだけのことを一刀両断にスパッと歯切れよく喝破していただくと胸のしこりも一挙に霧散してしまいました。私ども日本国民は自虐趣味から脱却し、もっともっと自信と誇りを持ってこれからのグローバル社会に立ち向かって行かなければなりません。いつも読ませていただくたびに、いろいろと知識を吸収させてもらっております。願わくは、これだけの卓見が単に一地方紙のみならず、日本国内に遍く敷衍されることを切に望むものであります。        ------元会社役員 62歳
⑨格調の高い(潮流)「マッカーサーの証言」を有難う御座いました。中々迫力、説得のある論調ですね。大変楽しく読ませて頂きました。同人のご婦人も先刻逝去され、完全に1つの時代が終りました。また過日来、米国のテロ事件の後でテロ特法を含めて憲法改正の見直し論が高まる中、時宜を得た御説と拝察致しました。
同人の帰国後の日本「自衛戦争」論。ドイツのナチス裁判はドイツ自身で裁判し、ナチス協力者もその後ほぼ全員何の罰もなく社会復帰している等知らない事をお教え頂きました。いずれにしてもこのままでは我が日本も世界の非常識国・孤児になってしまいますね。 私のように太平洋戦争で肉親を失った者でもこのままでは拙いと思っております。         元大企業部長 63歳
⑩今朝の潮流を拝読しました。私は歴史的認識は浅いのですが、とても同感し納得致しました。私たち戦後生まれの者にとって感覚的戦争認識しか持たない者にとって必要な事は、事実をより広い視野から学びその中から自らの判断をする事ではないかと思っています。   ------会社員 40代
⑪マッカーサーの証言を拝読し興奮しました。先生の潮流は必ず拝読し切り抜いて保存していますが最高に感動しました。地方でこのような論説の出来るお方はいません。益々、憂国の士としてご活躍されんことを願う。元小学校校長 74歳                      
⑫貴方様の住所は松江支局長に聞きました。本日9月6日の潮流は正論です。あなた様のような正論を書く人が少なくなりました。本当は新聞やテレビの識者が国民に啓蒙すべきです。----今後のご活躍を期待しています。松江の一読者より                      
----潮流を拝読し只、敬服するばかりです。時局多事多難、政治、経済、外交と難局を迎え、テレビ、新聞、雑誌等々を見る度に聞くたびに心配する昨今です。-----貴殿の大いなるご活躍を願います。兵庫県 病院経営者                                 
⑭平成13年10月28日  日本海新聞 散歩道投稿より
・・潮流に見る徳永圀典氏の説くところは、まことに率直、明快であり、その古武士を思わせる見識には敬服する。いちいち納得させられるのは世代が比較的近いせいかもしれない。若い世代は果たして氏に共感するかどうか、ぜひ若い人の声を聞きたいものである。 米子市某氏

日本は冷戦終結後、惨憺たる有様であった。私の論旨は正論辛口であるが、今にして思えば日本海新聞はよく掲載したなと思う。県内外から延べ千件以上の聡明な反応があった。新聞寄稿を一冊にまとめ「天の法廷」として発刊した、本書は、その中から抜粋編集したものである。反響は「偉大なる常識、これぞ声なき民の声」として一冊の書物にしている。21世紀の今なお通用する論述だとの評を頂いている。        令和4年3月    徳永圀典

 

歴史を動かした人々
     平成9年12月21日 日本海新聞潮流 
一、去る十月、ジェーミス三木原作のNHKドラマ「夜会の果て」を鑑賞した。野性味ある明治初期の元勲と言われた第二代総理黒田 清隆の後妻に話題の人、黒木瞳が扮する。政敵でも、良い事は良いと断じて支援する豪快さ、現代政治家が忘れたかに見える国益を守ると言う逞しい筋金が一本貫いている。俳優達が大層年寄り臭く見えるが、いったい当時の政治家は何才位かと興味が湧き図書館で終日調査した。           
二、明治十八年初代総理・伊藤博文四十五才、大蔵・松方正義五十一才、文部・森有礼三十九才 、外務井上馨五十一才、内務山県有朋四十八才。若い彼等が国家を運営し西欧の列強に対抗していたのだ。
明治初年、民権運動家が自由民権運動を進めて国会設立の同意を得たのが明治十四年。彼等も随分若い。板垣退助四十五才、尾崎行雄二十三才、中江兆民三十五才、大隈重信四十四才、犬養毅は二十七才だ。
三、日本の動乱期、戦国時代の武将はどうか。織田信長、四十九才本能寺で死す。豊臣秀吉、五十才で関白となる。彼は藤吉郎と言われた時代からの大活躍はご案内の通りだ。
では中世、源平の騒乱期をへて鎌倉幕府を設立した源頼朝はどうか。彼が平家打倒に立ち上がったのが三十三才、義経二十二才。驚くべき若さである。
更に遡りたい欲求に駆られた私は挑戦する。 飛鳥時代、聖徳太子が推古天皇の摂政として政治を動かしたのが十九才だ。臣下で初めて関白職についた藤原基経は三十二才。此処まで調べた私は感動すら覚えた。

人生五十年と言われた時代であったとしても歴史を動かした人々は想像以上に若かった。何時の時代も若さは何物にも代え難い力を発揮する。現代でも数学とかコンピューターの分野では三十代半ば迄と言われている。三十代四十代、そして五十代六十代まして七十代では同じ事を決断するのに大変な違いが生まれよう。
四、更に私はかねてから興味ある鎌倉仏教の創始者宗祖達の年令を調べた。千二百年前後に宗祖達が一派を開いた年令は浄土宗の法念、四十三才、曹洞宗の道元、二十八才、日蓮、三十二才、親鸞、二十九才、そして一遍は三十八才だ。空海は八百十六年高野山の金剛峰寺建設着手が四十三才とある。空海は八百六年三十三才の時に唐の長安から帰国している。日本仏教の創始者達は二十ー三十才代に当時の社会と寝食を忘れて激しく戦い民衆の救済に身を捧げた。以来八百年、今日迄宗教は眠ったままだ。オーム事件の時も遂に立ち上がらなかった。
五、政治経済に到っては今日老害が跋扈し筋金入りの決断が出来ないでいる。国家の老化を思わせる。
以上列挙した日本の動乱期は若い人間が激しく動き乗り越えたのだ。敗戦直後は吉田茂が六十七才で総理となり戦後繁栄の基礎を作った。ドイツのアデナウアー氏とイタリアの首相共々敗戦三カ国は戦時中の暴政受難者が総理となり戦後の命運を委託されている。然し公職追放の為、政財界とも一気に若返り寝食を忘れて発展に尽くし今日の成功を見た。
六、さて、時代は今や平成の大動乱期を迎えようとしている。あらゆる戦後の仕組みが行き詰まり大手術以外に日本は立直れない。このままであれば玉砕型になる。これを打破して前に進むには容易ならざるエネルギーが必要。それを持つのは若さだ。二十一世紀に立ち向かうには若い人達の高い志と圧倒的な行動力しかない。
ここで私は明治の哲人財界人と言われた住友の幽翁・伊庭貞剛の言葉を引用して終わりたい。

「進歩発展に最も害をなすものは青年の過失ではなく老人の跋扈である」。

第一章 亡国の地鳴り

一.    亡国の地鳴りが聞こえる                   

    平成13年2月4日 日本海新聞潮流
「国破れて山河あり。城春にして草木深し。時に感じては花にも涙をそそぎ別れを恨んでは鳥にも心を驚かす。」
杜甫の春望詩だ。国は破れ、民は離散した、ただ自然の山河のみは依然として昔のままだと首都長安を見ての感慨であろう。
昭和20年8月、日本人はそのような感慨にふけった。あれから60年になんなんとする。日本の山河は毀損し昔日の面影は無くなりつつある。民の変貌はもっと著しい。国が敗れて60年、日本人は一体どうなったのか。
一、民の精神倫理の中心たる道義教育は廃れ、宗教は物質的となり日常倫理は心の支えと程遠い。鎌倉の祖師のように今こそ街頭に進出し衆生善導に立ち上がれないものか。日本のカミ様は政治的に葬り去られたやに見える。現世倫理の中心にいる筈の法曹、検察は身内に情報を流し、判事は買春をし、弁護士はお金の為に共犯する。警察官は被疑者の女性を買春する、本部長は監察と麻雀をして誘拐犯を見向きもしない。少年を教導する校長は未成年を買春、教頭は金庫のカネを盗む。教師は生徒とソープ見学し、テレクラに狂い少女殺人をやる。教育の政治的中立を公然と破り、国歌を無視し国旗を踏みつける青少年を育てた社会党や日教組。外務官僚は教科書に他国を巻き込む。自治労役員は労働代表でありながら労働者のカネでゴルフ場を建設し不良債権を作り横領し脱税し裏金も作る。外人強盗が無法地帯のように東京に頻発し世相は極悪化している。日々、このようなニュースばかりだ。テレビはそれを得々と垂れ流して金儲けし近隣国に肩入れする。日本の精神倫理は瓦解したのか。
二、政治、国敗れて60年、国造りの根幹たる憲法は欠陥を抱えたままで改正の小田原評定も進まない。政治は厳しさに欠け誇りを失った与野党議員達は手ぬるい国家意識のままで中国の恫喝に怯む。日本国籍非保有者への参政権付与など国を売るものだ。国家の威信は落ち国益損傷に悲哀を覚える。
三、外務官僚、公金を詐取するは中国とは癒着して国益を放棄。中、韓国、ロシアとは歪んだ国交となっておりこれに一部大マスメディアが噛んでいる。
四、経済もマネーは充分あったのにここ10年間、統治能力欠如によりマネーは遂に破綻し未曾有の経済危機に直面、為に一銀行経営者の能力を遥かに越えた事態となった。被害者は国民そして企業である。それなのに政治の何たる緊張感の欠如か、何たる楽観か。隗より始めよ、議員半減か歳費の大幅削減で国民に範を示すべきだ。
五、未来を予測する。人口は2004年がピークで以後減少に転ずる。開国以来かってない事態の影響は長期的且つ悲劇的要素を孕んでいる。
六、食糧は米を除き外国依存率が高く自給自足は容易でない。少子化は農業、林業の崩壊と同義語だ。食糧は米国、中国に急所を握られている。21世紀末の世界人口は現在の62億から109億に増加する。これでは世界は食べられない。食糧問題は国家間の闘争要因となるのは必至だ。わが国は何らの危機意識も長期的対策もなさそうだ。
七、製造業で戦後日本は成功したが短期的観点のみでドンドン中国に移転している。数年先、貿易収支が構造的減少に転じたら日本は決定的に転落する。
八、国民精神堅牢なれば一時の困窮は懸念ないが日本のアイデンティティは戦後は消滅したに等しく伝統精神は危殆に瀕し国家の背骨は溶けつつある。
九、青少年は自国語もまともに書けないほど国語力が低下している。マスメディアは家庭内暴力をドメステイック、バイオレンスという、なぜだ。外国語が氾濫し青少年は日本語もロクに書けぬ無国籍民になりつつある。21世紀は文明の衝突というに日本は既に自己を喪失したのか。
十、狂牛病、英国は日本に大丈夫かと言ったが行政は国民を守らず業界を守る、本末転倒だ。草食動物に肉骨を食べさせるとは神を冒涜するもので報いは必ずやってくる。特殊法人は税金垂れ流し機関に近いが議員も官僚も本気で挑まない。

どこかおかしい日本。否、悪い所は明白だ。おかしいのはノイズイなマイノリティだ。サイレントなマジョリティはおかしくないが、分かっていながら声をあげない。
十一、戦後早々は大学生が純粋でかかる社会情勢には立ち上がった。戦前は国を思う青年将校が反乱さえ起こした。今の学生諸君や若い人は、小成に甘んじて立つ気力気概すら消滅したらしい。
十二、私は徒に煽っているのではない。このまま推移せんか、惨憺たる日本は目睫の間にある。経済は今年が剣が峰となるが物質とか金銭より大切な日本人としての魂を復活させねば国は崩壊に向かう。戦後50年は歴史の泡沫にすぎない、2千年の先祖を軽んずれば歴史に罰されよう。私には亡国の地鳴りとして聞こえる。

二 興亡盛衰

平成17年2月1日 日本海新聞潮流
一、人類の歴史を見れば、古くはローマ帝国は言うに及ばず、わが国も、また中世から近世にかけて見る欧米諸国の興亡盛衰も、所詮は人間精神の弛緩に起因する。
現代の世界的覇権国は米国である。5百年前、コロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、西洋人は競って世界に乗り出して覇権を争い世界各地を植民地化した。19世紀から覇権国はポルトガル、スペイン、オランダと移動し、19世紀は英国、そして20世紀はアメリカとなっている。歴史に見る国家・社会の栄枯盛衰・治乱興亡は全て人間精神の弛緩に起因することは歴然、将に盛者必衰である。
20世紀、米国と覇権を争った大国ソ連は共産主義という人間性を無視した70年に亘る大実験が失敗し歴史の彼方に消えうせた。
二、さて、20世紀の覇権国・米国は、歴史の常道通り、果たして覇権を失うのか。軍事力を除く同国の諸指標は限界に到着していると云われる。然しながら、国家戦略と指導性には凄まじいものがあり、直近未来の崩壊はありえまい。現代は過去のような大戦による覇権争奪戦が有り得るか。民主が広く世界に浸透した現今、武器による大戦は無いやに見える。理性が優位の平和時には有り得ないと思われるが、果たしてそうか。動物の世界を見ると、生死の極限状態では、間違いなく死闘がある。人口激増による食糧的極限は国家間の大生存闘争に至ると私は見る。その事態が差し迫っているとの認識も既に存在する。
三、近世歴史の通則に従えば、冷戦後、世界の金融資産の三分の一を占めた日本が、戦前の如き政治・外交力、且つ意思を持たば円覇権大国たり得た。国家戦略も無く、真の独立国に非ざる日本は、その気概も意欲もなく、ただマネーを保有するだけの町人国家に過ぎず、その可能性は皆無。それでは、領土・人口大国の中国が有資格かといえば、かの国は共産主義国であり、民治・法治の道徳律に欠けている上に民度未熟、故に世界の信任を得られない。徒らに軍事覇権を希求し続けており、将来に亘り予断を許さぬ危険なものを孕んでいる。
四、現代は、戦前と大きく異なり、大衆がもてはやされ、大マスメディアが大衆を煽り、誘導する。昨年11月に行われた米国大統領選挙は、東部のマスメディアが挙って反ブッシュを煽り、世界的に煽動した為に、ブッシュ敗退の国際予測すらあったが、結果は大違い。国家の安定基盤層である保守層がしっかりしていた。この様に、余ほど、透徹した眼を持たないと判断を間違えてしまう時代となっている。
五、現代文明論の先駆者、スペインのオルテガは、著書「大衆の反逆」の中で次のように述べている。「現代は大衆の世界だと言われ、大衆がもてはやされておるが、大衆というものは大事なものではあるけれど、大衆が時代を創るということは出来るものではない」。
六、さて、樹木でも枝葉が繁茂し過ぎると枯れ死にする。それを防ぐには、常に剪定し、風通しをよくし、日照りに注意し根固めが必要である。これは、どうやら人類の歴史、文明社会の通則でもあるらしい。どの文明もある程度栄えて繁茂が過ぎると、必ず風通し・日当たりが悪化し虫がつき、やがて伸びが止まるばかりか、遂には根腐れして衰亡している。日本の現状を見れば自明である。これにどう対処するか、オルテガは「文明をいかにして簡素化して根源に復帰するかということが、文明の盛衰の岐路である」と言っている。
七、わが国も、伝統の断絶が発生しており、このままであれば、伝統も、日本も必ず衰微する。既に日本の社会に於いては歴然と亡国現象が顕現化しつつある。それを防ぐには、簡素化、根源の歴史に帰る、自己に帰る、伝来の日本に帰る、ということではないか。それには、樹木の剪定と同様に、人間精神・生活態度を簡素化することではないか。戦後の日本人は、長くこの風土に相応しく生き抜いてきた先祖の生活態様と大違いとなり、矛盾が生じている。戦後の
欧米化の度が過ぎたということに尽きると思われる。

三 滅びの原理 平成10年9月2日 日本海新聞潮流  
最後の将軍徳川慶喜も放映中であり黒船に関する一考察。
幕末、三〇〇年の鎖国の夢を覚ましたのが米国ペルー率いる黒船の来航。島国に安穏に暮らしていた当時の日本人には大変なショックであったろう。尊皇攘夷だ、開国だと大揺れ、幕府は平和ボケで当事者能力無し。なんだか、湾岸戦争、阪神大震災、今年のマネー騒ぎの時とソックリだ。
この時米国の強引な開国要求で遂に和親条約を結ぶが、これが大変な不平等。金小判が大量に海外流出した。これも今回のマネー騒ぎと似ている。
当時海外では金一に対して銀一五.五の比価。日本では金一に対して銀五であった。条約では貨幣の交換は、金は金、銀は銀とあるのに外人は日本に銀貨4ドル持参して一分銀一二ケと交換する。四分が一両なので小判三枚入手する。小判は一枚四ドルであるから三倍の儲けとなる。
このように昔から日本人はマネーで彼等にしてやられている。ウブな日本が狙われるのは今も昔も変わらない。近年外資系のインチキ臭いデリバティブで大損をだした企業があった。オットットッ、横道にそれた。平成マネー騒ぎの今回も本質的には同じ。
さて、一旦開国したら攘夷はどこへやら、欧米一辺倒となる。

まあ、それはいいとして四〇年後ロシアに戦争で勝つと次第に視野狭窄となり軍部の独走を許し始める。その四〇年後、米国の巧みな外交にしてやられて太平洋戦争を起こす。和平のチャンスはあったのに片意地張って敗戦。
マッカーサーと言う第二次黒船で日本は徹底的に変革された。農地解放を初めありとあらゆる二千年の伝統も。但しこれは良い面もあった。農地解放も民主も自由も。
然し日本人は自由を放縦と無責任と覚えてしまった。平和のお題目さえ唱えればいいとも。これは大乗仏教の好きな日本人らしい。お陰で日本は未だに実質的に占領されたままだ。だって我がもの顔に米国戦闘機がこの山陰でも低空飛行している。平和のお題目だけ唱えれば平和のお浄土に行けると思っているらしい一部日本人。
戦後は明治の精神遺産もあり経済大成長した。ソ連崩壊の頃、日本経済は絶好調で欧米は弱っていた。この時に歴史の本質を洞察し国家の大戦略を樹てる指導者が不在であった。先見性が必須の政治家も国家官僚も食糧費で花見酒の前後不覚。気がついたら欧米は立ち直り、日本は彼等の術策にはまっていた。製造業で稼いだマネーは吸い取られアメリカさんの財布代わり。これが実態だ。近年大きく国富を失ったのは第一次二次黒船と同じ。これは国民に見えにくい。目先が本当に困らないと動かない日本人。農耕民族は戦略性が無い。
マネーの混乱を自ら解決出来ず遂に世界に名だたるマネーのドン、サマーズさんにお出まし願ったのがこの6月。これが第三次黒船。これは新しい戦争の敗北だ。敗れぬと変われぬ国だ。これは高くつく。民族的な後遺症となる。明治の精神遺産は食い潰しているから復調は容易でない。

自己変革不能は歴史が示す滅びの原理だ。日本の近未来はこれで決まった。4流国に成り下がる。何故か、不易たるべき國の核が消滅寸前で危険な兆しすら見えるからだ。現実を直視し即応しない民族性に基因する。独立独歩の精神が無いからだ。マスコミの主流を占めてきた戦後の一部思想にも起因する。それが日本人を根本的におかしくした。本質を洞察しないで歴史のバブルに踊らされ今尚目が覚めないと云う現実。
その戦後教育の結果が今日現われて青年少女がおかしくなった。国歌とか国旗はどこの國も民族精神のシンボルとして大切にするのに日本人はしない。國とは民族の汗と血で守るものとは外国人が示している。余談だが外国の国歌は実に戦闘的な歌詞ばかり。日本の国歌の歌詞は平和そのものだ。自分の國に誇りを持ち自分で守る、これが究極のポイント。
今回も二一世紀への大変革を自ら出来ないで米国の黒船に依存した。日本人は猛省しなくてはならぬ。二一世紀、世界的な修羅場に直面して身に染みる時が来るであろう。私は死んでいるからまあイイカ。でも子や孫が可哀相だなあ

四混迷の奥に見えるもの 

平成10年10月1日 日本海新聞潮流
一、種を蒔き施肥して太陽と雨を待つ。旱魃や台風を恐れ、豊作をひたすら祈り待つ。定住して危機にも何とかなるとひたすら待つのみ。結果は仕方がないと諦める。工業との比較だが農業は他人の成功例を容易に模倣出来る。だから他人が気にかかり、人のふり見て皆で渡る農耕民族。最悪への対策をしない。
近年、大蔵とか銀行、自民党を短絡的に悪者に仕立て上げる習性はここから発する。これは農耕民族の根源的性向。天候依存であり傑出したリーダーは不要。
二、大陸の遊牧と砂漠の民は定住し待っていては食えない。獲物を追い求め動き回る、侵略する、掠奪する。勝れたリーダーと強引な手法が育つ狩猟民族。最悪への対策と予見を常とする。危機には何とかするし目には目で報復する。これはアングロサクソンの特質。
三、さて日本人は黙々と農耕してきた。これは製造業に適し超一流の製品国家の素質と云える。動き回る狩猟民族アングロはマネーの世界に最適。世界のマネー界は侵略的で非情で猛々しく狡猾で掠奪的だ。強引で個性と独創性を発揮する気質は先天的だ。彼等は自己を強硬に主張し説得する。恫喝的で戦略的で外交能力に長ける。農耕型は黙々と調和に心がけ人のふりを見る。戦略性に欠ける。日和見だが皆が渡れば恐くないとある段階で突然走りだす。水は沸騰直前迄表面は静かだが臨界点に達すると一気に泡立つ。これをシンギュラーポイントと言う。日本人が突然一気に怒涛の如く変化してしまうのがそれで単一的農耕島国民族の特質。
四、世界のマネー界は米国のワスプと言われるエリート階級が支配している。ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントの事。金融に長けるユダヤ人と共に。彼等は世界中に自分の価値観を押しつけ、韓国、インドネシアそして日本でも企業を破綻させ格安で手に入れた。日本人は右肩上がりの株高しか利益を上げる手段を知らぬが如し。彼らは隙あらば売りを仕掛け情報を操作し莫大な利益をあげる。外資系の投資信託はこうして高い配当をする。こんな市場経済が果たして人類の利益に適うのか疑問に思う。ごく一部の欧米資本家が投機で莫大な利益を手に入れる。狡猾極まりない。その手中に落ちたのが金満日本だ。上述の農耕と狩猟民族の相違を見れば必然的帰結だ。
五、そして彼等は日本を異質と言う。おかしい。日本国民は反論しない。二千年の文化を持つという自覚と誇りを持てと言いたい。彼等の文化を押しつけられている。アングロサクソンの文化が最高とは言えぬ。米国は銃の保有を許す反文明の野蛮国ではないか。 

六、現今日本の混迷は経済的成功に比例した政治の統治能力欠如に起因する。成功に見合う国際的仕組みが日本にない。文化の問題ではない。寧ろ日本としての自負を失った教育と政治の貧困に帰する。欧米諸国と日本の制度にギャップがあり過ぎるのだ。    
七、その最大のものは政治家の資質の貧困であろう。彼らの資質の変革こそ国家的急務だ。民間は最終的に必ず責任の詰め腹を切らされ倒産する。政治家は政治の責任を果たしていない。与野党の次元の問題ではない。これは国民資質の反映かも知れぬ。国益を主張し戦うアングロ型が国際政治には必要だ。大臣も堺屋氏のようなプロの有能な方がやればいいものが出てくる。国民のために戦う政治家を出さねばならぬ。飾り物大臣は終焉としたい。一人の有能指導者だけでも國の運営は難しい。
八、マスメディアは常に目先の現象のみを追いかけ本質的でない。彼等に振り回されぬ事だ 。
九、国家でも個人でも不易の核心が確立していれば心配ない。戦後の日本人は不易の部分を消失した。今こそ日本人としてのアイデンティティを取り戻さなくてはならぬ。 
十、シンギュラーポイントの話をしたが現今日本には極めて危険な兆候すら窺える。ソフトな顔の内外の危険思想はチャンス到来と思っているであろう。危険な臨界点にいる日本。今こそ不易に目覚めなくてはならぬ。さもなくば、あらぬ方向に日本は突き進む恐れなしとしない。

五 日本歴史の終わり? 

平成12年4月18日 日本海新聞潮流

一、数ヶ月前、某紙に専門家が寄稿していたのが西暦3000年の日本の人口予想であった。現在の出生率がこのまま推移すると驚くなかれ、千数百人になると
二、最近、国連は日本へ警告した。日本は2050年頃から現在の労働力を保持する為には毎年一千万人の移民を継続しなくてはならぬと。ここで私は想起した。縄文晩期から弥生前期の二千年前の頃の人口の事である。当時の日本列島にどの程度の人間が居住していたのであろうか。
三、専門家の推定によると縄文時代が約30万人、弥生前期の西暦元年頃が60万人。当時も渡来人が移入していた。そして800年経た奈良時代は300万人とある。
四、日本人の優秀性は混血にあると言う。それはこの列島に南方はミクロネシア、東南アジア、中国の特に沿海州、北は朝鮮半島等から永年に亘る人口流入による混血の結果とも言われる。
五、中世から近代にかけて国境という概念が確立してしまったが古代は人間の交流にパスポートは不要であった。朝鮮半島の百済と北九州は将に一衣帯水のオイと呼べる交流であったのであろう。太平洋岸には黒潮に乗って南方からやって人々が住み着いてきた。そして何百年の間に土着の縄文人と同化し日本人として純粋化されてきたのが実態であろう。
六、確かに古代史時代は大陸の先進国から文化が到来し先人は学んだが西暦800年代の平安時代には日本独自の文化文明となり室町時代には能を初めとしてそれが確固たるものとなって現代に連なっている。
七、人間の混血同化も同様であろう。この列島に住み着いて数百年経ち混血が完成し純粋な日本人となってきたのであろう。近代は国家国境意識が特段に強くなったので古代の感覚が分からないのだ。
八、このように考えてくると日本人の出生率が下がって人口が減少してくると必然的に移民が増加してくる。新たに混血が増えてくる。日本のように単一民族が長く維持されて純粋化すると優秀さの故に成功し経済的に富裕となる。さすれば文化的に究極に達し爛熟しそれ故に女性が子供を産まなくなる。現今のように出生率が低下し21世紀後半の日本のように再び移民混血が大量に必要となる。歴史の終わりの始まりである。二千年前のように大量移民による民族の活性化が必要となる。
九、要するに二千年前の縄文、弥生時代の日本の状況に回帰すると言えるのではないか。そして人口の真空を埋めるように移民が増えてくる。新しい日本の歴史の始まりである。そして更に千年も経過すると平安時代のように新移民も同化して新日本人となる。千年単位の壮大なる歴史的循環が始まろうとしている。新ミレニアムの意義もここにあるのかも知れない。
十、文明が進むと人間のある一面が退化するが原因は富にあると思う。富、別の言葉で言えば”マネーのウイルスに心身が蝕まれて遂に進取の気性を失い自滅構造に入るのは洋の東西を問わない。マネーがあればほぼ何でも手にいる。人間の発明したマネーのウイルスに感染し肉体労働を厭うようになり農業をしなくなるとそのシッペガエシを強烈に受ける事となる。
十一、さて、このような未来が予見される現在若い世代の人達はどう考えるのであろうか。
若年人口の減少は経済、社会、国際政治に甚大な影響を与え国力はスパイラル的に低下する。人口は国力の基礎だ。数年前中国の首相が、過去に日本という国があった、となろうと言った。これは決して嘘ではないのだ。かかる未来は確定的に予見されていると言うのに成り行き任せでよいのであろうか。国の或いは民族の一大事として何とかしなくてはと思わぬのであろうか。政府も政治家も国民も勿論マスコミも何ら深刻にこの問題を取り上げない。このまま推移すれば近未来に於いて我々は想像以上に社会生活や価値観の激変に遭遇すると思われる

六 太平・無事の曲者

平成28年4月6日 日本海新聞

四月、私は85歳となった、日々登山し、勉学し日常生活全般に亘り先ず規則正しい生活をしている。

太平無事と言う言葉がある。大変に結構なことだ、だがこれは極めて曲者でもあるというのが85年間生きてきた人間としての実感である。我々の生活・肉体の動向でもそうだが、余りに平穏無事だと肉体というものは直ぐだらしなくなるのも事実である。実人生もそうである。戦中戦後のことを思うと本当に良く生き残ったと思う。戦後、肋膜炎で一年休学したが以後今日まで健康に過せた。その苦しい体験が結果的に自分を精神的に強くしたと確信する。人工的にでも苦難の体験を求める事が人間には大切なことだとも実感する。身体、精神というものは、鍛えなくては駄目だというのが私の体験である。人間は肉体と精神で成り立っているが、何の苦しみもないと精神的には伸びてしまう、つまらなくなる。楽をしてはよくない、そこが身体・人生というもののデリケートな一面でもある。

太平な世の中もそうであり、太平だと、どうしても人間は堕落する。平和の真只中に生きる人間として、この風潮を直そうと思うならば、どう対処したらいいか。それは「紀綱を正す」、即ち何事によらず筋道を通す。そして、現代風俗に負けない、現代風俗に完全に従わないで、この風俗を直し正していく気概が大切なように思える。学生は学生らしく、社員は社員らしく、先生は先生らしく、親は親らしく、政治家は政治家らしく、役人は役人らしく筋道を立てる。筋道を通すことが基本的に極めて大切で、それを放ったらかしにしておいて、いろいろ即席療法の膏薬貼りをやっても、それは駄目なことを85歳の体験から申したい

七 平成の大乱 平成11年1月14日 日本海新聞潮流
一、日本歴史の乱と称するものは私の調べでは八ツある。最大のものは応仁の乱。近世最後は大塩平八郎の乱である。皮肉な話だが平成に入り経済、社会は大乱と申してよいのではないか。最早、戦さの内乱は無いとすれば経済、社会の大混乱は乱と称してよいと思われる。私は本欄に、天の法廷、襲いかかる肉食獣、指導者のブザマな国、マネー・ウオー敗戦、滅びの原理、混迷の奥に見えるもの等々ここ一年に寄稿したが結果的にそれを証明している。
二、聞く処では日本の官民のマネー約一兆ドルが米国に流れていると云う。一九七一年ニクソンショック時、世界の外為市場は総て閉鎖したのに大蔵省は一週間開放したままで洪水の如くドルが流入してバブルを発生せしめた。この時、日本は成長中であり切り抜ける事が出来た。この外為会計の膨大な資金、資金運用部のカネ等は誰も詳しく語らぬ。共済年金への不透明な年々の資金供給、国家外郭団体の甚大な不良債権。資金給付側の国民資産は恐らく腐りきっているであろう。真の国益に役立っているのか疑わしい。それでも真のメスを入れようとしない日本。
これらのカネを一部中枢官僚とか為政者が恣意的?に米国支えの為に多年に亘り放出していると云うと間違いであろうか。この運用で真の国益を守ると云う原則が確立していたのか、多分そうではあるまい。米国に脅され安易に利用した不透明なカネが巨大に累積されていると私は洞察している。
三、余りに巨大な大蔵省の行政権限。そし国益を真に考慮しないで米国の独善的な手法に同調し協調した結果が現在の経済現象の遠因であろう。何れも強烈過ぎたが故に反動が起き両者は自己崩壊しつつある。大ローマ帝国が滅びたのは他に非ず、己れにあった。
四、近年は社会現象でも、オーム事件初め淳君事件、毒カレー事件等々枚挙に暇が無い。このまま推移すれば間違いなく日本は本当におかしくなる。矢張り親も社会の親たる指導者も、自己責任を果たしていないからではあるまいか。マアマア、現職の時は無難にと云う、真の責任と見識を発揮しないと云う処にあるのではなかろうか。皆が渡れば恐くないと云う農耕民族の特色か。
私のような一老人は何らの力もないが、若い青年も覇気を失い立ち上がらない。あの全学連の東大紛争は、良くは無いが元気が無い現代の学生がなさけない。国民全体が小金を持ち小成に甘んじてしまっているのが実態か。このままではトコトン行き着く処迄行かねばならないのか。
さて、今年はどうなるのか。私は今年は運命の転換点と思っている。物事の趨勢と云う流れは水の流れと似ている。昨年は千代川の洪水の濁流の勢いと同じ。一旦始まった巨大な社会経済現象の奔流を塞き止めるのは実にその水流の数倍のエネルギーが必要。現在日本人はその認識と覚悟を先ず真剣に確立しているか。私はそうではないと思っている。
能力も高い日本人、多分、本当の処では多くの人は分かっていると思う。それだけに、見てみぬ振りして物事が惰性で悪化して行くのが残念なのだ。経済も社会も教育もだ。こんな事で良いのであろうか。
六、今年の日本が成功するようにひたすら祈っている。行き着く先は誰にも分からない。然し私は悪い予感を持つ。日本は最早、国にカネは無い。国債評価が下がった。当然であろう、凄い発行額だから。後は大増税か大インフレか、ご破算で願う事になるのか分からない。然し最後は国民が尻を拭わなくては国は保てない。国家あっての国民と云う事が忘れた頃にやってくる。
それにしても昭和とは書経の百姓昭明、協和万邦が出典だが、戦争に明け暮れた昭和であった。さて平成は、国の内外にも天地にも平和が達成されると云う趣旨である。
国の内はご案内の通り、国の外は近くを初め物騒だ。天地は如何。何やら巨大なものが近づきつつあるらしい。日本人の目を覚ますのはそれを待つしかないのであろうか。
将に平成の大乱と云うにふさわしい近年である。我々は大乱の入り口にいるのか、真っ只中にいるのであろうか。そうであって欲しく
ないと心から願っている。

八.かくして日本は破綻する 

日本海新聞 平成13年3月22日 潮流
問題の解決には[先ず実態を把握する。原因を究明する。対策を決定する。棄てるものは思いっきり棄てる。そして胆を据え断固とした不退転の決意で実行する。]

現役の管理者時代は、このようにして幾多の問題を辞表を懐にして解決してきた。
国家の問題でもこの原理は通用する。私のような一庶民すら日本国の行く末を憂う日々である。国家の管理者は総理、政府そして政治家だ。中枢官僚も同様である。彼らは国の真の実態を知っていよう。民間には多くの専門家や識者やシンクタンクもある。これら頭のいい優秀な人々が沢山いるのに、ここ10年は右往左往して真の解決につながる政策が打ち出されない。自己変革不能は滅びの原理である。日本国は、矢張り、なり行き任せの玉砕型で進んでいるのではないか。どおしてなのであろう。
誰が考えても、国の支出の80兆円に対して税収が50兆円というのでは国を維持できるわけがない。対策は簡単だ、入るを計り、出るを制する、これしかあるまい。それを実行しなくてはわが国の破綻は明白なのに、しようともしない上述の優秀な人達。
例え一時的にどん底でも数年の辛抱で曙光が見えるのに、どの政党も、どの政治家もどの大臣も総理も真実を国民にさらして訴えない。国民も声を挙げない。不思議な国民、日本人だ。国の管理者は国民が1200兆円のカネを貯めているからそれを狙っているとしか思えない。最も安易なずるい手法が彼らの中に暗々裏にあるのではないか。
私は二、三年前から本欄で、このままでは
ご破算か 大インフレか 大増税のどれかに行き着くと指摘してきた。円が国際通貨となった今日、外国人も保有する円の封鎖は出来まい。大インフレは、政府初め政治家も企業家も内心最も望むものであろうが、誰独り言い出す事はできまい。さすれば、このまま成り行きにまかせて大増税でこの超財政赤字を消すしか手段はないのであろう。
自己変革をギブアップして遂に一部識者の中にはIMF統治という外圧しか変革できまいという人が現われだした。振り返えれば明治維新は米国ペリーという外圧で国を開いた。開いた後はまっしぐらに西欧を追い付き追い越せで成功した。挙げ句の果ては敗戦、敗戦後の税制も憲法も大変革はマッカーサーという外圧でしかできなかった。そして、先年のマネー大混乱も米国サマーズ長官の強烈な外圧でしか国論が統一できなかった。そして巨大な国富を喪失した。変革が出来ず不況が10年経過してもままならぬ日本に世界は呆れ果てている。国民として国家としての矜持、誇りがあれば自らの事は自ら始末しなくてはならぬ。その矜持すら失い政治家も中枢官僚も矢面に立ち国民にあるべき姿を訴えない。一時の貧乏や辛抱は我慢出来る筈だ。そして、政治家や官僚の私腹肥やしはやまない。与野党とも、政争を超え党派を越え国の真の危機に対処できない日本国。戦後の経済的成功の結果、日本国が世界のリーダーの資格も力もないのに余りにも成功し繁栄し過ぎて、世界の成り立っている構造、屋台骨すら揺るがしかねない迄になったのが今日の不幸の始まりであろう。
応分の所で生きておるべきであった。それは技術的にもカネについてでもある。能力もないのにカネを持ちすぎた日本の悲劇であろう。現今はその調整課程の終わりという処か。米国の言いなりに国債大増発による公共投資もその遠因の一つであろう。大増税という安易な手段は大反対だ。郵便局を私は歴史的に愛している。然し、市場経済のビッグバンで民間金融機関は弱肉強食の世界に投げ込まれているのに250兆円という郵貯が市場から隔離されているのは論理矛盾だ。大蔵経由財投で国の金融機関、特殊法人等々に行きている郵貯のカネは腐り切り見えない不良債権となっている。
未曾有の国家的閉塞状態となっているわが国である。誰独りとして口火を切って大手術を訴えないのは、間違いなく大波乱が起き、どうにもならないので自ら言い出せないのかもしれない。成り行きに任せてIMFという外圧で事の抜本的解決を図ろうとする深慮遠謀があるとしか思えなくなってきた。識者は、あと3―5年しか立ち直りの時間的猶予はないと言う。わが国は成り行き任せのお得意の玉砕しかないのであろうか。情けない国、日本。

九 国民もエゴを越えなくてはならない
平成9年8月22日 日本海新聞 私の視点
今国会は21世紀を見据えた日本リストラ最後のチャンスであろう。近年、政界、行政そして財界と各分野でバブル時代の清算とも言える不祥事の摘発と、それに連動して政界と行政に混乱があった。橋本総理は、近年来の総理としては真っ当な方で未来に向けた大仕事に取り組んでいる。総理は2001年迄に省庁を半減する、聖域は作らないと言った。11月迄に結論出すとも言った。総理はどうやら本気の感じがする。これは国民サイドから見て国益に沿うものであり大いに歓迎し実現を期待したい。
また、政党間と議員ベースでは見苦しい政争、スキャンダルの暴露で国民は政治離れしてしまった。国民の利益から乖離した議論の横行が目立った。こんなことでは日本は滅びると誰しも思った。最早や、後がないのだ。そして、今度の国会である。私は今度の国会と次の国会を逃してしまっては日本の21世紀は無いとまで思うものの一人である。そこで国民の代表である議員諸氏と各政党に要請したい。
①知の不毛と言われる国会である。今度こそ、地域エゴ、各省エゴ、私利私欲エゴを排した真のステイツマンらしい議論をして頂きたい。
②国家的大局観即ち国民国家の未来の布石という視点で政治家として大所高所からの意義ある国会にして頂きたい。
③官僚とか財界とか労組の利益代表のような言
動は絶対避けて頂きたい。もとより特定宗教の代表なぞ論外である。国民と国の未来のためという観点で知恵を絞って頂きたい。

④現在は明治維新に匹敵する変革の時である。当時の政治家の勇気と気概を見習って頂きたい。己を虚しくして国民の未来に向けた見識を示し、そして断じて行なうのが国民の代表である議員の役割であることを初心にかえり銘記して頂きたい。議員を国民サイドから見る判定の物差しは、議員の見識と胆識であることを忘れないで頂きたい。これを書生論と言う勿れ。原理原則をまじめに追求することを余りにも忘れたが故に現代の混乱があると思うべし。
以上、国民は等しくそう願っていると信じる。我々国民は、今国会の政治家、政党をしっかりと観察して彼らが国民とか、日本の未来の為に真剣にやっているか見届けようではないか。これが国民の権利と義務なのである。そして次の選挙で審判するのだ。
ただ、いたずらに反対して甘い言葉で国民に迎合する政治家、政党、一部ジャーナリズムの真贋は厳しく見究めねばならない。国民も視野の広い高い立場に立ち判断しなくてはならない。国民もエゴを越えなくてはならない時なのだ。       完

十 サンケイ新聞 談話室 平成13年3月9日
政治も効率化せよ
一、市場経済で民間企業は生死の狭間にある。合理化、効率化が進み多くの国民は呻吟している。効率化しないと倒産にいたるからだ。
二、翻って政治を代表とする公的職務の分野はいかがであろうか。先ず、国会と政治の分野は全く生産性と効率に欠ける。これは民間なら倒産であり、株は売りである。それを許容できる時代は過ぎ去り国家として断崖絶壁にいる事を忘れている。一体、政治家諸君は何を考えているのであろうか。わが身を忘れて行動に出てよい。国会の論議は、実に非生産的で国家の現実と程遠い。悪事は検察に一任して国家としての喫緊の課題を徹夜も辞さずやり遂げるべきだ、家庭の一大事なら放置すまいに。中国とか韓国から教科書問題、参政権問題等の内政干渉を受けているのに、何一つ行動的反応がない。何のために代議士があるのかと言いたい。

「剛明、事に任じ、慷慨、敢えて言い、国を愛する事、家の如く、時を憂う事、病の如くにして国民を代表する政治家」だと言いたい。国民の生命、財産を守る選良は今こそ命がけでやって貰ってよい。命がけが出来ないから物事が解決しない。政治家は現代のノブレスオブリージュとして国民的、政治的にその義務を保有者するものだ。
三、政治の効率の悪さの原因に政治が仲良しゴッコ的になっている事を指摘したい。イデオロギーによる葛藤がない今日の日本の悲劇は政治家諸君が主義主張とか理念で党派を作らないという怠慢がある。面子とか利害で離合集散してきた次元の低い政治家の為に不当に経済も悪化し有効な対策が遅れた。これは与野党とも有罪である。

四、次に一部の大マスメディア。彼らは何と情けない存在であろうか。国益を顧みない商業主義そのもので、崇高な報道の自由から乖離された存在となっている。社会悪を招く存在にすらなっているという多くのサイレントな庶民の思いに耳を傾けよ。
五、最後に、日本人はなんと主張しない国民であろう。市場経済とは主張することから始まることを忘れまい。黙っていると、本当に日本国は倒産する。 
七 韓国に油断は禁物

平成15年5月2日日本海新聞潮流寄稿 

韓国は友好国である。在日韓国人も多いし、歴史的関係も深い。私は韓国とは子々孫々まで友好国でありたいと念じ、またそのような態度を今日までとってきた。
戦前、韓国は日本の植民地であったという指摘は妥当でないと私は思う。叉、仮に植民地と誰かが言うならば、この5百年間の欧米各国が彼らの植民地に対してとった残虐な態度と比較して貰いたい。
その欧米の元植民地国すら元宗主国に対して謝罪とか賠償など要求していないし宗主国は知らぬ顔だ。
今日まで、日本は必要以上に罪の意識を過剰に抱いて、必要以上に韓国に譲歩し過ぎているようだ。大統領が交代するたびに何度も謝罪させられ、金大中氏は「もはや過去は清算された」とまで言った。
終戦時、朝鮮半島における日本人個人財産は現在価値で約5兆円を掠奪あるいは没収されたままだ。韓国は対日戦勝国ではないが、その威を借りて不当に個人財産も奪われその補償はされていない。
韓国は、もはや弱小国ではない、先進国であり経済的にも決して弱くない。
戦後60年、今日までの韓国の主張は余りに不当過ぎる。もはや、韓国に遠慮は不用である。真の友好国として相互関係発展の鍵はもはや韓国サイドにのみあり、それは新大統領ノ・ムヒョン氏の指導力如何にかかっていると断じる。
韓国が友好的に非ずと断じる所以は
一、韓国の竹島領有権主張の不当性を先ず指弾したい。島根県は立派で竹島領有の不当性を主張し続けている。韓国は同島に郵便番号まで制定し埠頭を造っている。国際法違反の侵犯であり、友好国に対して行うとは許し難い。
二、日本海を東海にと呼称変更を執拗に欧米各国で運動している。18世紀以降国際的に定着した歴史を無視し且つ地勢学的要素を無視し一方的である。
三、韓国内では、戦後六〇年になんなんとするが反日的歴史教科書を使用している。これは友好の意図がないに等しい。
四、隠岐近海の日本経済水域での大仕掛けの蟹蜜漁の常習犯的やり方は友好国として道義的ではない、プア-な心情の国民だと痛感する。
五、韓国の一部は、北朝鮮の核保有に理解を示す動向が見られるという。米韓同盟の認識が欠如している。これでは信用できない。
六、靖国とか、歴史教科書で、わが国に対して内政干渉が過ぎる。民族の習慣を尊重していい隣国の筈だ。
七、日本国民象徴の天皇をいまなお、王と称するような国では友好国と言えず未成熟の国民と言える。互いに尊重し合ってこそ共存できるのを知らぬ人柄の悪い友人のようだ。これでは、まともに付きあえないと知るべきだ。
八、韓国は中国、北朝鮮、ロシアに対するものと、日本へのダブルスタンダード外交が酷く日本に対してのみ理不尽である。
九、朝鮮戦争では、中国が義勇軍を北朝鮮に派遣した韓国侵略の当事者であるが、中国の歴史的責任追及を放棄し謝罪を全く要求しないまま国交正常化している。朝鮮戦争の中国義勇軍は韓国では侵略行為とされていたが中、韓外相間で調印された1992年の国交樹立の共同声明では一言も触れられず、ウヤムヤにしている。
十、北朝鮮がラングーンで爆破テロをやり韓国閣
僚ら多くの要人を殺したが韓国人は殆ど問題にしていないやに私には見える。
十一、ソ連が大韓航空機の撃墜をしたが、これも不問的に見えるし謝罪すら要求していないと私は認識している。
このように外交素人の私が記憶するだけでも、韓国は余りにも日本に対して反友好的と断ぜざるを得ない。これでは友好国と言えない。両国の交流全般を見ても一方的で日本人は余りに無防備すぎる、韓国に油断をしてはならない。
歴史的に韓国民族を観察すれば理解が得られる。台湾との外交断絶時でも、台湾側に対して実に欺瞞的外交をした記憶がある。当時、台湾外交部長は韓国を「うそつき」と非難した。
韓国は決して道義的国家ではなさそうだ。日本は、厳しく毅然とし、是々非々の国益追及のスタンスを政府も政治家も国民も取らなくてはならない。韓国は弱小国ではない、友好的態度を日本のみ強要されている。韓国の態度は反友好的である。

参考「日本海新聞では②③は削除」

第一章     歴史を動かした人たち

一、 歴史を動かした人々    巻頭文通り

二、宰相   

平成13年12月3日 日本海新聞潮流
一、戯画あり、生煮えの青カボチャ、とうが立った夢の覚めない饒舌男、お題目のお札売り女、紋切り型の口上兄さん、用心棒らしき男、子分に逃げられるばかりのムサイ親分、東海の小島の磯に群れ踊る。
床の間に置けそうにない画だ。この10年の間、宰相と呼ぶには恥ずかしいのが多かった。小泉氏は久方ぶりの宰相か、現代受けも備えているし発言も確かだ、胆識もあると思いきや、中、韓問題では落胆した。テロ発生時の発言も少々物悲しい思いを抱かされた。ブレアとかブッシュの、あの語りかけは魅力的であった。戦後日本の平和ボケを象徴的に示したと言えるかもしれない。
若手にブレアのような人材はいるのか、国家を託するに足る人物が。米国、中国の大臣は戦争や革命を生き抜いた連中ばかりだ。日本は厳しさに欠ける。若い政治家は次代の宰相を目指し艱難辛苦すべきだ。最高の道徳である政治が国民に範を示さなくてはならぬ。日本は有史以来、韓国と異なり中国とは自尊独立の関係で隷属した史実はない。
この点がやや不満だが、ここで戦後システムの大破壊と創造をやらねば日本の未来は無い。平成の大乱の根本原因は、政治が理念で纏まらぬ処に在る。経済は誰が総理でも、もはや奇跡は起きぬ。今が正念場だ、歴史的な運命に遭遇した小泉総理の成功を祈りたい。
二、小泉総理は命懸けでやると言った。これだけで宰相の資格はある。矢張り政治は人物だという事となる。政治は人である。突き詰めると政治は宰相にある。宰相とは一体なんぞや。平たく言うと大臣とは何ぞやだ。宰相とか大臣とは人間を支配し、国の運命、民族の未来、国家の治乱興亡を決定する存在である。国会議員は地方問題にエネルギーを消耗すべきでない。国益追求に全力投球すべきである。
三、宰相とは如何にあるべきか。それは人間とはなんぞやだ。人間を代表する人物、十把一からげの私のような人間でなくて、人間の中の人間らしい精神、才能、内容を持つ人間、そう言う人物でなくてはならぬ。
呻吟語という中国の書物がある。人物の要素、大臣の分類をしている。
第一等に寛厚深沈とある。いろんな妨害を断じて排除して行くには度胸がいる、胆識だ。つまり見識も度胸もなくては宰相は務まらぬ。寛厚深沈、遠識兼照、福を無形に造し禍を未然に消し、智名勇功無くして、天下・陰にその賜を受く、なんてのは、もう大宰相である。そんなのはいない。緒方竹虎氏を髣髴とさせるが。その次が剛明・事に任じ、キビキビしていかなる難問でも立派に背負う、言い難き事も勇敢に言ってのける。これが慷慨敢えて言いだ。
国を愛すること家の如く、時を憂うること病の如くにして、はなはだ鋒鋩をあらわすこと免れず、得失相半ばす、これは第二等の宰相である。小泉総理はここに属する。
安静、時を遂ひ、ややもすれば故事にしたごうて、利も興す能はず、害も除く能はず、これは第三等。次になると禄を持し望を養い、身を保ち、寵を固め、国家の安危もほぼ懐に介せず。
自分さえ良ければいい、安全第一主義で実は国家の安危なんてものは考えない。自分さえ良ければいい、まあ平凡な大臣などにはこれが多い。
これ以下となる益々悪くなる。功を貪り、あらそいを啓き、寵を頼み、威を張り、是にもとり、情にまかせ、国政を動乱す。功利主義でねじけ者、
奸物といった種類の人間です。
一番悪いのは六番目、奸険、非常にねじけてしかも険しい、平和でない。物騒、奸という字は欲しい時に中々油断のならないことを言う。田中外相はこの範疇。彼女はカンのいい苦労知らずの我がまま女に過ぎない。国家とか上に立つものの哲学が欠けている。外務省革命は必須だが優先順位は彼女の退陣が国益に適う。
外交は総理の方針の下に緻密な論理を組み立ててやらねば国益を逸する。米国のライサ女史が見本だ。中国は治乱興亡と易姓革命の国で王朝だけでも24史あり規模、深刻度において日本とは比べものにならない騒乱の国だ。その風土に生きた人間は単細胞ではなく、現実的で老獪だ。中国を老酒とすれば日本は生一本酒、老と生の違い。これは両国の民族性を遺憾なく示している。今回の靖国騒動でも中国は案の定、言うだけは言うが後は、しれっとして国益に収斂する。これが外交だ。日本も激しく言っても、後はしれっとしておけばいい。
五、人物とは何ぞやだが、私は若いときから大変に興味を持ってきた。人物を観るのに八観六験がある。実に人間の心理、表裏を余す処なく観察し得る。その中に、貴ければその進む所を観るがある。大臣とか宰相を洞察する最初の注目点である。これは社長とか管理者の観察に役立つ。国家でも企業でも要は上に立つ者次第と言える

 

三 天の法廷

 社会風刺  天の法廷
平成9年10月14日日本海新聞

第一幕  祖先の神々の呟き

・・・日本国は住専とやらで騒々しいが。

・・・指導者達の親は明治生まれのようだが

・・・恥ずかしき事である。あのように責任逃れをする子に育てた

覚えは無いがのう。

・・・お金に血迷ったのであらう。
・・・さて各々方、どうしたものか。
・・・民主主義とはイヤハヤ情けないものだ。我々が裁いてやらねばならぬようじゃ。
第二幕  天界の指導者達の会合
天照大神、釈迦、キリスト達が集う
・・・現在の指導者の親は明治人だから検事は日本国最初の総理大臣であった伊藤博文殿にお願いしよう。
・・・弁護人は日本文化の淵源である中国の孔子殿に頼もう。
・・・裁判官は日本国最初の法律を作られた聖徳太子殿に依頼するのが良かろう。  
 第三幕  天の法廷
検事 伊藤博文                     
そもそもじゃ、上に立つ者はワシの如くイロを好んでも天下国家の良い仕事をすればよいのじゃ。近頃はロクな仕事もせぬがイロとカネに踊らされておる。祖先として恥ずかしいかぎりじゃ。それでは、求刑する。近代法は生温いので超法規的措置をとる。
悪質なカネの借り手                      
身ぐるみ剥ぎ取り一族郎党獄門磔、さらし首は全国引き回しの上、トップの首は二十世紀末迄国会 議事堂前にさらすのがよかろう。
住専経営者                         
経営無責任は破廉恥極まる。よって、国外追放とする。ベーリング海の孤島がよかろう。退職金、 私財は直ちに没収。
母体銀行                           
貸金の全額放棄は殊勝なれど低金利で理不尽な利益をあげすぎじゃ。庶民の不満は頂点に達している。昔からカネ持ちは憎まれるものである。カネ貸しからは命よりカネを出させる。直ちに定期預金の金利を年2割とせよ。
農協                            
経営が甘すぎる。日本は瑞穂の国なれば農協はそれに専念し精を出して欲しいのじゃ。心労から解放出来る措置をとる。金融部門は各県の地元銀行と合併するが良い。
大蔵省                           
言いなりになる銀行を脅して自己保身した罪科は万死に値する。バブル崩壊による国民の財産強奪の罪もある。今後は内閣の変わる度に課長補佐以上の官僚を解雇する措置をとる。よって、関係者は即刻解雇が妥当。
 孔子弁護人                        
日本と言う国はケツの穴の小さい国ではある。米国は二十兆円も支出している。たかが六千八百五十億円でワイワイ騒いでいる。これが経済大国なのか、島国とは了見が小さいのう。騒ぎすぎじゃ。わが中国は生まれ乍らの商人国で巧く国民を言いくるめる。それには民の声など一々聞かぬことじゃ。ここに到ってはどうにもならぬ。なるようになる。知者は惑わず。                    
 聖徳太子                               
和を以て貴しとなす。と私が決めてから1400年が経つ。而も経済大国と言うではないか。和と言うのは村社会の時の掟なのだ。図体が大きくなり国際時代の現代には理性が根底の原則でなくてはならぬ。官僚も民間経営者も政治家も何時迄も村社会の論理ではいけない。理性により問題解決をしなくてはならぬ。結論から申せば上に立つ者の在り様が最も悪い。国民も余りに情緒的でナアナアと合理性に欠けるから21世紀は苦しむであろう。今回の事件は国辱的だが、この様な国民性が背景にある。敗戦後米国の庇護の下で独立自尊の風が欠如したからであろう。国民共々苦しんで立ち直るしかあるまい。教育を一からやり直す事だ。良い素質は日本国に残してあるからその気になれば良くなる。それにはこれから巨大地震を経験したあと数十年かかる。                     完

四 指導者のブザマな国、日本  社会戯評 続 天の法廷

    平成10年2月15日 日本海新聞潮流 
第一幕 祖先の神々の声
・・・裁いて欲しいとの声がしきりじゃが
・・・天の法廷は百年に一度だ、ダメじゃ
・・・誰を裁けと申すのか
・・・総会屋、政治家、高級官僚、銀行証券等々の声が多い
・・・日本には大人物がいないのか
・・・元総理達があの程度じゃから
・・・聖徳太子が見えられた
・・・予は新しい御触れを日本国の民に与えたい
・・・それでは今一度開廷する。   
第二幕 神々の協議   
・・・検事は日本国の現状を憂い、父性溢れる織田信長殿か質実剛健で女人を避けられた上杉謙信殿は如何 であろう
・・・上杉殿が今の日本に相応しい
・・・弁護人は矢張り中国だが今回は老子殿にお出まし願う
・・・裁判官はローマ帝国の皇帝をされて古代最も倫理性の高い不朽の名著をお書きになられた哲人マルク スアウレリウス殿にご出馬願う
・・・被告は誰か
・・・政治家、総会屋、銀行証券公務員等々目白押しであります
・・・天は総会屋は裁かぬ。あれは影であり表がシャントすれば自然に消えるのじゃ。今回は人の上に立つ者 とする。
第三幕 天の法廷
  検事  上杉謙信
上に立つ者 
人間は目上とか年長者のマネをして育つのじゃ。社会や組織が悪いのは社会の親たる人の上に立つ指導者の在りようが悪いからじゃ。日本は大決断が出来ないでおる。日本国ほど指導者がブザマな国はあるまい。志高く生きておらぬ。天の眼にかなうのは
中坊公平か。   
親達  
一言で申せば父権の喪失じゃ。子供は男親のリリしさと母親の愛情でバランスが取れるのじゃ。両親とも子供に甘すぎる。いい加減に目覚めねば飢餓、地震、戦争を起し男の腕力が必要な時代に戻すぞ。 
政府地方公共団体    
予算は民の汗血と思われよ。カラ出張、食料費、公私混同など詐取ではないか。彼らを捕らえない。これぞ国の乱れの大元じゃ。民は怒らない。寧ろここに日本の真の危機が潜んでおる。
銀行証券  
公器である事を忘れておる。北拓、山一破綻で預金者が損失を被れば本物だが日本はまだまだ村の資本主義じゃ。これからはそうは行かぬぞ。
公職者  
公に奉ずると言う誇りを失い民間と同じくカネに毒されておる。なさけないのう。      
財界  
役員会や株主総会は形骸化しておる。トップの気概と器量次第じゃ。 
弁護人  老子
古代日本は小国ながら我が国に対して申したものだ。日出ずる国の天子、書を日没っする国の天子にと。あの心意気は消滅したようだ。国の矜持を失い何時までも米国の属国に甘んじておる。これがあの君子と武士の国の末裔か。
・・政治家は図るに義を以てなすべし。人の恨みも甘受すべし。公職者共々良くなる事が国民の幸福への近道じゃ。勝れた哲学を持たれよ。我が国は張養浩の三事忠告でも参考にされよ。
・・まあ人間社会には色々ある。良いとか悪いとか、果たして絶対的な善悪是非があるものか、ありはしないが近頃の日本国には、さかし
らの人が多くなり混乱を極めておる。物が溢れ物に負けておる。無となり不言の教えを身につけた人材を発掘し登用すれば大きい仕事をするし国民も幸せなのだが。 
多ければ即ち惑う  ワッハッハッハッ
裁判官  聖徳太子
予の決めた[和を以て貴しとなす]を廃止する。二十一世紀の御触れを申す。
[理知を以て貴しとなす]と致せ。但し人情の機微を忘るな。よいな。
裁判官  アウレリウス
2千年たつと指導者達はかくも堕落するものでありますか。私は皇帝になりましても正直の徳を守り簡素な生活をしまして日々瞑想し国民の事を考えました。個人の財宝も競売して戦いに備えました。指導者は廉潔の心と正義を基にした克己の精神です。その上に博愛、社会連帯感情を抱き真摯率先してやれば難関は突破できます。さすればお国は必ず良くなります。立派な国を再び創り世界へ貢献願いたいものであります

第二章    日本の抱える大矛盾

一 日本の抱え大矛盾

     平成17年12月2日 日本海新聞潮流             

「ああアメリカよ、法を曲げ正義を踏みにじった。ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、今や黄泉にて汝の非道に涙す」。
米国の
青年詩人コーエンが図書館で歴史学権威ビアード博士の米国公式資料に基く「ルーズベルト大統領と第二次大戦」を読んで仰天、大統領が戦争を仕組み、無実の日本の指導者を処刑したことを心から詫びたいと来日し、巣鴨絞首刑場跡の記念碑の前で書き残したのである。博士はルーズベルトが周到な準備で日本を挑発した謀略の米国侵略戦争だと痛烈に告発した。
私は12月になると歪曲の上に成立した東京事裁判を必ず想起する。今尚、日本は国家的矛盾と呪縛に苛まれているからである。
独自の視点で整理する。
一、講和条約後、民間人となった絶対権力者マッカーサー、極東軍事裁判長ウエップ、主席検事キーナンら裁判当事者は、みな東京裁判は間違っていたと言った。
二、多くの欧米の政治家・軍人・国際法の権威も裁判の無効を論じている。処が
一、日本政府は事後法裁判の無効を主張しないまま受け入れ講和後も対外的に曖昧なままである。

二、国内法では、国会は全会一致で戦犯はないと決議し解決している。
三、マッカーサーも帰国後、上院で日本は自衛戦争だと証言。
四、戦犯の呼称は国内外に法的には無いが、BC戦犯なる千数百人が敗戦直後まともな裁判を受けることなく、無実のまま現地で処刑され戦争を償っている。「言挙げせぬ日本」、遺族は奥ゆかしくて騒がないが国民は忘れてはならぬ。
四、現在、漸く正気になりつつある日本が、これ等はオカシイと思って少しも不思議はない。国家間で「平和と人道に対する罪」の裁判など荒唐無稽。ならば、米国の原爆・大空襲による国民数十万人殺戮、ソ連の戦後拉致60万人こそ人道に対する大罪だが日本は謝罪を受けていない。戦争に勝ったら何をしても無罪で、負けた側だけが罪をいつまでも受け入れるのは理不尽で我慢ならぬ。
五、以上に見る如く、欧米には暗黙の対日謝罪があるが、今なお日本が隣国のみに振り回されているのは政府・国会議員・メディアが断固として反論しないできたからだということになる。尊厳を以って凛然と、各国との平和条約締結で戦争は全て終了していると突き放すべきである。政府は極東軍事裁判の見解修正をしなくてはなるまい。
五、戦争は中国も戦場にして多大な被害を齎したことは悪く、日本はその謝罪はした。日本は現中共政権と戦争をしていない。
盧溝橋で中国内の反乱軍・現中共政権が日本と中華民国双方を砲撃し戦争の火蓋を切らせたのは事実、現中共に指弾されるのは釈然としない。毛沢東は日本のお蔭であり中国に謝る必要は無いとまで言ったではないか。中華民国の蒋介石は賠償を放棄、中共の周恩来も放棄した。法律的には平和条約により完全に解決済み。道義的にも中共に20回に及ぶ謝罪をし、巨費6兆円(中国感覚60兆円)を提供する大貢献もした。賠償支払いは無いが中国に日本が残した17兆円の資産請求権も放棄した。戦後60年間の平和実績を無視し反日教育を国是とし戦前同様の日本観のままでは素直に彼らの主張は聞けぬ。彼らの政治的思惑にこそ問題の本質が在ると見るのが正論である。故に、中国にその解決責任がある。
六、朝鮮半島は日本国民であった。中国と同レベルで論ずるには矛盾がある。朝鮮半島にも日本の資産8兆円を放棄した上で、植民地ではないが妙な名目で巨費を与えて今日の経済繁栄の基盤を提供した。欧米宗主国なら知らぬ顔の植民地謝罪なるものまで何度もした上、今尚、反日教育を続けているのは中国同様、彼らの政治的思惑が起因していると見るのが正当である。
七、過去、政府・与野党政治家が毅然とせず、一部マスメディアが反日を誘導し、国益を全く顧慮しない処に問題の本質がある。国民だけが納得できない構図になっている。曖昧にしてきたこれ等を子孫に大きな問題として残したままにしてはなるまい。決断の時である。

二 国家更生法?適用  

平成13年11月1日 日本海新聞潮

去る9月、金融大臣は遂にIMFによる銀行不良債権の特別審査を応諾した。先進国として屈辱的だ。倒産寸前の企業が銀行管理となり徹底的に帳簿を調査され債権債務を審査されるのと同じだ。日本は自前で再建できぬ、言わば国家更生法?適用だ。敗戦直後、当事者能力無き日本はIMFの資金と政策指導を受け焦土から復興を果たした。再びIMFの指導を受けるのはマネーの焦土であり戦後のマネー繁栄は元の木阿弥になった。去る3月本欄で指摘した通りになった。マネー大国がマネーの混乱を自己克服できず世界マネーの番人に収拾を依頼したのだ。
これは要するに、戦後の経済的成功の結果、日本は世界のリーダーたる資格も力もないのに余りにも繁栄し世界の成り立つ構造や屋台骨を揺るがしたのだ。世界金融資産の三分一を日本人が保有する一人勝ちである。世界の金持ちに相応しい力も能力もない孤島の民が金を持ちすぎた。だから戦争中の言いがかりやら不法難民強盗が押し寄せ日本人から金を強奪しようとする。これが近年の日本を取り巻く環境だ。貧乏になれば難民にも外国の強盗にも相手にされなくなるであろう。
戦後を時系列的に整理してみる。1945年敗戦、IMFにより日本再建が始まる。当時の
ドル360円はマッカーサーの決定だが理論的背景はなく円は360度だからという程度。この安い為替でも日本人は必死に働いて克服し固定相場で大きく富を増やす。余りの見事な成功に戦勝国米国は手も足も出なくなる。そこで米国は日本を越えて中国と国交回復、ニクソンショックでこれが1972年。この時にドルは金との兌換を廃止し為替は変動相場制となる。360円では米国はとても日本に太刀打ち出来なくなったのだ。
為替のフロートを重ねるも米国は巧く立ち直れない。そこで次は政治力で日本屈服を試みる。時は竹下蔵相、彼はプラザでベーカー氏にいとも簡単に1ドル260円に応じた、1990年の事。ここでも莫大な国富を消滅させた。これで米国に恩を売り彼の政治力の背景となったと思える。経済成長中の日本はこの円高ショックは吸収できた。事後、歴史的な円高の恩恵を享受した。
一方で公共投資400兆円を米国に約束させられ財政破綻の端緒を作らされた。国民もその恩恵を受けたが、国債異常累積の元祖だ。それがバブル崩壊、日本破綻の導火線となろうとは政治家、大蔵省初め当時の日本人はバブル踊りで気づかない。国家運営と近未来予測の拙劣を見る。
側面からの日本資本締め付けの対象は欧米で猛威を振るう日本の銀行。邦銀の薄資に目をつけ新しいルールBIS基準8%を日本に突きつけて10年がかりで銀行にトドメをさした。現在の株式不況の遠因がここにある。欧米の深慮遠謀に気づかないで結局作らされたバブルの破綻原因ともなる。
1997年、遂にマネー・ウォーに敗北。親方日の丸の与野党の政治家はマネーのド素人、右往左往し米国サマーズ長官に罵倒されて漸く公的資金導入。無駄な時間を費やし巨大なロスを招いた。そんな時に金融ビッグバンをやる愚かしさ、彼等に国益背任罪を問いたい。現在はその延長線上の断末魔にすぎない。米国から見れば既定路線の姿ではないか。私には論理の必然の結末に見える。9月末決算からの英米会計基準適用はその駄目押しだ。これで日本の大銀行は丸裸となる。ここまでになるとは本当に情けない。戦略のある米国は良きにつけ悪しきにつけ凄い国だ。
今回のテロ事件、国家としての戦略的果断さは見事だ。政府も、与野党も、国民も、そしてマスコミもイザという時には一つになる。アメリカ人になりたいと言う日本人が出ても不思議でないほど国益を守る。日本の政治家は小田原評定と泥縄ばかり、大マスメディアは無国籍に近く国民は酷い目にあっている。
さて、テロの瞬間、世界は一瞬にして別の世界に入った。米国の新技術が人類史上に大変化を齎す大きい一歩を踏み出し再び数年で景気を回復し世界をリードするのか。或いは米国の繁栄は終了し世界経済はカオスに入るのか。いずれにせよ、日本は倒産的状態のまま取り残される。否、円そのものの存在の危機が到来しつつあるのかも。自己変革に失敗したこの10年の必然の結論である。
産業革命以来の世界的大変革に国として乗り遅れ戦後の繁栄は一巻の終わりでお陀仏さんとなった。米国はIMFを楯に巧妙に日本経済を牛耳るであろう。
これからは敗戦直後同様の事態が待ち受けている。あの時は、明治の精神遺産もあり志も精神力も充分であった。近年の日本は国家として機能していないし、日教組と旧社会党、一部マスコミなどの反日的プロパガンダの影響で日本国のアイデンティティも消失した。再びリップンチェンシンを復活し再生できるであろうか。

三 革新政党とは自民党のことであった

     平成17年11月 1日 日本海新聞潮流 
自民党の絶対的圧勝で総選挙が終わった。うべなるかなである。なぜか、戦後60年、革新とは専ら旧社会党・共産党・労働組合等の左派集団だとメディアに洗脳されてきた国民だが、メディアの論調を観察していると、ここ10年前くらいから革新という言葉が廃れて新聞テレビに見られなくなっていた。メディアも、最早や共産党・社民党・労組などを革新と思わなくなっていたのである。
革新とは、「組織とか社会の仕組み、旧習を変えて新しくすること」である。その激烈で血を流してやるのが革命である。フランス・ロシア革命がそれで、無血革命が日本の明治維新であり、それは武士の特権放棄と徳川慶喜将軍による大政奉還により成功した。それ故、世界の奇跡として賞賛を浴び、近代国家日本として欧米に後れることなく今日までこられた。
敗戦後60年、独立国となって53年、米国押し付けの占領軍命令憲法を日本は自ら革新していない、それは世界の奇異でもある。それを、今なお頑強に反対しているのが前述の戦後の革新系なるものである。
日本の現況は色んな矛盾やギャップが現実世界に肥大して社会的、政治的混乱の原因となって行詰り、基幹法を正さなくては更なる発展が望めない現状にある。
一方、保守とは、「自らの民族、国家の良い歴史、伝統を守りつつ時代の趨勢に賢く合わせて改革前進」する概念である。
かかる観点で戦後の歩みを見ると、革新系なる勢力は全く逆の、頑迷固陋で占領軍指示を今なお守っているように見える。
今回、小泉総理は、自民党の有力政治基盤の一つであった特定郵便局長会の意向に逆らい、その政治的代表や、郵政関係族議員の公認拒否までして、改革断行の民意を問い圧勝した。
本来なら革新を掲げる野党こそ断然、本テーマを発議し本気で挑戦してこそ革新なのである。過去に固執し利権を守ろうとする程、時代に取り残されるのは衰滅した社会党が好事例。
これが出来ない民主党は実に曖昧であった。公労組の利益代表的な実質を越えられないから、問題の本質を糊塗していた。民主党が真の国民政党として脱皮するには労組との関係を越えなくてはならぬ。この辺の曖昧さを国民は見抜いていたのである。
大阪市の公労組、惨憺たる利権構造、組合員のあの利権的自己肥大、なれあい当局も労組に押し切られてナアナアでやってきたが、遂に背に腹は替えられない財政となり表面化した。これが従来の「革新系」といわれた労組の、あってはならない実態である。
憲法さえ、陳腐なものになり21世紀の日本には内外の現実に適応不能になっているが、革新なら先端的に改革し現実に合うようにしなくてはなるまい。これが戦後から革新系といわれた勢力なのである。大メディアの一部も加担しているが、ここに国民の戦後の不幸が見て取れる。
今回の総選挙は、ものの見事に日本の似て非なる似非(えせ)革新なるものの実体を洞察していた賢明な日本の有権者だと言える。小泉自民党総裁は派閥を解消してしまい、若い、新進気鋭の政党へと脱皮させてしまった。
世界で、中国・韓国以外の諸国で大評価されるのは、日本型のナアナアのムラ社会的な自民党の旧体質を根本的に打ち破ったからである。これからは、知性と合理性、透明性や説得力のある政策活力が自民党に生まれてくるような予感がする。若い有権者も自民党の根本的変化を予感したのであろう。これだけの経済大国になれば、国際社会に対し経済、政治の意思決定過程が透明でなくては国益に反する。その日本の、自民党の、古い体質を決定的に打破したのが今回の選挙であった。民主党大敗の主因はここらに厳然とした理由がありダイナミズムの欠如である。
小泉劇場とかのマスコミ用語で今回の政治変革の本質を誤認してはならない。自民党が倦むことなく邁進すれば、大きく変革して行く予感がする、革新政党とは自民党のことであった

第三章  人類最高の良いことした日本人

平成15年12月1日日本海新聞潮流 

一 東京裁判

子供達は東京裁判、正式には極東国際軍事裁判だが、言ってももう分からないだろうね。A級戦犯と関係がある裁判だね。
その前にね、明治時代に世界の陸軍大国ロシアと日本が戦争して勝ったことがあったね。黄色人種は白人に劣るとされていた時代だから、世界中は
大ショックと大喜びでもあったのだよ。戦争は中国東北部、元満州、勝った日本の陸軍大将は乃木希典、敗軍のロシアの大将ステッセルが降参して対面した時に、乃木大将はこう言った、「昨日の敵は今日の友」だとね。
勝者や強い者は傲慢であってはならないのだよ、横綱の朝勝龍みたいではないね。これが日本のサムライ精神であり世界に冠たる武士道だね。
日本が昭和
20年に米国との戦争に負けたね、勝った国が裁判をして日本を裁いたのだよ。事後法で裁くなんて中世的暗黒裁判の国際法無視でね。負けた日本の大将たちは武士道的に慫慂として言い訳しなかったね。
裁判官は戦勝国の米国・英国・フランス・オランダ・中華民国とソ連ほかだ。現政権の中華人民共和国とは分離して考えると分かり易い。
日本とソ連は不可侵中立条約があったのだけど、ソ連は戦争が終わってから突如日本を侵略してきて日本人を十数万人拉致しシベリヤに連行したし千島列島を強奪した。だから私は泥棒が裁判官になったような感じをソ連に抱くよ。そして戦勝国は日本の将軍達を裁いて死刑を言い渡したのだ。これがA級戦犯だよ。
武士道は名誉を重んずる、いい訳しない、だから黙って絞首台の露と消えられたのは、敗戦して申し訳なかったと日本国民へのお詫びだね、外国へではないよ。
インドの裁判官、パール判事は国際法の権威なのだが、この時こう発言したのだよ。「この裁判は国際法に違反しているのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復讐裁判にすぎない。従って全員無罪である」とね。
フランスのベルナール判事はね、「この裁判は法の適用及びその手続きにおいても誤りがある」と裁判の不当性を指摘した上に、
11人の裁判官が一堂に集まって協議した事は一度も無い」と内部告発さえしたのだよ。
当時の日本人は開国以来始めての敗戦で占領軍は剣と銃で国内をウロウロしているし食料は無く茫然自失だったのだよ。
戦争犯罪とは、捕虜の虐待、民間人の殺戮、放火、略奪などを言うんだよ。
米国の広島原爆など民間人大量殺人だね。残虐な事は日本も戦争だから無かったわけではないが、「平和とか人道に対する罪」など国際法には存在していない。
東京裁判は、このように文明社会では裁くことが許されない事後法でしかも死刑にされたのだよ。裁判長やソ連の判事も不適格だった論外な裁判だったんだ。更に判決は裁判の前から決まっていた。
パール判事のご子息プロサント氏は父の言として聞いている。「裁判所が判事団に指令して、あらかじめ決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫った。さらにそのような事実があったことを極秘にする為に誓約書への署名を強要された」と語り残しているんだ。
これが極東国際軍事裁判の実態だよ。いい加減なものだね、どうしてこんな裁判の判決を日本人は後生大事にして戦犯とされて処刑された人達の名誉の回復に政府も国民も立ち上がらないのかね。
しかも、
12月がくるといつも思いだすのだけどね、処刑されたのは、天皇陛下(現上皇様)、当時は皇太子であられたが、その誕生日の日に処刑したのだよ。未来の国民の象徴になられるお方の誕生日にだよ。この嫌がらせは、とても忘れてはならない民族の屈辱だと思うよ。負けたが故の罪悪ということには組することはできないよ。だからこの裁判はデタラメそのものなんだよ。
それを今なお信じて名誉を晴らそうとしないとは実に残念ではないかなあ。この裁判は国際的にも評判が悪いんだ、知らないのは日本人だけ。日本だけが後生大事に守る必要なんかサラサラないと思うよ。
当時の絶対権力者マッカーサーさえ、トルーマン大統領と昭和
251015日、ウエーキ島で会見した時、東京裁判は誤りだったとの趣旨の告白をしていたのだよ。

二 マッカーサーの証言
平成13年10月3日 日本海新聞潮流

一、    マッカーサーと言う名前は忘れる事はできない。日本を占領

した占領軍総司令官である。日本人の生殺与奪を握り米兵は銃を持ち歩いて我々を監視し手紙の検閲もした。開国以来初めての敗戦に国民は戦々恐々としマッカーサーは天皇の生死をも握っていた。
然し、彼も昭和天皇に会うと尊敬の念を抱く。それは天皇の国民を思う私心無き人徳を感じたからだ。それを認識できた彼も歴史に残る一流の軍人である。彼は北朝鮮が韓国を攻めた朝鮮戦争が勃発すると初めて明治以来の日本の立場を理解し背後にいる共産国中共の北爆を主張した。彼は罷免されて帰米後、米国上院議会で証言した、日本の戦争は自衛戦争であったと。
二、昨年2月米国で「ルーズベルト欺瞞の日」という書物が発行された。日本名「真珠湾の真実」でこの6月に翻訳された。米国の公文書に基づいている。ルーズベルトは開戦当時の米国大統領だ。
悲しいかな、先の戦争は米国の陰謀通りに日本が反応して戦争に引き込まれたとわかる。真珠湾攻撃さえルーズベルトは暗号解読により事前に知っており、老朽船のみ湾に残し日本の奇襲を待っていた。日本大使館員が政府からの電信を宴会の為に放置し米国への宣戦通知を遅らせて真珠湾の卑劣と汚名を得る事となる。過去も現在も外務官僚に憤りを覚える。
三、私は反米ではない、親米である。中ソに分割占領されていたら日本の悲劇は永久であったろう。然し、事実として知るべきと思うのだ。日ロ戦争直後から米国はオレンジ計画を作り、日本を仮想敵国とし諸々の戦略を立てていた。
東京空襲で一般市民が一夜で10万人、広島原爆では7万人が一瞬にして蒸発した。国際法違反の非戦闘員を殺して一体何が正義であり人権か。日本人は中国人と異なり簡単に忘れている、原爆建物が世界遺産となり人類史上で米国の負の遺産となったが。
四、マッカーサー占領時代、米国人女性の書いた書物が日本語翻訳を禁止された。その書名は「アメリカの鏡・日本」である。著者のヘレン・ミアーズは言う。
「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と。日本住民を空襲で虐殺し原爆投下の命令を発した罪は米国がしかけた戦争より軽いのかと問うている。涙なしには読めない。米国歴史学の権威ビア-ド博士も日本の無実の罪を指摘した。知らぬのは日本人のみである。
五、インドのパールという極東軍事裁判所判事は東京裁判で日本無罪を主張した。敗戦5年後の英国国際事情調査局によると、東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もないと書いている。敗戦国ドイツの裁判では判決後3ヶ月で判決理由書と内容を発表している。
東京裁判の判決理由は今だに明確にされていない。当時、南京虐殺は証拠もなく中国の反論もなかった。東京裁判は日本が戦勝国の米英、オランダ等の連合国により報復的に裁かれたものだ。裁くのは法により裁くのが近代法だが国際法に違反して戦勝国が事後法で日本を裁いたものだ。法的根拠のない欺瞞に満ちた暗黒裁判であり人類史上の汚点である。ドイツのナチス裁判はドイツ自身により裁判したしナチス協力者はほぼ全員が何の罰なく社会復帰を果たしている。
昭和23年12月23日、私は鳥取一中へ通学途中の若桜街道路上で、絞首刑、デス、バイ、ハンギングのラジオ放送が耳に焼き付いている。この処刑日はやがて天皇になられる当時の皇太子、現天皇(現上皇)の生誕日である。
これは報復以外の何物でもない非道で野蛮な屈辱的イヤガラセだ。日本の武士らしく黙々と言い分けもせず慫慂として刑死された多くの方々を現代日本人は心して銘すべきである。東京裁判は戦勝国による復讐裁判であり国際法違反の実に野蛮な中世的裁判である。日本の大きい誤りはこの東京裁判判決を信じたままにある。日本民族は残虐だと信じ込まされてしまった。
ここが原点だ。勝者の原理のこの痛烈な仕返し、敗戦の屈辱として忘れ難い。そして、その東京裁判を日本人として真摯に解明せず国家百年の未来を考えぬ、戦略無き経済中心主義に落ちた日本を無念の思いで私は見つめている。その経済は国家戦略無き日本であるが故に今や大きな国際的メカニズムの中でメタメタにされているとさえ思う。
六、日本は周恩来と平和条約を締結し正常化した。韓国とは戦争した記憶はない。両国とは清算が完了したとの国際的認識がある。20世紀は本質的歴史的に白人によるアジア支配である。白人は植民地を収奪したが日本と韓国とはそのような関係ではない。
敗戦から50年、今なおは苦しんでいる。肝要な事は日本人が目覚めて史実に沿い米国、中共、韓国、ロシアに対して言うべき事は断じて明確に言わなくてはならぬ。そのような政治家、国家官僚でなくてはならぬ。勝者によって与えられた歴史観を信じ父祖の血と汗の歴史を想起しない国は亡国への道を進むのみだ。国を忘れて個人の幸福などあり得ない。

三 人類最高の良いこと

平成15年4月3日日本海新聞潮流 
「日本は各地で侵略戦争をしたとペコペコ謝罪していますが、間違いです。あなた方こそ、血を流して、アジア民族を解放し、人類最高のよいことをしたのです。本当は白人が悪いのです。日本は敗戦しましたが、アジアの解放は実現しました。日本軍は欧米諸国すべてをアジアから追放しました。その結果、アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて堂々と胸をはって、その誇りを取り戻すべきです」
オランダの元アムステルダム市長の発言である。
30年前、日中国交正常化時、田中総理が侵略を謝罪した折、毛沢東は言った。「謝る必要は無い、あなた方は我々を助けたのだ」と応じた。
最近の中国は忘れたふりをしている。
私はそれらを検証する。
欧州から西回りでコロンブスが米国大陸を発見したのは1492年の足利幕府時代。
東回りはバスコダガマが喜望峰経由でインドに達したのは1498年。約500年前、西洋を拠点に東西の双方向から対極の日本を目指し白人の世界侵略が始まる。
1543年ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた。信長の頃、スペイン人ザビエルが鹿児島上陸。彼等は日本に到着する迄にアジア諸国を宣教師を尖兵にして布教と交易の名の下に視察し次々と植民地と化し16世紀はスペイン、ポルトガルが世界の覇権国でスペインはフィリピンを、ポルトガルはマカオを把握。17世紀はオランダが覇権国でインドネシア、台湾を確保。
1707年、大ブリテン王国成立。1765年英国で蒸気機関を発明し産業革命で飛躍発展のチャンスを掴み、スペインに勝利しインドを手始めにアジアに本格進出。オランダと英国の戦争も始まり、18世紀の覇権国はフランスと英国。19世紀は英国、ロシア、米国が覇権国。
中国、清は英国の為に阿片で亡国の惨状となる。フランスはベトナム、オランダはマレーシア、インドネシアを植民地とする。豪州には英国の囚人を入植させ原住民を殺戮。
これら白人諸国が幕末にかけて日本に押し寄せ交易と布教を迫る。
一方、西回りは1620年、英国清教徒がメイフラワー号で北米移住。南米は既にスペイン、ポルトガルのものであった。
そして、1776年米国は独立宣言し西進開始。太平洋を越えて遂に日本に黒船で開国を迫ったのが1853年。当時、北からはロシアが南下して朝鮮、日本を狙う。
このように白人によるアジア、米洲、アフリカ大陸の争奪戦であった。
米国はメキシコからテキサス、カリフォルニアを謀略で奪い、ハワイ、南太平洋の島嶼、フィリピンを植民化して日本に迫る。幕末には日本以外の世界は殆ど白人の植民地と化す。
アフリカは欧州諸国が国境を直線引きし分割統治。この500年、白人はこれら植民地で何をしたか。
英国人は豪州で原住民を狩の対象にして皆殺しにした。本日は何匹とかの記録さえある。米国やアフリカでは原住民の黒人が奴隷として売買され、通算一億人殺されたと言う。英国は麻薬、阿片で多くの中国国民を廃人にさせた。
彼らの植民地は白人の為の、収奪、搾取、略奪の存在であった。彼らのゴッドは生贄を好んだのは歴史が示す、血の滴る姿のゴッドを毎日礼拝するやに見える。
アジアでも日本が狙われたが、500年前に来日した宣教師ザビエルの記録がある。
「日本人たちは、キリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています。-中略-日本に来るなら、真の謙遜が必要」
私は思う、黄色人種で唯一白人の植民地にならなかったのは、日本伝来のこのような国民の高い精神文化が齎したのだと。当時の中国は阿片でやられたし、500年の王朝、李氏朝鮮は、本元のチャイナ以上に保守的で儒教の形式的精神に毒されており頑迷固陋、世界の趨勢を見る目が無く、ロシアを始め白人に狙われ彼らの植民地化は必至で放置すれば日本に致命的な禍根を残すと考えられた。
弱肉強食とは敗者必滅と同義語。現今大マスメディアの国益無関心、政治家、外交官の使命感の希薄と軟弱さは眼に余る。毅然とした国益追及に欠けると国家は危い。

四 国益背任罪? 
平成12年5月11日日本海新聞潮流

一、背任罪という言葉はバブルが弾けて以来どれ程耳にしたであろうか。NTTの社長、大銀行の首脳、不動産会社の社長と枚挙にいとまがない。バブルの経済事犯の処理にあたり多くの民間企業の幹部が逮捕され中にはそれを機に倒産さえした会社もあった。
二、私は法律家でもないし法律論を展開しようとしているのではな
い。現在の法律に基づいて法律違反はドンドン摘発し諸悪を退治して頂きたい。民主国家の唯一の正義の御旗は法律である。
三、掲題の背任罪、中でも特別背任罪とは何か。会社の取締役とか
監査役などが自己、もしくは第三者を利し、また会社を害する意図のもとに、その任に背き、会社に財産上の損害を加えた時は特別背任罪として重く処罰されるとある。
四.私の記憶にある過去数年の為政者とか国家官僚の発言である。
バブル後、宮沢元総理と澄田元日銀総裁はバブル発生に関して政策ミスを認めていた。又、宮沢氏は極く早い段階で銀行に公的資金を導入すべきと言ったらしい。大変な識見であり流石と思う。今日の事態  を予見していたのだ。この段階で宮沢氏が万難を排して確とした指導力を発揮しなかった。国民に事態を真剣に訴えていなかった。国際金融経済に関心を持つ私ですら知らなかった。これは悔やまれてならない日本の痛恨の悲劇であろう。
五.この4月にも宮沢氏は金融ビッグバンは時期が早すぎたと言っ
た。私ですらあの時期に橋本元総理が何故ビッグバンに踏み切るのか疑問に思っていた。明らかに国益を害すると思われた。それを後で認めそれだけですむとは政治家とは結構なものだ。国民がこれだけ苦しみ、国富の大損害が発生していると言うのに。為政者は口先だけですむのであろうか。前述の通り民間企業の首脳は背任罪として刑務所行きである

六.銀行の不良債権であるがバブル直後にあった不良債権などとっくに銀行は償却している。その後の金融財政政策が不味いから不況が深刻化し融資先の担保価値がドンドン目減りし倒産し銀行の不良債権が止まることなく増加しているのだ。不況のカネの面の尻拭いを銀行がしているのだ。初めに不良債権ありきではないのだ。
七.金融ビジネス5月号に金融再生委員長の発言がある。銀行のス
ケープゴート化は政治の不手際にも責任ありのタイトルだが婉曲にそれを認めた内容である。
八、銀行が政治のスケープゴート化されていると私は思ってきた。銀行のビヘイビアーも確かに悪かったが、融資を受けた側も、この融資を受けたら確かに儲かると確信し自己責任に於いて融資の捺印をした筈だ。結果が儲からなかったから融資したほうに責任を求めるのは契約社会の欧米では通用しない。子供じみている。日本は村の資本主義と言われる所以である。
九.政治家とか国家の中枢官僚とは国民の生命、財産、安全と言う国益を守るのが最大の使命である。バブルを安易に発生せしめた施策、公的資金導入のタイミングを逸したが故の大損失は為政者の特別背任罪に該当する事態と言えるのではないか。勿論、そんな法律はないが民間企業の社長は遠慮なく背任罪で逮捕されるのに為政者等は政策ミスで国益に大損害を与え国民は呻吟しているというのに口先だけで終わっていいものであろうか。
十.その他、対米交渉で不当に国益を損傷していると思われる点を
多々感じるのは私だけであろうか。

以上、素人の素朴な疑問に過ぎないが不審に思う。政治は最高の
道徳と言ったのはアリストテレスだが、為政者の責任の在り方に
ついて合理的な方策がないものであろうか。

五 本質を知る 

 平成11年4月8日 日本海新聞潮流
昭和21年の某日。極東裁判検事が某将軍Aを訪ねた。
Aはいきなり「自分が参謀総長なら敗戦していなかった、その時、君達は我々の前でペコペコしていたろう」。検事は戦犯の中で暗に第一級に値する戦犯を模索していた。

Aはすかさず〔トルーマン〕と答えた。

検事〔米国大統領の事か〕A〔そうだ〕何故か。
Aはトルーマンがまいたビラの〔もし日本人が軍人と共に協力するなら老人子供、婦女子を問わず全部爆殺する〕を指摘し〔これは何だ、国際法では、非戦闘員は爆撃するなと規定がある〕

検事〔あれは脅しだ〕
A〔米国はこのビラの通りB29が軍需工場でない所、戦闘員以外の民衆すべてを爆撃したではないか。更に広島長崎に原子爆弾を投下した。一体どうしたことか。トルーマンの行為は戦犯第一級だ。考えて見ると一国の大統領ともあろう者がこんな野蛮行為を敢えてし、而もテントして恥じない。こんな者を相手に戦争した我々が恥ずかしくてしようがない。賠償は払うが我々はその倍の賠償を逆に要求したい〕。
続けて言う。日本の罪を何処まで遡るのか。

検事〔日清、日露までさかのぼりたい〕。
どういうわけか。〔満州事変の根源はそこまであるからだ〕。
A〔よしわかった、そんなにさかのぼりたいなら、ペリーを呼んでこい〕。
検事、エッ、ペリー。
A〔自国のペリーを知らぬのか〕どういうわけか。
A〔我々は徳川時代から鎖国で台湾も満州も不要であった、ペリーがやってきて大砲でおどかして門戸開放を迫り自ら侵略のお手本を示した。日本も何とか生きる方法を考えないといけないから米国を大先生として泥棒の侵略を習い覚えたのだ。その元凶はペリーだ。彼を戦犯としてはどうだ〕。
ある時Aは検事に〔東京裁判を見るに、東条を初めとして何れも権力主義者で権力に媚び時の勢力の大なる方について甘い夢を見ていたものばかりである。莫大な経費をかけて世界のお歴々が国際裁判にかける値打ちがあるものは一人もいないではないか〕。
検事〔全く同感です、ジェネラルのいう通りです〕。
A〔ホウ、君もそう思うか、米国は戦争に勝って今は世界の大国である。こうした価値の無いものを捕まえて裁判したとあっては後世の笑い者になる。米国の恥だ、裁判をやめて早速帰ったほうがよろしい〕。
ある時、ソ連の参謀将校がAの病床にやってきた。そしてAの天皇に対する信仰を嘲笑した。ムットして怒ったAは〔自分ではスターリンを神様のように信仰しているくせに、他人の信仰を嘲笑うような下司な馬鹿野郎とは話をしたくない、即刻帰れ!!〕と激怒大喝した。
Aは厳然たる態度でにらみ、口をきかない。参謀将校は完全に威圧された。さんざんに泣きを入れてやっと話をしてもらった。
Aはにわかに笑顔をつくった。〔ソ連は芸術を尊ぶか〕。
将校検事〔ソ連は芸術を尊ぶ国である〕。
A〔芸術は信仰だ。そうではないというか。第一、君達はスターリンと言えば絶対ではないか。スターリンの言葉には一切反駁も許されないではないか。絶対なものは信仰だ。どおだ、分かったか。自分自身が信仰を持っていながら他人の信仰を笑うような馬鹿には用が無い、もう帰れ〕、厳然と言い放つと、それっきり口をきかない。ソ連検事はほうほうのていで帰った。
そして翌日は、極めて丁寧でにこやかな態度の参謀が訪れた。
昭和21年東北の酒田で極東軍事裁判の特別法廷での事。Aのみの出張尋問である。
A〔満州は自分にすべての責任がある。なぜ自分を戦犯にしないのか〕。後で検事がAに対してつまらぬ尋問してすまなかったと言う。また、多くの外国記者団が言う。〔日本はどうしてこのような優れたAの意見を採用しなかったのか〕。
Aとは石原莞爾将軍のことである。これは、秘録石原莞爾、著者横山臣平〔芙蓉書房出版〕からの引用である。

 

 本質を知る

平成十一年五月二日 日本海新聞潮流
将軍とは石原莞爾将軍の事とは前回明らかにした。将軍の悠揚迫らざる威容、正々堂々として自ら戦犯なりと言明、捨身で危地に突入してくる信念の強固さ、勇猛無比の豪快なる態度、真実さは、裁く人、裁かれる人、敵味方、民族の別を越えて人の真心をうち、思わず襟を正さずにはおかなかった。と著者は続ける。
朝日新聞記者が感動して転ぶように石原のもとに走りより涙をいっぱいたたえて〔東京裁判以来、今までの指導者だった人たちが戦犯として裁かれていますが、その態度の卑屈さには胸の潰れるような恥ずかしい思いをしてきました。この二日間、将軍の言動を見て私は日本人として、初めて晴れ晴れとしました。こんな嬉しい事はありません〕と感動した。
これは日本人のみではなかった。UP、APの記者が将軍のご意見を拝聴したいといってきた。外国新聞記者も判検事も日本にきて、日本人は権力者に対しては心にも無いお世辞をつかって嘘をいうがこのジェネラルだけは全くウソなしで底知れぬ大人物だと言って好意を抱いていた。
外人記者が質問する。トルーマン大統領をどう思うかと。石原将軍〔トルーマンは政治家の落第生だ〕どうしてか。将軍〔政治家と自称する以上、目先が利かなくてはならない。明日、明後日を洞察してテキパキ手を打つのが政治家というものだろう。
・・中略・・早い話が戦争の土壇場になって、させなくてもよいのにソ連に参戦させて鳶に油揚げをさらわれた図など世界史的な大笑話となって恐らく後世に残るであろう。おかげでアジア諸国こそいい迷惑だ・・ルーズベルトにしても似たりよったりだ。・・B29はドイツも完全に破壊した、全世界至る所で民族的国家的なトラブルを起こしている。こんな目先のきかない政治家は見たことがない。政略方面は落第生だ〕 。
記者連はジェネラルの言う通りと言い大笑いした。

また、〔ジェネラルはマッカーサー軍政は大失敗であると言うが如何なる点でしようかと問う。
石原将軍曰く〔その第一は敗戦国の精神を侮辱していることである。・・腕力の強い奴が腕力の弱い者より精神がすぐれているなどと言う理屈はない。日本には日本のすぐれた精神がある。マッカーサーは敗戦国の精神を侮辱し民主主義を強要しているではないか。勝った国が負けた国を奴隷扱いするということは大きい誤りである。
・・プロシアの宰相ビスマルクは参謀総長のモロトケ将軍にフランスに最敬礼を要求しようとした。モロトケは〔勝者は敗者の身になって考えてやるべきで思いやりが大切であります。降伏した上に更に最敬礼を要求して敗者に侮辱を与える事は道をわきまえたもののする事ではありません〕と建言した。
・・近年聞く処によると国民は寒さに飢えている、死人も出ている。列車では子供が押し潰されているのに進駐軍だけがガラ空きの汽車だ。
どうだ、これが君の言う民主主義なんだ.日本軍が占領地でとった態度もこれほど酷いものではなかった。

・・満州は結果的に遂に軍人と官僚とによって誤られ、今日侵略者としてレッテルを貼られている。失敗の原因は中国人の嫌う中国の好漢を使ったことである。彼らは軍を背景にして私利私欲をはかった。中国から見れば全く笑止の沙汰である。日本に対する不信軽侮の原因もここにあった。マッカーサーのやっている事も日本軍の失政と寸分変わらない。・・と滔々と批判し声を大にして、石原が言っているとマッカーサーに伝えるがよろしい。

記者たちは石原の思い切った発言に驚嘆していた。
長々と引用した。読者諸氏はいかが思われましようか。

私は感動を覚えた。軍事のみならず文化、歴史、広く世界史に通じその胆識は言語に絶するものがある。指摘の如く私利私欲の国家官僚が敗戦の原因を作った。今回の日本存亡の危機も日本海新聞吉岡社長指摘の如く同様だ。歴史の本質を見抜く要のある政治家、官僚は以て師表とすべきであろう。近年の亡国的様相に呆れ果てて本文を敢えて投稿した。

第四章   歴史の叡智

一、「国の徳」

平成29年3月24日 日本海新聞 視点―― ニ                 

自国を出て外国に移住希望数の多いのが中国と韓国、シリアは人口の半分近くが難民として欧州へ脱出。詳細データーは割愛するが両国とも恐るべき数値である。対して日本人のそれは九割以上が日本に住みたいとあった。これに関して私なりの所見と洞察を披露する。中国は革命の国である、一つの国家として四千年続いたわけではない。漢民族の皇帝は、漢、宋、明だけの約千年、隋も唐も元も清も漢族以外の他民族が作った王朝である。韓国は歴史的に殆ど中国に隷属した不幸な歴史がある。

このような国々の民の立場からすれば、安定しない国・政府を信用しない、信用できるのは身内の一族だけとなる。だから、政府が安定してる間に、カネが出来たら安定した国に送金しておきたいと思うようになるのであろう。50年前の台湾とて同様、多くの外交官は子弟を米国に留学させていた。現在の中国もそうで、一部国民はせっせと今の間のように海外に巨額の避難送金をし続けている。 これでは国民の拠り所である国家は決して安定するわけがない。日本は国に徳があるから歴史的にかかる事態にはならないできた。

話題を転換する、毎年叙勲がある、政治家で反対ばかり唱えていたような野党議員も高齢となり勲何等とかの勲章を貰っている。日本というのは、こうして反体制的議員も勲章を貰う、これは正に天皇というか日本国と言うかが敵対した国民をも大きく抱擁、包含する作用だと言える。国が連綿と安泰なのはかかる行為があるのかも、これを「国の徳の効用」と言わずしてどう言うのか。中国では反体制派には決して叙勲はしない、思想政敵の墓を過去に遡及して暴く、死者に鞭打つ歴史の記録も残っている。

二 国字(和製文字)   

平成18年5月2日日本海新聞 潮流  

日本に漢字が入ったのは四世紀末の応神天皇期、百済の王仁(わに)が千字文をもたらした。日本は縄文時代から「やまと言葉」だけで文字は無く漢字を利用した。万葉集は漢字の「音」を活用したが、「訓」を考案。
現在使用中の漢字が凡て中国からのものだと思う人があれば大間違い。古代から日本人が発明した和製文字は「国字」と言われ膨大なものが累積され国字辞典もある。
漢字は中国文化の産物だが明治以降、中国に無い素晴らしい熟語国字を発明し、それらは日本から輸出されて現代中国・韓国の近代化に大いに役立った。明治時代、日本はアジアでいち早く西洋文明を積極的に導入し咀嚼したからである。その過程で、明治20年迄に西洋文物を多岐に亘り国字に翻訳し一説では20万語と言われる。
中華人民共和国の中華以外の、人民も共和国も日本製である。日本領海を侵犯した中国船「科学1号」の科学も国字。今日の中国は日常用語から政治、制度、経済、法律、自然科学、医学、教育、文化用語に至るまで日本語からの輸入文字で満ち溢れ、近代生活は日本語の上に成り立ち営まれていると言う。
数え上げると際限無いが膨大な西洋文物を明治人は実に適切な国字に翻訳しており祖先の見識と教養の高さに感動する。科学文明に関する西洋文物をすべて国字に翻訳して西洋文明を学んだのはアジアでは日本だけである。
その国字の一部を引用して見よう、日本ではそれまで無かった概念の哲学、社会、社会主義、経済、科学などを始めとして、国家、思想、国際、学校、学生、伝統、侵略、意識、現実、進化、理想、常識、改革、解放、闘争、運動、進歩、民主、同志、理学、物質、元素、分子、引力、電気、主観、客観、定義、命題、前提、演繹、帰納、郵便、銀行、概念、階級、社会科学、支配、批評、観念、唯物論、唯心論、印象、文明、交通、哲学、鉛筆、演説、会話、計画、原則、危機、情報、環境、化学、信用、王道、道場、等々である。
明治人の凄い造語力、現代人のように安易に、熟考もないまま英語を使用していない。
昨年9月末日、日経新聞一面の論説副主幹の文中に、イッシュー(争点)と書いているのを発見して私は思わず吹き出した。初めから争点でいいのだ。これは他紙の論述にも多見される。21世紀の今なお英語の使用を知的とでも思うのか噴飯物である。
どうして素晴らしい日本語に自信がもてないのか、家庭内暴力でよいのにドメスチックバイオレンス、政党もバカみたいにマニュフェスト、政見公約で良い。
憐れむべきものを引用して見る、影響評価をアセスメント、内部関係者をインサイダー、納得診療をインフォームドコンセント、外部委託をアウトソーシング、提携をアライアンス等無数にある。
現代政治家、財界人、知識人、メディアが「和魂」も見識も喪失した将に亡国現象、今なお米国の占領下のようで、国語を失ったフィリピンのようにならない事を切望する。
立派な祖先を持ちながら戦後日本人はどうかしており、自国の主体性・独自性を放棄している。明治人は常に「和魂」という背骨を持っていた。一つの国で、漢字・カタカナ・平仮名が自由自在に国民全員が書けて話せる優秀な民族は世界のどこにも無い。
国語の身につかぬ幼少から英語を学ぶなど祖国喪失につながり真の国際人が育たない。祖国の歴史伝統と国語に自信を持ち日本文化を貫いたから二千年の発展があったことを忘れてはならぬ

三 和魂に洋才を

平成15年9月1日 日本海新聞潮流 

一、家庭内暴力で実に良く分かるのにドメスティックバイオレンス、影響評価をアセスメント、内部関係者をインサイダー、納得診療をインフォームドコンセント、分析家といえばいいのにアナリスト、外部委託をアウトソーシングと数えあげればきりが無いが、外来語をそのまま日本国中にマスメディアが撒き散らす。ここは日本だ、いい加減にせんかいと怒鳴りたい。一体誰のリードでこの様になるのか、これは日本をアメリカにしようとしているのと同様である。
明治初期にも怒涛のように欧米文化が導入された。この時、絢爛たる西洋文化に目がくらんだ一部の日本人の中には、日本には歴史は無かった、これから本当の歴史が始まるとまで言ったバカな知識人もいたようだ。当時でも技術と近代的法律以外は、日本は決して西洋に負けてないのに、このような人間はいつの時代にもいるものだ。一部の人間がそうであるのは致し方もあるまいし影響も少ないのだが、近年はマスメディアが先頭をきって見識なく、そのまま外国語を使用するから日本国中に拡散してしまった。
これは実に日本文化として容易ならざる禍根を未来に残すであろう。明治初期に怒涛のように西洋文化を積極的に入れたのでアジア初の先進国となったのは確かである。当時、先進的西洋科学技術を入れたが、その学問技術用語を実に立派な日本語に翻訳したからこそ、日本文化のアイデンティティを損なうことなく維持し、西洋文化のいいものを日本の血となり肉となしえた。サイエンスを科学、ケミストリーを化学、フィロソフィーを哲学、フィズィックスを物理、テェクニックを技術などは明治の翻訳語である。中国など漢字文化圏はこの翻訳日本語を輸入し、そのまま学問に使用したくらいである。
処が今日では、マスメディアに見識が無いからそのまま外国語を使用する。これはアメリカ人になるようなものである、自分の国の言葉を捨てているのだから。長い間に文化的影響が現れ日本でなくなるであろう。
現代マスメディア、政府・官僚等には知恵も見識もないのであろうか。最近では、政治家諸君も見識が欠けているから、政党がマニュフェストを作成するとか何とかと言っている。こんな政治家が日本文化を冒涜するのだ。彼等に、日本人なら日本語を使用せよと怒鳴りたい。
日本文化は自分の国の言葉からである。外来語の使用を断乎として排除すべきである。勿論やむを得ないものもあろうが酷すぎるのだ。
日本は明治初期に大変な日本文化を捨て自己否定したが一方では見識もあり立派な翻訳語を作った。戦後は外来語をそのまま使用するから、これは骨の髄まで日本を捨て外人になる端著となる。
聞く所によるとフランスなどは徒に外国語をそのまま使用しないような法律もあるという。これは自分の国の文化を守ろうとする一つの見識である。
私はやみくもに欧米排除を唱えているものではない、いいものはいいのだ。
要は、和魂を持ち洋才を発揮せよというのだ。それは経済・マネーの世界、外交の世界でも言えることである。日本人は日本国の伝統ある魂を確り持って、西洋的才能を存分に発揮せよと言いたいのだ。和魂が無さ過ぎるから残念なのだ
二、日本は漢字文化圏に所属する。処が平仮名とかカタカナとかを考案し中国文化もそのまま導入しなかったという英知を古代日本人は持っていた。だから、中国から漢字、律令制、仏教、儒教などいいものは輸入しても、悪しき中国文化の、易姓革命、科挙の制、宦官、纏足、辮髪、父系制社会、食人習慣、豚の丸焼きなどなどを排除した。和魂を持ち日本人の独自性を維持し発展し独自文化を創ったのである。
現代、特に敗戦後は、そのような先人の英知を省みる事無くそのまま外来語を使用する。これは日本人の魂を売るようなものであり緊急に心して是正しなくては日本は日本でなくなり日本文化そのものも消え失せてしまう遠因となろう。本当にそれでいいのか。これはゆるがせにできない日本人として本質的な問題である。

四 逆手に取られている遵法精神

平成16年11月3日 日本海新聞潮流 
日本は、世界的にみれば国民は当然だが、国家としても極めて遵法精神の高い国である。幕末、そして開国後の明治初年、狡賢い白人の巧妙な手口で当時の日本は不平等条約を締結してしまい、40年後の明治末期に名外相・陸奥宗光によりそれが解消された。

その間、国民は収奪に近い富の損失を招いている。戦後から今日までも対外的に約束して法を成立した物事は実に真面目に遵法している日本である。
この遵法精神の高い国民の愚の最たるものが、現憲法であろう。アメリカとの戦争に敗れ、日本に占領軍として来日したマッカーサー総司令官の武力を背景に押し付けられて出来たのが現在の憲法である。国際法では主権のない状態の時に憲法などは作ってはならないとある。対米戦争は4年間で、占領期間7年というのも歴史的に珍しいが、欧米のドイツとかフランスとかの敗戦経験豊かな国々は、講和締結と共に、さっさと占領中のあらゆる法律は憲法も含めて、国民主権の無い状態であり無効であると廃止宣言をしている。日本も昭和27年の講和条約締結時に廃止宣言をポーンとすればよかったのだ。然し、当時の日本指導者は気骨を失い、開国以来の敗戦ですっかり負け犬となっていたのだ。国民もそのあたりの認識も無かった。
あれから60年に喃々とするが、国際法違反の、押し付け憲法を後生大事に遵法している愚かさ。結果的に現憲法通りにするにしても、気分が悪い押し付けの国際法違反憲法は、一旦廃止して自分の気持に忠実なものを創造するのが人間の、或いは民族の意地というものではないか。その意地すら見えない戦後の日本である。そして、改正反対、反対と叫び、憲法成立の根本背景を無視する愚かしさ。いつまでも国際法違反の憲法を遵法する愚かしさ。
このように、出来た法律を後生大事にする国だから、米国も中国も韓国も、日本は国内的に一旦法律が出来たらバカみたいに守る国だと確信しているのであろう。だから、19世紀のように、恫喝して強引に言いくるめなくても、日本人自らに国内法を成立させた事とすれば良いとなる。
この国内法を自主的に作らせるのは簡単だ。日本の政治家とか外交官とか大臣に、色んな手を使えばよい。橋本元総理もそうであった、あれは中国の女性、或いは金品であろうか、そして彼らの国益になるように、陰に陽に担当者を言葉で脅して国内法にしてしまえば永久に旨い汁が吸えるということになるのではないか。特にアメリカ・中国は日本に対して巧妙のように思う。知らぬ間に、日本はアメリカそのもののような、アメリカの国益に貢献するような諸制度が国内法として完成しつつある。それに至る間の外交交渉で、文書に残らない恫喝・脅迫が存在していると思わざるを得ない。担当者が体を張って断固ノーと言わないで、ずるずると国益を喪失しているケースが大多数ではないか。これは中央・地方を問わず公的職務従事者に多見され国益が消失している。宮沢総理は、大蔵大臣の時、米国財務長官のサマーヅが一喝したらすぐ態度を変えたと、米国メディアが報じていた。
こんな処に見えない国益喪失が存在する。先月の本欄で記した米国の日本政府当て「年次改革要望書」などにより、斎整粛々と国内法が実現し国益喪失が、大多数の国民の知らぬ間に進んでいる。
憲法にしても、国際法違反の東京裁判にしても、総理大臣とか外務大臣が、あれは国際法違反であり、占領中の主権なき時の法による裁判であり死刑である、日本政府・国民としてこれは到底容認できないと、国連総会に於いて、世界に堂々と廃止宣言すれば、一挙に解決し戦後の自虐史観も霧消する。法理論を精緻に固めてやればいい。大臣か総理の一人や二人は犠牲にならなくては日本国家は未来永劫根源的に浮かばれない。政治家とか外交官は命懸けが必要で、それは覚悟の上の絶対不可欠な要件であろう。国家国民のために彼らはそれなりの覚悟を要す。  

五、「自虐」に関する一考察

平成16年12月10日 日本海新聞潮流

現代の青少年を、包括的に、社会的に、歴史的に見ると、目標を失った人間のように享楽的に見える部分がある。功なり名を遂げ、老化して日々好日の如く、或いは小成に甘んじて肥満となり、覇気の無い壮年のようでもある。我々の青少年時代には社会に、確かに目標があり、坂の上には青雲がたなびいていた。現代日本は完全に爛熟し、あらゆるものが自由、豊富で、がつがつしなくていい面が彼らにも影響し腐臭さえ漂う。
つらつら思案して見ると、どうもその原因が、それだけではない様に思える。
「偉大なるものに近づこうという心は、同時に自らを反省し、至らぬ点を恥じ、懼れ、自戒する。尊い、高いものを仰ぎ、感じ、憧憬し近づきたいと思う。これが敬の心である。敬という心は、尊い境地に進もう、偉大なるものに近づこうという心である」
こう言われたのは故安岡正篤先生である

私は、この安岡先生の言葉にヒントがあると思う。人間には、敬されたいという心が本源的に存在する。同時に、先ずは敬するものに近づき模倣したいという欲求、それが創造へと進むのは人間生来のものである。動物には存在しない。物質的に満たされても、どんなに地位が低くても、貧困でも、敬されたいという精神的なものは存在する。個人段階では容易に理解できるであろう。自分が敬されたいと思うなら、先ず自分が相手を敬しなくては巧くいかないのは自明のことである。
さて、敗戦日本は、戦勝国の歴史的通弊であるが、彼等のカラクリを信じたままで、日本が戦前にとてつもない悪い事をしてきたと、戦後教育がこれを主眼に教えて子供を育ててしまった。
2千年の日本歴史の真実を教えないで、僅かの期間の、偏ったものだけを注入しすぎた。その結果、戦後の多くの日本人が、誇りに思い、敬される日本だと思わなくなったと思われる。
そんな人間集団ばかりだとすると、一体全体、その国の人間達はどうなるか。敬するもののない人間集団は、何をしてもいいこととなり、自暴自棄となり破廉恥なことも平気でするようになるのではないか。今は没落しているが、自分の先祖は立派な人で、世間から尊敬されていたと親から聞けば、心の隅にそのような人間にならねばとか、恥じないようにとか考えて自省するのではなかろうか。
これを日本国に置き換えるとよく分かる。戦後日本は、余りにも戦前の、有史以来の日本国の誇り得る歴史的人物の業績を、親も学校も教えていない。だから、子供達が誇りを持って見習うような敬する祖先を知らないから、今日のような事態になったのではないか。戦後の自虐的な在り様に起因すると結論を出さざるを得ない。
松江藩の著名な藩主、松平不眛侯は、嫡孫の少年が訪ねて来た折、全く対等な接遇をされ、敬語も使われて応対されたという。少年と雖も人格への敬意である。これを受ける孫は、あの偉い祖父の藩主が自分に対してきちんと接遇されたら背筋がぴんとして、それに応えようとするのが人間だ。人間とはそのようなものである。
日本国は有史以来、他国に比して遥かに凌駕する人物を輩出している。世界に誇り得る人材、発見、発明、歴史を有する。これをきちんと子供に教えないから、今日のような自虐的な現象が発生することとなった。要するに、わが家、すなわち日本には、ろくな先祖がいないからと思っているから、子供に矜持の心が育たない、故に恭謙なる誇りも生まれない。これでは、他国に劣る精神の青少年ばかりとなるのではないか。
日本人の先祖や歴史は世界的に見て、他国より優れている、伝統も素晴らしいものだと、誇りに思えば違ってくる。他を見下すことでなく謙譲が基本だが自意識が高くなりいい効果を生む。
自国の伝統文化、歴史を尊重する国民は他国からも尊敬される。それはアイデンティティが確立しているからだ。

日本人の培ってきた伝来精神への先祖がえりが解決の要諦だと思われる

 

六 大切にしてゆきたい年号

知れば知るほど深い日本文化

私は86歳となるが、この歳になっても知れば知る程、日本文化の深さに感動を覚えることしきりである。近年、日本文化のレベルの高さ、そして深さ、また人間生活に根付いている為、来日外国人の見聞により、更にその素晴らしさが世界に拡散しクールジャパン即ち凄い日本と言われる背景である。
その究極のクールジャパンが芸術、なかんずく仏像であろうと私は確信する。

仏教はインドに発し、北は中国大陸、南は東南アジア諸国と広まり日本が終着国である。日本の仏閣にある仏像だけ見る日本人は仏像とはそんなものと思っているかも知れないが、仏教伝播経路の諸外国にある仏像と比較して見るがよい。

日本人の手になる仏像の、芸術性だけでなく、精神性の高さ、窮極は興福寺にある運慶作の無著像だと私は信じているが、この慶派を筆頭に日本の仏像レベルは神を見る思いである。
東大寺を建て仏教の隆盛した天平勝宝時代、この元号の魅力的なことよ、これで時代的特徴を髣髴と理解できる。明治というだけで日本の躍進時代を見事に想起させる、飢饉と言えば天保、元禄と言えば討ち入りは日本人の常識である。
世界はキリスト教の西暦が主流だが1703年と言ったって何の事やらだが、「時は元禄14年3月14日」となると誰でも討ち入りを思い出す。
元禄と言えば、討ち入り、江戸文化爛熟の世相を想起する。
これが日本の年号の素晴らしさであろう。年号は日本文化の根底を成す。現代日本人は、世界に冠たる伝統日本文化を大切にして行く責務がある。その最たるものが元号である。
近年、お寺の暦も元号でなく西暦を筆頭に使用する、無意識なままでは日本文化が廃れる。

本当に心して大切にしてゆきたい元号である。       

七、大臣と言う呼称は時代錯誤

     平成9年11月18日 日本海新聞潮流寄稿

一、    言葉とは不思議な魔力を発する。議員と言えばよいのに先生と言うし言われたがる。大臣となると麻薬にかった様なものらしい。考えてみればこれ程古色蒼然たる言葉は無い。今日迄よく使われてきたものだ。私はかねてから大臣と言う呼称は大時代錯誤的なものだと思っている。社会の風潮を俯瞰するに政治が余りに悪すぎる。諸悪の根源と思える。
政治は最高の道徳と言ったのはアリストテレスだが人間社会で政治の道徳律が高ければどれ程社会の規範となり良い影響を社会に与えるか計り知れない。国会で政治家は嘘の見本市を日々テレビでやって見せ政治不信を招いた。政治悪の原因と現象は多々あるが大臣が派閥順送りとか年功序列とかで任命されると国家の損害は甚大だ。年功序列は民間では既に過去の産物である。政治の世界では人事の原則である適材適所が機能不全の様だ。親方日の丸の議員と行政の世界が旧態依然としており効率が実に悪い。その原因の一つに大臣病があると思える。大臣、おとど、大いなる臣下。
二、そもそも大臣とは大宝律令即ち七百一年に出来た我が国最初の律令発布の時に制定されたものだ。大納言とか中納言も一緒に出来ている。更に申せば身分制度が完成し国民が良と賎に二大別された時の産物である。さすがに太政官と言う呼称は明治18年内閣制発布の時に廃止されている。敗戦後五十年、民主主義先進国と自覚する現代で尚残っているのは現代の一大不思議ではないか。大臣に相応しい品性と実力の無い人々が汚職とスキャンダルにまみれて如何に政治不信を招き国政をマヒさせたか。その弊害は頂点に達していると言うのは言い過ぎであろうか。古色蒼然たるこの呼称に魔力がある。
三、要するに
大臣と言う呼称は時代錯誤である。
呼称制定の時代、政治は支配階級の為のものであった。現代の政治は国民の為のもので主権在民の民主主義国には不似合いである。                 
政治は国民の安全保障と国家の維持発展の為のものだ。その最終責任者の呼称は常に国民への奉仕を意識するものであるべきではないか。
かかる観点から官公庁の事をお上とか役所、公務員の事を役人と言うのはいかがなものであろうか。なにげなく使用しているが元々は民が官に対して卑しいからいけないのだ。大臣初め公務員総て国民が命懸けで稼いだお金で国民が雇用している公僕との認識を高めたい。
その他、官庁が使用している用語の如何に陳腐で大宝律令時代を彷彿とさせる言葉が使用されているか。国民感覚と乖離した意見を総理以下官僚が述べる事があるのは彼等が太政官時代そのままの意識でかかる用語を使用しているからではないかと思いたくなる。少しは改善されて来たが用語が国民の一般感覚に馴染むものに早く徹底する必要がある。これはマスコミ自身も敏感に対処すべきだ。
私は日本の伝統が破壊されて行くのを深く悲しむものの一人であるが大臣の名称は時代錯誤だと訴えたい。
古き良き時代の日本の伝統は皇室に残しておけば良い。我が国の草創は天皇を中心とした歴史であり可能な限り残すべきだが主権在民の現代、大臣の改称を実現する時期が到来していると思う。官庁用語改変のオンブズマンが出来ても良いのではないか。政治、行政全般に亙り国民の一般常識に沿ったものが生まれて来るのではなかろうか。

八「教育がないでしょ」

平成15年8月1日 日本海新聞潮流

一、ある対談。
韓国の国際的著名弁護士
「かって私は日本人はたいしたものだと尊敬していた。凄いなと思い怖かった。自分の国が百年かかっても敵わないと。然し今は、これっぽちも怖くない、畏敬の念は薄れた」
なぜそう思うのか。
「教育がないでしょ」
東大も京大もまだしっかりしているじゃないか。
「そういう意味ではない。日本に伝わっている大切なものを捨て、子供に伝えようとしていない。私の子供は人前でも礼儀作法や親に対する姿勢がしっかりしている。日本人は日本人を捨てようとしているのではないか。-後略。
これは評論家雑賀孫一氏からの引用である。

二、米国は日本との戦争に勝って、中世はザビエル時代から国際的に評価のある、均質で秩序正しく徳性が高い、間違いなく優秀な日本人を弱体化させる明白な政策を持って日本を占領し武器を背景にそれを実行した。それは日本の伝統文化の全面否定である。その一つが国歌・国旗や神道など伝統文化の否定である。それを戦後の無知な政治家・政党・マスコミ・諸団体・文化人等が、現在でもそのまま受け継いで煽動60年、案の定、冒頭の韓国人発言のようなテイタラクの日本人となってしまった。たかが一度戦争に負けたくらいで、民族の拠って立つものを簡単に捨てここまで従順に戦勝国に靡くのは情けない。立ち直りに暇がかかりすぎる所か、元も子も無くしそうである。米国では大統領の演説時に大衆は起立し、国歌を歌う時は胸に手を当てて敬意を示す。それは幼稚園から中・高校まで毎朝の行事があるからだ。どの国も至極当然の事だ。日本では、それすら反対してやらないから国民統合のシンボル、国歌・父国へ敬意を示さない子供たちとなってしまった。米国の占領教育政策は戦後人の刷り込みとなって植え付けられて大成功。子々孫々までこれが続こうとしており、日本民族は換骨奪胎された。未だにそれに気づかない勢力が存在するとはまさに亡国現象だ。

三、伝統的な問題はさて置くが、戦後は道徳とかモラルと言うと顔をしかめ拒否的である。まして修身とか倫理などは古語のように使用すら憚られる感じがする。冷静に知的に考えれば、人間として極めて大切な要素であり堂々と語られ理解を深め合い人間の素養として家庭も教師も組織も最重要課題として論じていい筈だ。戦後60年、今なお、心が占領されたままだから上述のような発言が外人からなされる。子供を持つ親も教育する立場にある方々もこの韓国人弁護士の発言を当然だと思われるでしよう。それは戦後教育が知識教育に偏重し、人間としての徳育がないとの指摘です。日本人の誇るべきものが消滅した。恥ずかしいし情けない。これでは国際社会で浮き草の国民として軽蔑される。

四、さて本論である。世界のどの国も自分の国だけでは生きていかれない。企業も個人も、互いに助け合い、補完しあって生存するのがこの地球上の動植物であり人間も例外ではない。共存こそ生存の原理である。21世紀には益々地球的規模で共存の原理を高めなくては国家も存立が難しい。私は道徳とかモラルとか修身が嫌なら「共存のためのルール」という普遍的な呼称にして徳育教育を急がなくてはならないと確信する。共存には自己以外の万物に対する慎しみが基本であり、それこそが究極の優しさであろう。それが日本の伝統的本質でもある。戦前派の人間はそのルールを自己完結の形で多少の違いがあっても各人が保有していた。

五、そこで、提案だが、道徳という言葉に抵抗があるなら、せめて、「共存ルール」として、真剣に子供たちに教えたらどうであろうか。責任を伴わない自由放任が野放しで見るに耐えない。もっと積極的に、子供達に我々が依って立つ矜持ある伝統や父祖の歩みを伝えられないものか。占領政策で完全にスポイルされたままでよいのか。敗戦によるアメリカン・マジックの麻酔から早く目覚めて欲しい、家庭も学校も組織も、日本人なら心底では願っていると思うだけに歯がゆいのである

第六章 西洋は野蛮じゃ

平成15年2月4日日本海新聞潮流 

「予はかってある人と議論せし折、西洋は野蛮じゃといいしに、否、文明ぞと争う。否、野蛮じゃと畳みかけしに、何と、それ程申すにやと、そこで文明ならば未開の国に対して慈悲を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左に非ず、未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍なことを致し己れを利するは野蛮じゃと申せば、相手はやっと納得せしなり。」

西郷隆盛の言葉である。アジア、アフリカ、中南米の原住民は有史以来、生地で平和に生活していた。それをこの五百年間に亘り、植民地化、奴隷化、殺戮をして彼らの土地、資源を奪ったのは白人。彼らはゴッドの名の下に、鉄砲と十字架で交易を迫り無知な民族を彼らの法で恫喝、搾取し富を略奪した。南北米洲、アフリカで黒人を奴隷とし一億人以上殺したと言われる。英国による豪州原住民、アボリジニ狩りは二十世紀初頭だが数百万人。
白人の歴史教科書にこの事実は書かれておるまい。人類の"正世界史"があれば、この事実を書き記さなくてはならぬ。
幕末日本は最後に残った国で、勇敢で賢明な先祖は幕藩体制を無血で維新し対抗。明治以降の諸経過は省略、敗戦前後の彼らの手法を検証する。
先の戦争の大義は、白人植民地であったアジア諸国と手を組む共存共栄の目的があり大東亜戦争と称した。太平洋戦争とは敗戦後、米国占領軍命によるもので、日本が太平洋に進出し恰も侵略者であったとする米国の狙いが込められている。
米国による東京ほか百十二都市大空襲による無差別市民爆殺二十万人、自宅焼失者二百万人、原爆一瞬死二十万人、後遺症十万人。彼らの植民地化の手法と相通ずる残虐性を痛感する。
ちなみに、韓国と台湾は日本国民そのものであって白人植民地と同列に論じられない。
ソ連は日本降伏を知ってから日本との不可侵条約を公然と破り満州や千島列島に侵入、現地での悪逆非道さは火事場泥棒同様で無法拉致抑留、強制労働六十一万人、死者六万人。
彼らは国家として恬として恥じるとか罪の意識、謝罪はついぞ聞かない。ドイツ・ナチスによるアウシュヴィッツ虐殺は最低百十万人、六ヶ所の絶滅収容所合計は五百万人を越えるユダヤ人が殺された空前絶後の殺戮で肉食白人のやる事は歴然と違う。
彼らの野蛮性の本質は西郷隆盛指摘の通りで、この五百年間変わっていない。
掠奪資本主義の市場経済と酷似している。
野蛮論は戦争論に帰着する、米国との戦争と中華民国との戦争は別に見なくては正しく見えない。日本は中華民国と対峙し戦争は終結した。中華民国と対峙していた時、内乱軍の現共産党が日本と中華民国双方に同時闇砲撃し両者を衝突させ本格戦争に突入させた。その後中華民国は台湾に敗退、内乱軍の現政権が相手となる。我国はこの複雑さへの対応を強いられてきた。
戦争は狂気であり双方が残虐行為をしておるが南京問題は中国流の白髪三千丈式で東京裁判では問題となっていない。
日本は米国に戦争をしかけられ国家生存の為に戦争をしたが強靭であった。勝利した米国は日本占領中、再び日本が立ち上がり復讐できぬよう徹底的に日本国解体をしかけた。
その戦略は日本文化、歴史伝統、日本精神の否定であった。日米戦争四年間に対し占領期間七年の異様さがそれを示す。本来、戦争は目的そのものではなく外交交渉の一端だ。和平の機会をものにしなかったのは無念至極。
戦争は双方が残虐となるが勝者の原理が爾後の歴史を支配する。戦争は正否の問題ではない、相対的であり、事実の直視と主張が必要だ。
米国と講和後、対外的に余りにも言うべき事を言わないで伝来の精神まで捨てた日本は国家として将に風前の灯。民族の歴史、伝統、精神、国家意識を喪っ
たら永久に立ち上がれない。敗戦酔夢からの覚醒が遅い。現状でいいのか、日本人よ。

 二千年の文明

平成15年3月5日 日本海新聞潮流

「日本は開闢より、いままで数千年になりたることにて、すでに人々も礼儀を知り、文明国というべし。ただ日本にて急務とするは、百工技術法律なり、いかがとなれば、欧米各国に後れたることは、右の事件のみ、教法は決して他の宗旨を採用せずともよかるべし、日本古来の教法にて足れり」。
要するに、欧米には技術と近代的法律が後れているだけだ、国民の礼儀も宗教も他国から学ぶ必要はない、既に二千年の成熟した文明を持つ日本だ、の意である。廃藩置県のあった明治4年、1871年の維新早々、国の骨格を研究する為に欧米諸国を歴訪した使節団の一員、佐々木高行の言である。
鎖国三百年にしてこの高邁なる洞察と認識であり、絢爛たる西洋文化に触れても、自己を確立しおり日本人のアイデンティティは微動だにしていない。それ故に、欧米国民は、日本人は、我々が未開で裸で暮らしていた頃から政府も法律も勝れた文化芸術国であったと認識し畏敬心を持った。礼儀も正しいしマナーもよい日本の武士、淑女に感動している。
それから126年後の平成9年、ブレジンスキー元米国大統領補佐官の言葉、「日本は事実上の米国保護国である」。保護国とは、実質的な属国である。
なぜ、そうなったか、国家の安全が米国依存である上に国民の精神が自立、独立していないからだ。独立には自尊の精神的な要素が絶対条件である。
現今日本の現状はと言えば「敗戦後60年近くなるも日本国としての自己を確立せず、国の威厳もなく、道義無き隣国からは国民を拉致され、政治家も国家も25年も放置して国民を守らない。中、韓両国からは内政干渉される。米国押しつけ憲法の改定論議も遅々として進まない。
二千年の文明国たる所以も誇りも知らぬ、礼儀知らずの壮、青少年が巷に溢れ、物質中心の米国文化経済の怒涛に翻弄され、アイデンティティなき流浪の民の様相」を呈している。佐々木高行のあの矜持は、今いずこへ。
開国以来二千年、血と汗で作り上げた日本国の現状は惨憺にして無残な様相で先祖様に申し訳ないではないか。なぜ、このようになったのか。
つらつら思うに、この百年間に大きく二つの段階がある。
最初は、明治の西洋かぶれである。佐々木の指摘を忘れた浅薄な舶来至上主義、言い換えれば物質至上主義が日本伝来の質の高い文化を容赦なく駆逐した。而れど、精神遺産は形無きが故に生命が長く、今日近くまで細々と残っているが戦後60年にして風前の灯と言い得る。
そして第二は、決定的な対米敗戦後で、米国の物量思想に席巻されてしまったままだ。明治の精神的遺産もあと僅か数年の寿命であろう。ここらで日本人たるアイデンティティを断然回復しないと、未来永劫、たぐい稀な人類の誇りうる日本の二千年も戦後の経済繁栄も消滅は間違いない。
なぜ、ここまで日本が落ちたのか。
①精神面では、自国の歴史に誇りがない上に国史すら学ばない。そして米国流物カブレに尽きる。
②国の歴史に誇りがないから、戦勝国米国が最高に見える国民が多い。技術以外は日本のほうが文明度は高いと欧米文化を喝破した人物もいた明治初年であったのに西洋思想に飲み込まれ敗戦後は更に怒涛の如く米国にのめり込んだ。

米国は国内で拳銃保有を許す非文明。外国ブランドを盲信するが日本の技術は世界最高レベル。各般に亙り日本人のレベルは高いのに自分を見下げ、自虐し国の誇りを捨ててしまった。それは日本国自身を知らないが故である。
叉、国民が欧米人の本質を知らなさ過ぎるのも大問題。ナイーブな日本人とは純情、純粋に非ず、お馬鹿さんの大甘に近い。
その欧米諸国、英国現王室の開祖は1066年、アメリカ独立は1776年に過ぎない。米国は英国から独立、英国王室の先祖は海賊であった事を誇る。
重要人物のVIPはVERY IMPORTANT PERSON、海賊が略奪し輸入、IMPORTしてくるから重要人物という。そう、欧米は世界を植民地と化し、搾取、略奪の歴史を5百年続けた。将に略奪資本主義
といえる。

三 日本の人類史的意義--巨視的世界歴史観を持て

平成15年11月3日文化の日  日本海新聞
世界は西洋から始まり西洋が普遍的で日本は特殊と思っていないか。ここらで日本人は頭を冷やして巨視的に、世界歴史を地球規模で見直してみる必要がある。
世界史をコロンブスのアメリカ大陸発見から今日迄の5百年を鳥瞰すると人類が歩んだ歴史が明白に見える。
歴史のスパンを5百年の長さで、地理的空間をグローバルに観察してみる。ここに人類の歴史の真実が手にとるように浮かぶ。このスパンで見た歴史的真実の延長線上に先の大東亜戦争を位置付けて見ると日本の存在の人類史的意義が明白に見える。
この巨視的な歴史観で見れば、近年の隣国の雑音など微細なもので人類の歴史の本質から程遠い。
この5百年間の世界侵略の主役、
16世紀はスペインとポルトガル、17世紀はオランダ、18世紀は英国とフランスが主役でロシアが加わり19世平成15年11月3日文化の日 紀になると彼らは一斉にアフリカ大陸で植民地争奪戦をやり線引きで領土を切り取った。アフリカ原住民は白人の奴隷商に狩り集められ家畜として売買され米国の労働力にさせられた。
19世紀中頃には世界の目ぼしい領土は殆ど白人の植民地になっていた。幕末にはアジアも全て白人のもので、残っていたのは日本であった。これは歴史的事実である。もし人類の創造主の手元に正史があれば記録されていよう。

幕末の日本は虎視眈々と、東は米国、北はロシア、西は英国とフランスが食指を延ばしていた。だから日ロ戦争勝利の意義は極めて高い。不幸だが朝鮮半島の日本併合はこの人類的視野で記憶されるべきであろう。白人の世界制覇を阻止したこの対ロ勝利の人類史的に意味する日本人の勇気と気概は子孫に伝え白人との交際で忘れてはならない。和魂に洋才こそが望まれるのである。
欧米人でも知性ある人物は存在していた。
平成3年「日本傷痍軍人会代表団」が元敵国、オランダを訪問した。アムステルダム市長主催親善パーティで市長は実に良心的で大東亜戦争の真実を述べた。
「貴方がた日本は、先の大戦で負けて、勝った私どもオランダ人は勝って大敗しました。今、日本は世界一、二を争う経済大国になりました。私たちオランダ人はその間屈辱の連続でした。即ち勝ったはずなのに、世界一の貧乏国になりました。戦前はアジアに本国の36倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄耀栄華を極めていました。今のオランダは日本の九州と同じ広さの本国だけとなりました。あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流してアジア民族を解放し、救い出し、人類最高の良いことをしたのです。日本の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、或いは洗脳され、悪い事をしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って見つめる必要があるでしよう。本当は白人が悪いのです。百年も三百年も前から競って武力でアジア民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて永い間奴隷的に酷使されていたアジア民族を解放し、共に繁栄しようと理想を掲げて、大東亜戦争という旗印で立ち上ったのが貴国日本だったはずです。本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人です。日本は敗戦しましたが、アジアの解放は実現しました。即ち日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わりました。その結果アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。」
忘れているのは愚かな日本人だけだ

四 砂漠の神
平成16月10日 日本海新聞潮流

一、砂漠の神とは、唯一神教のことで、旧約聖書の預言者、アブラハムの一神教であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教などである。唯一絶対神で他の神々を排除し、その存在を認めない。砂漠の宗教とも呼ばれ、これら一神教発生の背景に中近東の過酷な自然がある。砂漠の民は生きる上で、明日の十円より今日の一円であり、持てる者から貰うのは当然の民族性がある。他の神々とは他民族の事とすら思える。
ローマ法皇が数年前に、この二千年間で初めて、過去にキリスト教が行った歴史的な迫害を認め謝罪した。欧州の民族大移動、十字軍など、言葉はいいが、実態的には他民族の侵略に外あるまい。同様に、米国の西部開拓の言葉など正義づらの雰囲気だが西部侵略に等しい概念にすら私には思える。
現今中近東諸国の抗争を見ると、本当に人間とは哀しい、なんと言う愚かな存在だろうとさえ思える。殺し合い、せめぎあいは絶えることがない。個別の事情は理解するが、何とかそれを乗り越えられないものかと思うのは当然だ。
乗り越えられないその背景にこの唯一絶対神の宗教原理があると私には思える。一神教が異教徒を殺してよかったのは歴史的事実である。勿論現代は、そのような事は言わない。然し、信仰の自由は当然だが、このような一神教の原理では、抗争は途絶えることなく連綿と続くのではあるまいか。目には目を、歯には歯をだからである。テレビなどで見ると、どうしてあの国の人達は自分たちの国の為に心と力と手を合わせて住みやすいように、この際、宗教宗派意識は別にして生活安定の為に立ちあがらないのかと不思議に思う。
自分の立場を越えなくては全体の安定には決してつながるまいに。彼らの汗して働く姿が映らない、してもらうだけのようにさえ見える。日本人なら自らの立場を越えて団結するに違いない。そのような民族的、風土的なものが日本には存在し危機的状態には宗派、思想、イデオロギー等を超えようとするに違いない。
二、尊敬する哲学者、和辻哲郎の名著「風土」から引用する。
“砂漠における遊牧人間は自然の恵みを待つのではなく、能動的に自然の内に攻め入って自然から僅かの獲物をもぎ取る。これは直ちに他の人間世界への対抗と結びつく。自然との戦いの半面は人間との戦いである。この戦闘様式は古代から常に砂漠的人間の特性である”“部族の敗北は個人の死であり、各々は極度に力と勇気を発揮しなくてはならず、感情の温柔さを顧慮する暇のない不断の意思の緊張、即ち戦闘的態度が不可欠である。”と。
一神教の本質を鋭く喝破している。この民族の精神的特質、思考、宗教、国家制度など全て砂漠民族の生活条件から生み出された過酷なもので、温暖な環境で育つ我々には想像を絶するものがある。
三、日本の土着信仰は「カミ」である。私は、唯一絶対神、即ちゴッドと弁別するために日本の神をカミとする。一口で言えば日本のカミは、森羅万象への感謝のカミである。日本の自然は温和で、四季もあり湿度も充分あるから30年経過すれば禿山も放置のままで完全に森林は復元する。だから、砂漠に何千年生きてきた人間と大違いの民族気質、慣習、伝統が生じてくる。有難い風土の日本である。
日本人が優しいのは、この風土の産物である。見るがいい、日本猿の可愛いこと、蜘蛛でも、亀でも、魚でもこの風土に適応したものは一律に温和なことが分かる。熾烈な環境の砂漠や熱帯地方の動植物の原色とは大いに違う。だから、外国の動植物や種を日本に無闇やたらに入れると、土着のか弱い動植物は弱肉強食されて絶滅の危機に瀕する。
これは人間社会とて同様で、昨今の国際経済・政治情勢とよく似ている。これらから、元来日本人の本質は島国でもあり、平和共存である。故に土着の信仰であるカミも森羅万象、大自然の恵みに対する感謝の宗教となっている。日本のカミには砂漠の神のような敵対的なものはない。これが日本の基礎原理であり、私はこれらを含めて「日本の原理」と呼んでいる

五 重光葵氏&イナ・バウワー

平成18年7月3日 日本海新聞潮流寄稿  

日本はポツダム宣言を受け入れ連合国に降伏した。重光葵は敗戦時の外務大臣、昭和20年9月2日、日本代表として戦艦ミズリー上で「日本降伏文書」に調印した。米軍は日本に命令文を手渡し直ちに「軍政」を施行すると通告した。
翌日、重光葵はマッカーサー司令官と直談判し日本はポツダム宣言を受託して降伏したが軍政の事は記載がないと受け入れを拒否した。マツカーサーは恐れを感じて軍政をやめ日本政府を通じた間接統治としたのである。
大日本帝国の威信と(とう)()を飾る迫真の交渉であろう。
敗戦直後の8月28日、米軍先遣隊が日本に上陸、この日から9月2日までの6日間、米兵の物品略奪、婦女暴行は130件、当時の報道機関は臆する事なく報道した。政府と報道機関と国民は一体であり敗れたりと雖も「和魂」は国内に充満していた。
これを見た中華民国外相は軽視できぬ日本の国民性に畏敬と親近感さえ示したが米国人は日本の不屈の姿を見て報復への恐怖と薄気味悪さを感じた。
それからである、占領軍が国民と報道機関の分断作戦を開始したのは。これは遅効性毒薬のように効いて60年後の今日、日本人は国史を放棄し祖先の偉大な精神と事績を忘れ、彼らの意図のまま和魂無き日本人になってしまった。
現今日本は完全に米国製毒薬で麻痺した姿であり祖先の血の滲むような国家経営の事跡に申し訳ない国状である。
重光氏は、その後A級戦犯として投獄され禁固7年の判決を受けた。釈放後の昭和31年、日本が国連加盟を果たした時も再び外務大臣であった。新生日本代表として国連総会に初登場した時、重光は万雷の拍手で国際社会から歓迎された。軍政を敷くつもりが間接統治となったのは重光が彼らに理を持って反撃したからである。
アングロサクソンを観察してきたが、戦前戦後とも否、彼らは本質的に物の尺度に二重の基準を持っていると断定する。指摘されれば猛然と怒り憎むが指摘しない限り彼らはきれい事の普遍的理念を平気で主張する性質があり篭絡されてしまう。重光は敢然と理路整然と主張し成功した。だが、これには当時まだ日本軍350万が厳然と存在したからである。あらゆる外交には「力」があってこそ効果があるということだ。
二重の基準を持ち欧米が適宜その物差しを変えるのは外交だけではない、経済で日本が大成功した60年代以降、銀行の新BS基準で遂に日本の銀行も経済も追い詰め崩落させた。宮沢蔵相が米国財務長官に恫喝され態度を一変するなど国益を損じ重光と比較にならぬ軟弱。
スポーツも同様、あの荒川選手のイナ・バウワーの難技、日本人が出来るとなると採点から除外したのである。これが欧米の手法である。
幕末、ペルーにより恫喝されて準備の欠けたまま開国し万国法という白人の都合のいい法律を呑まされて日本は明治末に陸奥宗光外相により解決するまで不平等に痛めつけられた。銀本位制の幕末、彼らに裏をかかれて大量の金小判も国外流出した。
近年は実業日本の経済大成功の成果を、マネーという虚業の狡猾な情報操作と恫喝で金融資産を(かす)め取られた。最近は更に巧妙で、ひ弱な日本の政治家・政府官僚を手玉にとり日本人自らが国内法を彼らの国益に沿うように作りあげている。
日本人が和魂を喪失しあらゆる分野の司、司、即ち持ち場持ち場で身体を張って守るべきものを守らないから国家は弱体化した。近隣諸国もそれを知り内外呼応して日本に加圧している

六 日本文化は平和文化                  

平成27年1月6日日本海新聞「私の視点」

敗戦後、廃墟の中から立ち上がった日本、現状を総合的に戦勝諸国と比較して見れば、日本の素晴らしい発展と進化の現実に目を見張る思いである。

なぜ日本が常に発展し日本文明が世界中へ大きく流れ愛されているのか、それは日本民族が大自然を神様として崇(あが)めている事と無関係ではない。別の言葉で申せば、日本民族は、地球の原理と共に生きているからだとなる。

大自然の根幹である太陽を天照大神とした祖先の英知に感動する。欧米の原理、即ち大量生産・大量破壊の原理が極限に達し地球破滅へ誘導している。地球の乗組員である人類は、今やその地球の反撃報復が日に日に迫り大災害を受けつつある。

日本人の「もったいない」、東北大地震と大津波での被災者の姿勢は世界を驚かせた。日本人の生活の在り様が世界に向けて流れている。外国人に「クールジャパン」と言われる現象が起きているが、日本文化の原理は大自然の原理であり人間性に合致しているからである。最近の若い人ほど、肌感覚で、本物の日本の分かる日本人になりつつあるように思える。それは、日本の原理が理解されてきたからであろう。

伊勢とか出雲の遷宮を見て日本歴史の素晴らしさを理解してしまった。出雲大社の若い神職が、自分の先祖は天照大神の次男の後裔(えい)ですといった。日本の神は人間なのである。神話の国かと思いきや、ノーベル科学賞受賞者は年々増え最先端技術国として更に進化発展している。

このような素晴らしい日本人、私は、今こそ、「世界に教える日本」となっている事を特筆大書する。日本文化は「平和文化」であり「世界平和に相応しい文化」だと自信を持つべきだと申したい

第五章    

一、凛

   平成17年9月5日 日本海新聞潮流 

凛とするとは、凛然、凛呼としたさまを言う。りりしいことである。五月の節句は男の節句で男の子を祝うものだが、武者人形にその、りりしさが見られる。戦後は、女性時代となり、お雛さまの節句は大々的に報道もするし各地の雛祭りもあるが男の節句は少しも印象が無い。男女同権なら、人間は男と女しかいないのだから、男の節句も同様に盛大にやって欲しいものである。余談から始めてしまった。
その凛という言葉を最近よく眼にしたり耳にしたりする。それは、日本が国家として、凛々しくあって欲しいというような所から来ているように思える。それは、近隣諸国から、余りにも言われ放題、され放題で、国家としての体をなさない、なさけない様相に国民が心底、苦々しく怒りすら覚えているからではないか。凛として欲しい、その凛々しさは、武者の姿ではなく、精神の気概、在り様のことを指摘している。凛然とするには、先ず精神の独立と、自己の内面的確立が不可欠である。自尊自立が背景に必要である。他に依存的でなく、軟弱でないことである。それは取りも直さず、日本が軟弱だということである。
現状が当たり前になっているが国家・国民の安全を自ら守る事を放棄し、戦後60年間、米国に依存している事は日本人の独立心欠如と大いなる関係がある。国家は個人が家庭を守るように、国民共々協力して安全確保が必要だが、それを米国に依存している。これは還暦を迎えた日本がいつまでも一人前の自覚も自尊も独立も放棄した状態に等しい。
人間でも、男女を問わず、風貌でも、凛々しい人には精神的な爽やかさも覚えて好印象を受ける。美醜によるものではない、少々顔は悪くても、精神が優位にある人は風貌に現れる、醜が消えて見える。巷間に凛然という言葉を盛んに耳にするのは、日本が剛毅に欠け、軟弱なことの反映であろう。
米国とか中国の報道官と日本の官房長官とを対比すると分かり易い。国家を代表する官房長官のあの眠ったような眼差し、発音、厳しさに欠ける風貌、これは日本のイメージを悪くする。新進気鋭のものに欠ける。その点、米国とか中国のそれは、青年のような溌剌たる気迫を受けるし聞くほうも迫力と鋭さで強い影響を受ける。能力の問題ではない。それらは、外国との交渉に強く現われるであろう。理解の出来上がった関係なら兎も角、外交では、緻密で、人間的威圧もあり、無愛想なほうが良い場合があるし、概してそうである。
日本を代表するのは総理を初め、大臣、そして与党の幹事長等の政治家である。彼らは、常に日本国としての威信をかけた言動が必要だが、私の見る処、国家の矜持に欠け、気概・気迫の精神もなく、徒らに媚びて相手に擦り寄るようにさえ見受ける。
いい事例が、去る5月に、中国を訪問した与党両党の幹事長である。中国の外交担当首脳とか主席に、なんの用事で訪問したのか。国際法を破る非礼な国の主席に、こちらから出向いてお説教を賜る構図に国民は苛立ちを覚え我慢ならないのである。
会談したとしても、堂々として、憮然として、伝統のサムライ魂を相手の肝に銘じさせて欲しいのである。野党第一党の党首は、無法国家・中国寄りだと発言し擦り寄るのだから国民は益々ストレスが溜まる。これでは、対等外交の先駆者の聖徳太子が嘆かれる。
明治初期、欧米を歴訪した岩倉使節団の重臣は、白人をして感銘を与えしめた程、堂々とし、凛として尊敬を得たのである。いかなる時代であろうと、対外交渉の際には国家を背負う、民族を代表するという気概を見せて欲しいのである。無礼な国に対して安易に迎合し自分を失う必要は豪もない。
凛とするには、自己に厳しさが必要、それ故に他から尊敬も受ける。
ただ国家には中国・韓国・北朝鮮のような非礼な国があるから国民は日本政府が真摯、敬虔且つ豪胆に凛とした外交が可能なように声を出して応援しなくてはならぬ。与野党議員の自らの国を貶めるような言動は断じて許してならない。

二「武士道」抄論

平成16年7月1日日本海新聞潮流 

サムライというアメリカ映画がヒットしてから町の書店に武士道の本が沢山並ぶようになった。この傾向は日本人には、どうやら情けないが身についた、生まれながらのもののようである。欧米人に認められてから自分の国の持つ価値観に目覚める。ブランド物を買い漁る根性と瓜二つである。なんとも、いやはや、主体性に欠けることではある。それは、この国の持つ悠久で文明度の高い歴史を本当に学ばないからである。
さて、その武士道、明治時代に新渡戸稲造が滞米中に英語で書き下ろしてルーズベルト大統領を感動させ、日ロ戦争で資金不足の日本を支援させた原動力でもあった。それは世界の指導者階級を唸らせたからである。日本の武士道は元々、成文化されたものではない。然し、戦前の日本人には、精神的徳目として殆どの人に婦人も含めて、大なり小なり内臓されたものとなっていたと思う。家庭でも学校でもいつの間にか教えられ身についたもので、日本人の道徳の光源なのである。
婦人は社会的な存在ではなかったが、妻或いは母として、最高の尊敬と深い愛情を受けていた。これは武士道と表裏の関係で、武士夫婦は複本位制と理解すべきであろう。我々昭和一桁世代の内奥にはこのサムライ精神の片鱗が残存している。この武士道精神の凄さ、素晴らしさの故に明治維新以来、日本があっと言う間に欧米に伍することを得たと確信する。
それを知悉しているアメリカ占領軍が日本を二度と立ち上がらせないために武士道を「反動的で権力者のための御用道徳」と難癖をつけて禁止したのである。その占領政策が完全に奏功して日本は現状のような亡国的様相を呈してきたのである。
では、武士道とは何か、その本質は「精神的貴族」である。

徳永流に纏めてみる。
一口では難しいが先ず浮かぶ言葉は「恥を知る」であろうか。「武士の情け」あるいは「渇しても盗泉の水を飲まず」「名を惜しむ」「卑怯であってはならぬ」「潔くあれ」「ウソをつくな」「弱い者をいじめるな」等を思い出して行くと、なにやら現代政治家やら国家中枢官僚に最も欠けているものばかりではないか。元々は師表に立つ武士の徳目なのである。
明治初期の指導者は欧米視察をして「英・米・蘭などは町人国家なり」と喝破して、道義国家日本としての矜持を高く持ち欧米人より精神文明度に於いて進んでいると自負していたのである。私は、先の戦争の開戦、戦争を和平に持って行かなかった大失敗、そして10年前のマネー戦争の完敗は何れも国家を三度滅ぼしたに等しいが、すべて政治家と国家中枢官僚に起因すると信じている。彼らのサムライ精神が欠如し現場感覚を喪失して机上論で対処したからだと確信する。現場感覚なきトップの企業は破滅または衰退しているのは市場経済の現代にも当てはまる。
名外相、陸奥宗光に見る如く、明治の元勲達は、幕末の死線を乗り越えた野性味溢れる現場感覚の分かる人たちばかりであった。戦ってダメとなると潔く方向を転換、その変わり身の速やかさが見事で颯爽としていた明治の元勲。
その元気の根源がサムライ精神である。
それは
①命をかけた使命感。
②名でもない、利でもない。
③自ら正しいと思う志の為に命を懸ける。
④道義を第一義とする。

これらが武士道という思想の根幹である。何をやるにも命懸け、責任の取り方も命懸け。命が懸かっているから自然と迫力が出る、勇気が出る。現代政治家の最も欠けている精神である。これが武士道なのだ。
その精神を言い換えると
①仁であり
②義であり
③勇であり
④礼であり
⑤信である。
更に言い換えると
①仁とは慈悲であり
②義とは正しいことであり
③勇とは義をなすことであり
④礼とは思いやりであり
⑤信とは誠である。
将に、人間至高のモラルであらう。最高の道徳でなくてはならぬ政治とは、このようなものに拠って立ってこそ国民の信を得るのである。

三「衣食足りて礼節どこに」

平成28年3月1日  日本海新聞視点

子供の時から体で覚えた格言「衣食足って礼節を知る」。中国の古典「菅子」にある、「倉稟(そうりん)()ちて、則ち礼節を知り、衣食足って則ち栄辱を知る」が出所である。倉の中に物が豊かになると人々は礼節を知り、衣食が十分足りて来ると名誉とか恥を知る、の意。だが現実は全く逆で、戦後日本人は欲望の自制を喪失している。

日本人は戦前と比較すると、庶民も昔の王侯貴族のような物質生活をしている。物は満ちあふれているが、礼節はいかに。子供に教育する立場の、物に困らない教員が教科書の選定に金銭を受領し関与していたのには、あ然とした。「節」を失った聖職者=人間基礎教育者としては失格である。彼らは恥を理解していないようで、農耕民族の「みんなで渡れば怖くない」の通りである。

メディアも朝から食べ物の話題ばかり報道する。歩きながら食べる。大口開けて食べる。口の中に食べ物を入れたままおしゃべりする。そして親からキチンと教えてもらっていないのであろう、箸の持ち方の奇妙なタレントや人々のなんと多いことか。我々の世代の日本人は、みなそれは大変に行儀の悪いことと言われていた事ばかりである。おもてなし日本と言うが、世界に冠たる清けき伝統日本はもはや廃れている。

古代、大ローマ帝国がなぜ滅んだのか。国民に無料でパンとサーカス、すなわち食料と娯楽を与えたことが滅亡の一因となり、人間堕落の象徴とされる言葉になっているが、なんと似ている現代日本か。

人間は動物に違いないが精神を持つのは人間だけ。単なる動物とは異なる万物の霊長だとの教育をしなくては、人間たる尊厳の自覚が出来ない。単なる給料取り化した教員たちの教科書問題関与を見て、暗然たる思いを持ったのは私だけではあるまい

四、ただ公私の間に在るのみ

平成14年11月1日 日本海新聞潮流寄稿 

世間のほとぼりが冷めた現在こそ冷静に新しい歴史教科書問題について考えて見る必要がある。昨年、反発ムードが大マスメディアとかに見られ世間を騒がせた。当時、私の個人的に知る教員、公務員、一般国民の殆どは採用賛成だなと思った。その時、ある方から次のようなお手紙を頂いたことすらある。[身近な人と話をしてみると、某新聞などに代表される左翼的な考えを支持するのは、案外少ない。夫婦別姓にしても、近所の奥さんなどほとんど反対です。在日外国人に対する、国籍条項撤廃も地方参政権付与も大抵反対です。首相の靖国参拝もほとんどが当然という答えでした。担当公務員が反対する理由は韓国との関係を悪くするとのことでした。私は一般国民と教育関係者、政府、行政関係者、マスコミ知識人との間にかなりの乖離があるような気がしてなりません。しかし一般人は中々声を上げませんし、その手段を知りません。そのため行政、教育関係者などは大新聞、テレビなどの声を国民大衆の声と思い込んでいるのではないかと思います。]と。
今年8月15日、愛媛県の新設県立高校で新しい歴史教科書を採用する事が決定した。愛媛県教育委員会も県知事も採用の主体性を徹底的に貫いた。妨害に対して県警の保護さえ受けた。この間、反対派は動員して騒いだが昨年と全く反対の現象がおき賛成多数で採用された。昨年は多くの国民も各界の人たちも殆ど無関心で、その隙を反対派が声を高くして騒いだわけだ。今年は愛媛県民の方々が関心を持ち立ち上がった為に賛成多数となり採用されたのだ。それは次のような結果である。

愛媛県の今年の署名活動の結果は賛成411,934人、反対32,284人。
ちなみに、昨年は署名活動は無かったが、採用賛成198通、採用反対2038通。今年は賛成4749通、反対数1622通。

一目瞭然の結果であり、上述の書簡が洞察した通りの結果となった。県民の良識が発揮され日本国民としての主体性、子弟教育権、国家の主権も守られた。
これは当然の結果であり国民の大多数の気持ちを反映しているものと思われる。多くの人々が意思表示し行動したからこそこの結果が得られたと思う。反対、反対と世間を賑やかし騒ぐものが必ずしも多数の意見とは限らない事を明快に示した。愛媛県民は日本人としての良識を示した。これは、指導者である知事を初めとする関係当事者が国民の声なき声を見極め、胆を据えて、日本国民としての主体性と見識を堂々と発揮し行使すればこのような結果となる事を証明したと言える。素晴らしいというより至極当然だ。
この問題の本質はここにあるからだ。教科書は他国から指弾される筋合いは毛頭ない。愛媛の結果から昨年度を類推すると、関係当事者の勇気が無く、騒ぎ立てる、即ちノイズイな少数派―マイノリティに負けて、大切な国民の主体性と教育権を放棄し国民主権に恥辱を与えたと言える。地方でも国家的なこのような大切な問題は、日本の未来の為に堂々と怯む事無く対処していかなくては国家の未来を誤る。関係当事者は心して信念と勇気を持って欲しい。
明治初頭の不平等条約で明治の国民が苦しみ、それを解消するのに20年以上もかかった。教育の結果は後遺症が百年に及び国家を危くする。当事者は己に負ける事で再び子孫に同様な苦しみを残してはなるまい。
外国との交際は国の安危に関し、交渉の能否は国の栄辱に係る、と言ったのは明治4年の欧米使節団長である。外交の本質を喝破している。日本人は奥ゆかしくて声をあげないから、中国とか韓国が巧妙に動いていると思う。国際化の時代こそ他国に主権を侮辱されないよう特に公的当事者は勇気と信念と気概を以って国民の尊厳を守ってもらいたい。さもなくば日本国が日本国でなくなる。国家とは物でも金でもない、国民一人一人の精神の支えで成り立つ。師表に立つ関係当事者の心の用い方一つで、国を亡ぼしあるいは国を興す。
それは心の持ち方の公と私との差から起こる。「一心以って邦を喪うべく、一心以って邦を興すべし。只だ公私の間に在るのみ。(近思録
) 

第八章 マスメディアの怪

一マスメディアの怪

        平成10年6月3日 日本海新聞潮流
朝は新聞を読む事から始まる。わが日本海新聞やインターネットを含むと六ー七紙は読む。日本海新聞は先般の境港線問題でも公平に見て反対意見を積極的に掲載した。社主自身も記者として記事するなど姿勢が極めてオープンで主張が明快である。全国紙に見られない。田村記者が特報を書きまくりその見識の高さが反響を呼び同時に特別扱いだと反応があった。その批判的投稿も感心するくらい載せた。主張が明快且つ男性的気概に溢れ編集も毅然としている。だから記者諸氏の論調にも青雲の覇気が漲ってきた。特報効果で鳥取もガヤガヤと面白くなった。
私はオピニオンリーダーとしての大マスメディアには失望している。踏み込み不足が多く且つ真の勇気を欠いている。全紙ではないが国内外の長いものに巻かれており勇気も無く知性の追求が及び腰だ。そして国民全体の利益を守る事をも諸般に亘り躊躇しているように感じる。何が言論の自由かと思う時もある。自社の利益が頭にあり過ぎて社会の木鐸性を放棄し一部の国民にこびている。ここを越えて知の啓発をしなくては欧米に追いつけまい。
九州旅行の時、駅で新聞を買うがおかしいなと思うのは五大紙の産経が無い事だ。キオスクが悪いのか事情は知らぬが知る権利が侵されて何が言論の自由か。新聞協会が問題にしていい。
商業主義の為に一部巨大スポンサーに関するニュースとか批判が見られぬ事が多々ある。
憲法でも結果的に現憲法通りになるとしても戦後五〇年で時代は激変した。被占領時代の憲法を自由に論議すらさせない一部の石頭にはバカバカシクなる。知性を放棄している。国民を愚弄している。タブー無しで大いに論議しなくては英知は生まれないし前進も無い。ここにマスメディアの欺瞞と偏向がある。ドイツでは戦後度々修正している。これでは戦前の憲法以上に不自由だと云わねばならぬ。
長野オリンピックで日本人が優勝した時、国歌と国旗掲揚の際に英語ではその旨放送し乍ら日本語では団体の歌、団体の旗と放送したらしい。こんな欺瞞があったのに私は産経の江藤淳氏のコラムのみで知った。知らぬ人が多い。おかしい。マスメデイアも言わない。これが言論の自由か、言論制約だ。大マスメデイアはご都合主義の報道の自由だ。そんなメデイアは誰も信じない。ゴシップメデイアとも言われているのだ。国民が馬鹿にされている事と同じ。戦前の軍部の統制と変わらない。戦前は国民の意識もマスコミも未発達で政府を十分監視出来なかった。今日かかる言論制約をするマスメデイアはより悪質と言える。
一方で欧米の格付けビジネスのお先棒を無批判にかつぎ日本経済を自虐したマスメディア。不勉強なマスメディア、彼らは本質を良く考えないで目先の現象のみを追いかけるだけだ。
人権問題はバランスが大切だと田村記者が特報で述べたが全く同感だ。被害者の人権無視は甚だしいものがある。ジャーナリストの桜井よしこ氏が講師で招かれ乍ら中止したのは神奈川県か、あれは言論封殺だ。取りあげぬご都合主義。
未放映CM料を詐取した某民間テレビ。いい加減なものだ。騒げばカネになる彼等の本質を知れ。
沖縄の基地問題。沖縄新報の編集局長とか一部社民党議員が基地の一坪地主であるが報じない。利害関係ある民事被告人に一方的に相方の企業批判をさせるセンスの大マスコミ系週刊誌だ。沖縄でも陰に民の声も多かったが反対一色に報道する不公平は大マスコミの見識の無さか偏向か。一知事に日本全体の事を左右されてなるものか。
これでは国家はバラバラだ。敢えてこれを意識させまいとする力が働いている。大マスコミにこれらの不透明な作用が存在すると思っている。表面に出ない所で論じられているのであろう。
欧米の主流世論を適時適切に報道し島国の情報閉鎖性を克服する工夫が足りない。政治家公務員、動燃の如き外廓団体同様責任者不明の大マスメデイア。ナンセンスに近い週刊誌群。新聞も個性的でなくては魅力に欠ける。日本海新聞のような地方紙が本音を言って面白い。市場経済同様、冷静にマスメデイアを批判する眼を育てなくては社会悪化に加担してしまう。 

二 反発を招く恐れがある

平成13年9月6日 日本海新聞潮流
一、表題はNHKテレビを始めとして大マスメディアが外交案件の交渉過程で一様に書き立てる言葉である。卑近な事例は新しい教科書が出た時である。中国、韓国の反発を招く恐れがあると直ちに報道した。
日本国の教科書は日本国民が自ら主体的に検討して作成し子孫を教化するもので他国に相談したり遠慮して内容を決定するべき性質のものではない。国家の本質的主権に属する。中国、韓国はそうしている。
私も歴史はよく読んでいるほうだと思っているが、その私でも、今回の教科書を先ず丁寧に読んで、他の教科書と比較し吟味検討を重ねた上に発言しなくてはとてもコメントできない。本当に大マスメディアの諸君は、あの時点で熟読玩味し総合的に内容を検討し、日本人として主体的に判断した上で報道しているのであろうか。まして、他国民が、よく読んで他の教科書と比較検討した上の発言なのか。疑わしく到底そのようには思えない。
二、次に表題の言いようである。外交とは、相手の主張に言いなりになるものではない。国益のために当初は、相手の弱点を突いたり威嚇したり自国の国益に沿うように恫喝さえし、権謀術策を駆使して折衝する。侃侃諤諤のやりとりは当然である。当初から、相手国の反発を招く恐れがあるとの大マスメディアの安易な発言は相手国に当初から同調するものであり日本国の利益にならない。ナイーブ過ぎて担当記者は外国の心理的呪縛に嵌っている。当初から相手を恐れては国益は守れない。この言いようは相手国の基準とか原則が主体となっている。この表現は当初から相手国に擦り寄り相手国に同調する態度である。
これでは日本人を相手国側の立場に誘導する意図があるとしか思えない。米国のマスメディアは時に政府の主張に賛同しているが、日本の大マスメディアはやらない。相手国に遠慮が過ぎるのか、臆病で勇気がないのか、偏向しているのか。政府に反対するのがさも進歩的のように思う習性は幼児性に近い。大マスメディアには日本国の公器としての自覚が欠けている。多くのサイレントな国民はそれ程バカではない。中国は凡て官製メディアの共産国だし韓国も政府主導が多いのを良く知っている。
三、殺人事件が多いが、よくもあれほど繰り返し、繰り返し事件の詳細をバカではないかと思うほど事細かにテレビは報道し続ける。一週間くらい大マスメディアがやり続けるからマネする人間が出てくるのだ。報道の自由というが、真の意味を履き違えている。悪事を淡々と垂れ流しのように報道するだけである。
これはイケナイ。社会として、日本国として、日本人として、人間として、明快に悪いことであれば、これは悪い、恥ずかしいことだとか、やつてはならないとか言ったタメシがない。そう言えば社会への一つの示しとなる。善事も悪事もただ垂れ流すだけの印象を受ける。悪い事は悪い、良いことは良いと明快に言って欲しい。是非善悪の確かでない子供たちに良い影響を与える。
四、中国人の悪事が頻発しているが、国内治安保持上、日本の大マスメディアとして断固として悪事を排斥しようというものが全く無い印象を受ける。ただ単に報道の垂れ流しである。こんな報道態度は直ちに止めて貰いたい。これでは日本は外国勢力にズタズタにされてしまう。領海侵犯など、日本国の主権を断固とした大声で中国に主張して良い。
数年前の金融危機の時にも、米国の格付会社のお先棒を担いで無批判に格付結果を報道し日本経済を自虐し大企業倒産の端緒を作ったように、国益の観点が大マスメディアには乏しい。そして責任をとらない。
五、外遊という言葉がある。私はそれは昔の話で外国に観光の旅に出ることだと思っていた。小泉総理が仕事で欧米諸国を歴訪しても外遊と報道しているが、如何なものであろう。少なくとも遊の文字は不要である。
六、8月15日の敗戦の日に靖国神社に参拝する閣僚に対して、よくも二十年間も同じ質問を性懲り無くし続けてきたものだ。おざなりでない、もっと気の利いた、歴史観とか、宗教観とか、日本人の死生観、哲学とか深遠なる形而上的な問答をして欲しいものだ。これこそ究極のマンネリだ。奇しくも中国へ援助を開始した頃から騒がしくなったのは興味深い。
七、長野県知事が報道部屋を廃止したが当然だと考える。記者クラブは一種のカルテルであり独占の排他的なものであり、談合に等しい。これでは報道の自由もない、勉強不足の馴れ合い報道になる所以だと言ったらお叱りを受けるであろうか。
進歩的と思っていた大マスメディアも一皮剥けば、古色蒼然たる外務省のような非合理の世界にいる。これでは、国民を世界的視野での啓発など無理というものだ。地方紙の日本海新聞は上述に該当しないと思っている。市場経済の世界に大マスメディア自身も馴れて貰わねばならない

三 消えた言葉

日本海新聞 潮流寄稿 平成16月1日

世間で「革新系」という言葉を使用しなくなって久しい。戦後一貫して一昔前までは、社会党とかの、所謂、革新系がさも日本の未来を開く時代の趨勢であるかのように使っていた。
九年前の私的メモ「日本社会党潰瘍痕」がある。
“最近は一般大衆まで周知の事実となったが、戦後の日本がこの病気にかかっていたことは明白だ。国民という医師が明快に病名を指摘しないので自然死を待つしかあるまい。あの衆議院議長になられたお方は、その革新系の最たる存在であられたが、ご自分の党が戦後一貫して国会で、座り込みとか、反対、反対と大混乱させていたのをお忘れであろうか。情けない国会だと多くの国民は思ってきた。そのお方が政権党、民間感覚で言えば窓際の係長が一気に会長様になられたようで違和感を覚えました。案の定、政権与党となられても鍛錬不足でした。矢張り一国を統治するにはそれなりの人物・哲学、現実感覚、治世経験が必要だと国民も再確認しました。社会党は、反対のみ唱える政党だったが政権党になったここで、お得意の歯切れの良さで、戦後の社会党の主張は間違っていたと言えば、日本のジャンヌダルクとして、燦然と日本歴史に輝いたでありましょうに。この社会党を称して「革新系」と戦後ずーと言い続けてきた大マスメディアのミスリードも指摘したい。流石に、今更使用できない程、戦後日本の革新系なるものの、思考と頭脳の硬直性は明白で今や風前の灯である。社会党は、陳腐な憲法を始めアメリカ占領軍命令による諸制度を頑迷固陋に守り続けてきて消滅した。”
それでは、「保守」とは何か、私は「自らの民族、国家の良い歴史、伝統を守りつつ時代の趨勢に賢く合わせて改革前進」するのが保守の概念だと思っている。決して、保守は封建と同義語ではない。
社会党の議員でもあったあの佐藤観樹、国家公安委員長を経験しておりながら、太った豚のような風貌となり国民の税金を詐欺という泥棒をして一億円も貯めこむテイタラク、夫婦とも捕まったが当然の帰結。この方も付け刃のデエジンでした。国民が支払ったお金を詐取したのだから、レッキトした大泥棒だ。
あのお偉いお方の秘書も佐藤と同じ手口、辻元とやらも詐欺泥棒だったし、あの偉いお方も国民年金保険料を初当選以来全く納付なし。庶民の味方だ、革新だと言いながら裏でこんなザマがあの革新政党の舞台裏だったんだ。
どこかの、労働基準局や警察も詐欺のような手口で堂々と公金を裏金にする、国民の税金で飲み食いするのだから、泥棒と同じでやりきれない。返金したらいいと言うような性質のものではあるまい。
政治は最高の道徳でなくてはならないのだ。最近は、嘘は泥棒の始まりとの俚諺を変更して、嘘は国会議員の始まりとでも皮肉を言いたくなる。真面目に生活している庶民は心から怒りを覚える。
これでは、日本国家も社会も絶対に良くならない。為政者、師表に立つ人達こそ襟を正して良い見本を国民に示して貰いたい。
中国の首脳や他の外国の国会議員が、将来、日本という国は消滅する、とまで言っている。
国が無くならないためには、二千年の歴史ある国民が伝統・歴史を大事に自らの拠って立つ歴史的、固有の精神を取り戻すことが必須である。本来ならば、わが国は、ここらで鎖国して外国との交際を避け、自省する時期である。沈思黙考して自ら省み、自分を見つめ直す、自己の原点復帰が肝要な時である。江戸時代とか、昔の独裁時代なら、鎖国を選択したであろう。無防備な日本人となっている。

四 新聞週間への提言

ジャーナリズム精神を

  平成13年10月16日 日本海新聞
抽象論、一般論は避け具体的且つ直裁に提言する。
一、中央紙、21世紀は文明の衝突の時代と言われるのに無国籍化し国益の観点が抜けている。サイレントなマジョリティも嫌悪感すら抱いていると見る。ノイズイなマイノリティの意見が主流となっている。経済教科書と言われるが広告ばかり目立つ某紙、人々は気づいている。
早朝は先ずインターネットで外国紙を読みダウ平均も確認。翻訳ソフトで瞬時に読める。国内各紙も一応読む。9時過ぎ喫茶店で購読3紙以外の4―5紙に目を通す。眉唾をして誘導されないぞと意識して読むものもある。再販問題もあるが、新聞はタブーに挑戦し本音で語り魅力あるものにしないとインターネットに喰われる。
民間経営者は背任罪で逮捕されるし倒産するが行政は永年に亘り責任をとらぬ事なかれが今日の危機を招いた。各紙はこれらのテーマに対して追求が情緒的過ぎるし持続性がない。国民のレベルは大変高いのにグローバリズムに突き進む日本の新聞として物足りない。それは本音を語らず、真実に眼をふさいでいるからであろう。政治、行政、外交、宗教、教育、防衛、外人の犯罪等々あらゆる面で指摘できる。国会問題など不毛に近い。
米国の追及はポイントをついている。世界の現実の厳しさに関して孤島の民の啓蒙、啓発などこれでは無理というものだ。日本ムラの新聞にとどまってはならぬ。記者クラブなど護送船団に外ならない。銀行のそれや給料を非難して自らを正さぬのはいかがなものか。犯罪の詳細報道は慎むべきだ。言葉のマンネリも指摘したい。先日、青森県に滞在した折、狂牛病で給食に牛肉を使用しない学校が増えたのに対して同県教育委員会が何を言ったか。事態を検討し適切に対処せよであった。それを平気で報道するとは噴飯ものだ。これは新聞も笑えない。万全を期す、とか靖国参拝の質問など、中味の追及が論理的でない。
二、次に地方紙、日本海新聞の特報は効果抜群。田村記者の大新聞にない本音の国際的観点からの論述は啓発的である。一般論だが、社説など毎日掲載しなくていい。真に思いを訴えたい時に載せればいい。署名入りが必要だ。大都市のサラリーマン向け一部地方紙に心惹かれるものがある。これは150円でも売れている。地方分権の迫る今日、地方権力に対する地方紙の健康的な批判力は現状では心もとない。私の眼から見れば溢れる程地方問題がある。
三、行政の審議会とか諮問委員会など、識者の意見聴取に、経済諸団体に所属する人を選ぶ。これでは本質を逸らした議論展開となるのは目に見えているのにメスを入れない。だから国家とか行政の運営が馴れ合いとなる。合理性追求があらゆる分野に不可欠である。国民、消費者としてフリーな立場の利害関係の無い識者を登用すべきである。これを強く主張しないのは矢張り商業新聞であったかという落ちにならないよう真の勇気とジャーナリズム精神を発揮願いたい。それが今後の新聞の生きる道ではないか。

五 これでは、してやられる

平成16月1日 日本海新聞潮流寄稿 

わが国は民主主義国で、言論と出版の自由以上の言いたい放題、やりたい放題の感すら受ける。自由には、一方で社会的義務があるが、この義務に就いては、しない放題に見える。日本では、総理、政府、政党、政治家に対して批判は自由。マスメディアも言いたい放題に近い。多くの商業誌はご都合主義で、国益観念などサラサラ無いに等しく、彼等の商業主義、イデオロギー、背後の胡散臭さを嗅ぎ分けながら、我々は真実に迫るべく情報とか報道の真贋を見分けなくてはならぬ。大マスメディアは民間企業だが記者クラブという、情報入手の談合のような、横着な、切磋琢磨の欠ける、時代錯誤のものもある上に、思考、論調に合理性、論理性、倫理性に欠けナイーブ過ぎて世界の先端を行く知性的大メディアとは少しも思えない。とに角、日本には明快に、政府に束縛されない民間なるものが厳然として存在する事に誰も異存はあるまい。
中国とは二千年間、交際の歴史があり親しく交流しなくてはならない。処が、現今中国には、日本のような民間なるものは全く存在しないという事をしかとご存知であろうか。中国政府の役人でなくても、貿易をしている人でも、どんな中国人でも必ず、中国共産党のどこかの組織に帰属している、これをすっかり忘れて日本の民間人のように応対しているのが我々日本人。
中国に居る日本人記者達は、報道に関して中国政府の厳しい統制を受けている。軍事問題の動向、政治、政策の真実追及など、隣国として大変関心の高い問題も日本の大マスメディアに殆ど登場していない。なぜか、中国は自由貿易国のような印象だが、自由な市場原理はなく国家統制がある。外国特派員は、中国人と同じ場所に住めない、特定の場所に住む事が義務であり
24時間武装兵士がその出入り口におり普通の人は入れないし日本人特派員の助手、翻訳者の採用も中国政府派遣の職員を雇用させられると言う。彼らは公安要員と見られる。
要するに中国に報道の自由はないどころか統制されている。当局が認めない限り自由な取材は不能。中国国民は外国の新聞を直接に読む事は許されていない。日本と中国の両国を比較して見ると、中国の情報は極めて一方的なものである事がよく理解できる。中国は、政府の方針を日本人にドンドン広めて都合のいいように日本の大メディアを操作できる。
余程、骨のあるメディアでないと中国に媚びている。結果は日本の主体性を捨てて中国の国益に沿う結果を産んで行くことになる。内政干渉されてもマスメディアが反撃しないのはここに原因があると思える。日本が国益を失うのはこの仕組みにある。
中国共産党の組織の一員が来日し、民間のような思いで接する日本人は結果的に中国共産党の意向に沿っているのに気づかない。このような図式が私には見える
大マスメディアがジャーナリズム精神を持ち、共産主義国に対しても米国に対するようにやればいいのだが、ボイコットされるのを恐れ自社益の為に、国益を捨てるという構図が見て取れる。
自由な米国には偉そうに言うが、中国とか北朝鮮の核問題には臆病な大マスメディアの裏にこれがあると思える。自由な米国には悪し様に言い、中国のような国には、押し黙るという不甲斐無い日本の大マスメディアや与野党の政治家等がいる事をシッカリ認識しておこう。教科書、靖国問題でも、大マスメディアや一部政党が中国寄りになる背景の一つにこれが在ると思える。
反対に韓国では、日本の大マスメディアは大事にされているらしい。それ故であろう、竹島が歴然とした日本固有の領土であるにも拘わらず、日本の記者が積極的に報道しない原因がどこにあるか分かろうというものだ。中国とか韓国の問題、以前は北朝鮮もそうであった、真実が暴露して誤魔化せない事態となって北朝鮮擁護を転向した大マスメディアや一部政党、背後に共通しているのがご都合主義と勇気、国益意識の欠如である

第九章 国語と神 

一、イスラエル建国の秘密

平成16年5月22日 日本海新聞

中近東にイスラエルと言う国がある、ヘブライ語を喋るユダヤ人の国である。古代史を見ると、ユダヤ人は悲惨な迫害の歴史を持つ民族で、奴隷にまでなり、放浪の民と言われた。ユダヤ人放浪は数千年。古代ローマ大帝国の後、ビザンツ帝国、セルジューク朝、十字軍、オスマン帝国などの支配を受け、近代まで祖国を失った民族で、世界中に離散していた。それが昭和23年、第二次大戦後、突如、米国の支援により墳墓の地・パレスチナにイスラエル国を建国した、実に数千年振りの国家回復であった。

考えて見るがいい、数千年間世界中に分散し放浪していた人間が一挙に建国が出きるものであろうか。そのキーワードは「国語と神」である。ユダヤ人は世界中に分散し放浪生活をしていても「民族の神と、民族の言葉」を各家庭で数千年間、きちんと子孫に伝え続け守っていたからこそ、一挙に民族国家が成立できたのだ。もし、彼らが、国語と民族の神を忘れ去っていたら民族集結・国家再興は不可能であったろう。

このように観てくると、民族の言葉、民族の歴史を守るということの重大性が理解できる。国際化の進展する現代、勿論、通商、政治上、外国語は必要であるが民族の言葉、歴史、文化、即ち、「日本語、国史」は確実に伝承しなくてはならぬ。我が国は二千年の歴史を持つ国、その素晴らしい日本文化は滔々として世界に拡散し、賞賛されている。多少の改善は漸次復活しているが戦後教育を俯瞰すれば極めてお粗末、国史の言葉さえ学校教育で消滅している恐るべき現実がある。「劣化した日本人」の根拠はここにある。忘れてはならぬ、国家とは、民族の精神に他ならない。   

二、風土

平成17年10月4日 日本海新聞潮流 
ノーベル賞創始者ノーベルはダイナマイトを発明して巨万の富を築いた。火薬のダイナマイトがなぜ巨大な富を齎したか。欧州は氷河に削られて岩盤が露出し、破砕しなければ住宅も耕作も不能であった。欧州の北緯はロンドン51度、パリー49度、ノーベルのオスロは60度、樺太の北海域と同様である。東京36度、札幌44度、いかに欧州が北に位置するか。太陽のイメージある南欧、モナコ、ローマ、ナポリも北海道辺りに過ぎぬ。欧大陸や北アフリカは岩盤や砂漠だから地中海に微生物が注がれず魚介類が貧困。日本近海の魚の美味い秘密が分かる。
日本の主要都市はエジプト・カイロ等の北アフリカ圏の緯度だが、あちらは雨がなく砂漠地帯。世界には砂漠・草原・森林・灼熱・極寒・熱帯・温帯と様々な国がある。
日本はサンサンと太陽が注ぐし、抜けるような冬の青空もある暖温帯。ロンドンの冬はスモッグで陰惨に近い冷温帯。その上、日本は多湿であるから緑は豊富、大地は堆積土であり稲作に適し、四季もあり人間の住む環境として誠に恵まれている。
彼我、この違いある風土で何万年も生きておれば、大きな格差が人間の気質や肉体に生じる。
イスラム教・キリスト教・ユダヤ教は過酷な環境から生まれた宗教。砂漠では立ち止まっては餓死する、移動し食物を求め生きて行く狩猟・移動牧畜が生活の基本。星辰を頼りに人間の群れは一人の力強いリーダーに従うしか生きて行けない。
ここから彼らの原理が生まれる。砂漠で生まれた宗教は唯一絶対神、異教徒を排し、絶対の信仰を捧げ、歴然たる排他性、差別性を歴史に記録している。彼らの神々は血の滴る生贄をお好み召さる。清浄と新鮮野菜を好まれる日本のカミとは大違い、神に民族の本質が現われる。所詮、人間は風土の産物。
彼等は農耕で食べられないから、海賊行為、他地からの略奪で手っ取り早く幸福を掴む。京大元教授、会田雄次氏は「彼等は略奪が最も一番豊かになる方法で、優秀な人間がやる企てであると考えていた。英国の王家は先祖が海賊であった事を誇らしげに宣伝している」とまで言う。狩猟民族は動物の捕獲に、罠とか囮をかけて騙して捕え、おびき寄せる技術に長ける。彼らのマネー、市場経済原理と同根。牧畜・遊牧は絶えず動物を殺して食べ、血を見て暮らす生活。日本人は家族同様の牛を明治以前は食べなかった。クジラを食べるのが残忍で牛を食べるのは残忍でない彼等の発想。獰猛、残忍性はこの過酷な環境で生きてきた証し。英語・中国語は、主語の次に動詞が来る、これは行動性を示す砂漠の民の証し。日本語は終わりを動詞で締めくくる。
世界の富を求めてコロンブス以降の白人が世界に進出、19世紀は日本以外は殆ど植民地と化し本国は栄耀栄華、白人以外は人間種に非ずと、一億以上の黒人を虐殺し黄色人種を差別した。
その白人に敢然と立ち向かったのが明治の日本人。だが日本は、このように野蛮な欧州に憧れすぎて、世界史は欧州から始まったような教育を明治以降進めてしまった。米国建国時、星条旗の星の数は13州、今や50州、これは侵略による併合の証拠。歴史は国により相反する理解があって当然、米国の初代大統領ワシントンは英国では領土を奪った人間として教科書に書かれている。それに対して互いに何も言わない。国の歴史を相手国の主張通りにするのは属国か、隷属化する事と同様、民族に対する重大な背信である。
この五百年間、白人の物質・物量思想、私は「西洋の原理」と呼んでいるが地球生態的に最早や限界に達しつつある。眼には眼をの復讐思想、これは唯一絶対神の原理であり、有史以来のイスラエル・パレスチナ紛争は到底治まらない。両国の戦争孤児を日本が引き取り共に育て、手をつないで遊ばせ、平和の尊さを無為自然に体験させているやに聞いた。日本しか出来ない素晴らしいことである。
砂漠の民は水が無いから日本人の様に怨念を水で流し和を創るのを知らないのであろうか。人間とはまさに風土の産物である。

第六章   市場経済

一 襲いかかる肉食獣
平成10年1月26日  日本海新聞潮流

明るい紺碧の海が眼下に広がる離島の草原。生い茂る青草をのどか

に食んでいる小動物の群れに、飢えた肉食獣が襲いかからんとして

近づいている。ビッグバン、本物の資本主義、市場経済到来を迎え

る日本の印象である。

百鬼横行の国際金融マフィアに果たしてウブな日本は対抗できるの

か。韓国を見るがいい、無残とも言える。国際資本と言う獰猛な禽

獣に食い荒らされて狩場の様相を呈している。勿論本質的な問題点

も抱えていた。

昨年末、金大中次期大統領は国際ヘッジファンドのソロスと面談し

た。投機資本だ。昨年マレーシアのマハティール大統領は自国通貨

を食い荒らされ彼を非難した。米国の現国務長官は直ちにソロスは

良い事もしているとかばった。この阿吽の呼吸が凡てを物語る。ド

イツの新聞は韓国に関してIMFはマネーを供給して資本開放を強

要し米国資本が銀行、企業を安値で乗っ取っていると報じた。IM

Fと米国は一体だ。

千九百八十九年頃三菱地所がニューヨークのロックフェラービルを

千二百億円で購入。九十五年に不動産不況で三百三十億円で買い戻

された。ウブな日本を感じた。

  千九百九十年日本がピークの頃、米国CIAは報告書に言う。グローバル経済の中では金融の強さが唯一の拠り所。日本から金融覇権を奪還せよと戦略を説いた。

  九十年‐九十一年湾岸戦争の頃、ハーバード大学ハンチントン教授は米国には最早や軍事的脅威はない、米国を脅かすのは日本経済である。安全保障上の問題であり今世紀中に片付けねばならぬと強調した。

九十三年頃ワシントンのアスペングループは日本経済は米国を脅威にさらしている。日本にクツワをかけ馬具に結わえてしまえとも言った。
以上三点、米国の凄まじい国家戦略は大成功。九十七年元大統領補佐官ブレジンスキーは日本を事実上の保護国と規定した。米国の世界戦略に組み込まれた日本。米国と言う世界最大の債務国が大軍事力を背景に権謀術策を駆使して国益を追求し世界のマネーを集め好況を謳歌している。勿論機敏明快な政策発動はしている。日本など小出し後追いの政策発動で国家意志が無いに等しい。騎馬民族と農耕民族、肉食動物と草食動物、大陸国民と島国国民のスケールの違いを感じる。アングロサクソンの本質を見る。
国際金融の巨大な渦、莫大なマネーを駆使して一国の政策とか構造に隙あらば挑みかかる嗅覚。本質は冷血、非情なる策謀を持つ国際マネーマフィア。売り浴びせて投機利益を得る。対抗出来る日本の政治家官僚がいない。国民資産の番人である米国連銀総裁、財務長官と日銀総裁、大蔵大臣達の覇気の違いを見よ。
米国の政治家には金融のプロがゴロゴロしていると聞く。市場原理による市場メカニズムの圧力。日本には対抗する覇気も頭脳もなく国民資産は確実に減価し蝕まれている。
国家の体をなしていないではないか。まさしく町人国家。普通の国を忌避してきた結果だ。英国は侍サッチャーの時、ビッグバンで不況に耐えた甲斐あり今や絶好調。日本には信念と決断力ある政治家は現われぬのか。望みがあるのは一部製造業の技術力。
世界一の金持ち日本がカネで苦しむ。世界一の借金国米国が世界のマネーを牛耳る。どこかおかしい。覇気も信念も無い政治家、国家官僚は有効な対策を断固打てない。ここに真の原因がある。国家として主体性ある国益追求を本気でやっているのか疑わしい。公定歩合引き上げなど米国への気兼ねで簡単には出来ないであろう。国益追求など成り行きまかせではないか。国民は町人国家の悲哀を二十一世紀も味わわねばならぬのか。国際化と規制緩和の結果は益々辛辣となる。既に選んだ道だ。一段と米国化が進むが日本は現状これ以外の選択肢は無い。国民が日本の価値観に誇りを持たぬなら国際化、市場経済の浸透は日本の文化も伝統も思考も気質も大きく変貌させる。百年待たなくても今の日本でなくなっているであろう。

二 通貨の本質

平成16年9月3日日本海新聞潮流 

私はマネーの世界は「虚」であると本欄で屡々指摘している。
「通貨とは、そもそも非道徳なものであり、武器を使用せずして敵国からすべてを収奪することが出来る手段である。従って、通貨は「武器のない戦争」における最大の武器である」、これはアリストテレスの言葉である。
この10年間、マネーと言う虚の世界に於いて、日本は甚大なる国民資産を外資に収奪された。それは先の大東亜戦争の損失の比ではあるまい。その手段は、覇権的為替、株式、情報操作、そして表面には出ないが、政治的恫喝とであったと私は確信する。その勝利者は大覇権国で、国際基軸通貨国のアメリカに他ならない。
その手段が、政治性を極めて高く帯びている通貨・為替である。通貨は近代戦争の強力な覇権的武器なのである。冷戦後、気がつけば世界の金融資産の三分の一を占める金融資産大国となった日本に冷戦勝利者のアメリカが総力をあげて対日金融戦略を仕掛け集中攻撃し続けた。元々、マネー世界は「虚」であり、狩猟民族の長けたものである。農耕民族の勤勉で従順且つナイーブな日本人は、法律の裏を潜られ、幕末に膨大な金小判の国外流出の被害を受けたのと同根である。
国家の安全保障をアメリカに依存している日本の指導者は、冷戦後、分かっておりながら、国益に反すると知りながら、気骨ある合理的反論もしないまま、恫喝されてアメリカの意向に沿ったに過ぎまい。それは小沢一郎氏が自民党幹事長時代にウルガイラウンド430兆円の公共投資を約束した頃からである。かくして10年前「第二の敗戦―マネー敗戦」により遂に日本株式会社は消滅し、多くの日本企業が市場経済の名の下にアメリカ資本の生贄となった。かくして、日本から米国へ還流した日本の預金や、金融緩和による日銀からのマネーが回りまわって米国資本となりアメリカのハゲタカマネーとして日本大企業の大株主となった。
今や日本の株式市場の覇権はゴールドマン・サックスを初めとする外資の意のままとなっていると見る。日本最大のゴルフ場オーナーはいつの間にかゴールドマン・サックスとなっているのが如実な事例である。元々巧みな彼らの国際情報操作で更に自在に日本マーケットを操作できる仕組みとなってしまった。
自国の安全保障を米国に依存しているから、自国のみの経済・金融・為替の安定など国益の徹底追求が不能なのである。この結果、冷戦中の高い「安全保障料」を支払ったのである。
ここに到るまでの責任は、政治家のみではなく国家中枢官僚もそうである。多くの国民は、10年前のマネー戦争が、理不尽で純粋に経済学では解明できないと知っていた。大マスメディアは、彼らのマネー操作手法の一つである「企業格付け」のお先棒まで担ぎ国民を煽動し、いまでも信奉している。メディアは、問題の本質を遂に解明しないままである。
かかる視点から、半世紀かけてEUを統合し、通貨を共通としたことは歴史的大偉業で、対米従属からの政治的、通貨的な米国依存の脱却を試みるもので、米ドルのシガラミ脱出の道を開いた。
米国に巨大な金融資産を保有する戦略無き日本は、何れ朝鮮半島が歴史と地勢学に従い昇竜中国の属領的となるのを既に見込んで反米韓国から米軍を撤退させる。我々数代前の先祖が、歴史的に最も恐れていた事態、即ち、玄界灘が18世紀の幕末以来、最悪の事態たる危険な国境ラインとなってしまうであろう。未来には朝鮮半島等大陸国家との対立すら予測が可能である。日本が大陸勢力の対峙国となる構図である。日本は通貨で完全にアメリカの薬籠中であり、更に地政学的に難しい立場となるが、米国以外の依存先はない。川口軟弱外交に見る如く、わが国は独立国としての体をなしていない。その原因である陳腐で非現実的な押し付け憲法の改正もままならぬ日本は、根本的戦略や国家像を確立し得ないまま21世紀の荒海で漂流を始めている。通貨とて同様である。

三「日・米・中」経済なで斬り

       平成18年3月2日 日本海新聞潮流寄稿 

市場経済に翻弄されている日本は既に貧困率5位と米国2位に近く貧富の差が拡大中、砲弾を使わぬ経済戦争で対米譲歩ばかりに起因する。
日米合同軍事演習で対潜哨戒機の潜水艦発見能力など自衛隊員の技術は格段に米国兵より高いし牛肉検査に見る如く米国民のレベルは総じて低い。米国の政治経済を牛耳っているのは1%に満たない富豪で、彼らは全米金融資産の36%を保有する貧富の差が激しい社会、一例を挙げれば、大企業経営者年収13億円、一般300万円。その米国式経済を押し付けられた日本の指導者が頼りなく、企業への忠誠心、終身雇用などの発展原理を棄ててしまった。医療保険などまかり間違えば米国のように無くなりかねない。十年前、東南アジアで米国人ソロスが投機資金で各国経済金融を荒らしまわり破綻寸前にさせたことがあった。利益至上主義の貪欲、法の隙を見つけて襲いかかる悪辣、弱肉強食のゼロサムはそのまま受け入れてはならぬ。
中国は無宗教でお金が神様、加えて道義無き共産主義がやる似非資本主義、中長期的にこのまま安定的に発展する道理はない。中国は民主主義国が相容れない仕組みと思考を持つからだ。資本主義発祥の英国、その成功はキリスト教倫理が国民にあった。日本は江戸時代からの素養と、民族性である道義があり資本主義の成功は当然。資本主義には個人段階での倫理が必要、中国には皆無の上、共産党ブルジョワの独裁経済運営は間違いなく世界・人類を大混乱に導引するであろう。
先ず、環境問題、途方も無く深刻な問題が数々、時々刻々と国境を越え地球規模で拡大中。世界の石油・希少資源確保の為、テロ国家にカネを撒布、軍事力を背景に世界的乱獲行動が見られ、米中石油戦争は既に始まっており不気味な近未来が予見できる。中国の中産階級は約2億人、まだ数億人の余剰労働力があるが資源は有限であり廉価な人件費だけの経済成長は限界が見えている。
某総合研究所の友人によると、在中国日本企業の利益は制約があり持ち帰れない架空数字の由。国家危局時には対日配慮など一切払わないであろう。僅かこれらの事例でも中国の未来には限界が早々と見える。中華思想なるものが世界の既往秩序破壊者となりつつある現実もある。思想・言論の自由が欠けた経済運営の危うさがこれから表面化し、連動して政治的軍事的圧力を他国に加圧する。
かかる中国に経団連奥田会長、同友会小林代表幹事らは商売をしやすくする為、中国に媚びて靖国参拝中止を総理に進言とは、無礼にして浅慮、民族の魂を売り日本を危険に陥れるもので見識に欠ける。新幹線売却拒否を主張する天晴(あっぱ)れなJR東海葛西会長の識見に劣る。
英国労働党政権、大きな政府ゆえ亡国に瀕した折、サッチャーが(おお)(なた)を振るい経済を再生した。
経済も政治も、主体性を保ちつつ進歩する慎重さが必要だが日本は余りにも米国流になり過ぎた。日本の良さを維持発展する方策が切望される。経済も政治も、運営の不易原理が確立していなくては必ず揺らぎが生ずる。日本は悪平等のきらいがあったが経済大国であり国際的妥協も必要。
吉田松陰「鎖国の説は一時の無事であるが、宴安(えんあん)姑息(こそく)の徒が喜ぶところのもで、始終遠大の大計ではない。一国に居ついたままなのと天下に跋渉(ばっしょう)するのとでは、人の知恵労逸(ろういつ)は狭い日本の中でもかけ離れている。まして世界に於いておや、堂々大艦を作り、公卿から列侯以下に到るまで万国を航海し、知見を聞き、富国強兵の大策を立てるべしだ」は現在でも有効。
日本も自分の道を墨守するだけではだめだが、余りにもの米国式受け入れは日本人の変質を迫るものがあり素直にこのまま受け入れ難い

四 グローバリズムによる「日本解体」

平成16年10月6日 日本海新聞潮流

先月の愚見「通貨の本質」を読み、目からウロコが落ちたと言う方々もあった。金融庁がシティ銀行に対し詐欺的行為の法令違反で業務改善命令かと報道した新聞もあった。数年前、悪質な外資系証券で国外退去したものも数々あった。日本の銀行は可哀想な程、順法的で、これで収益を外銀並みに上げろと金融庁から叱咤されている。外資のようにアクドイ事をしろということか。
日本㈱の倒産はクリントン政権の恫喝に宮沢総理が屈してからだと信じている。この10年の日本経済はこれしか考えられない。敗戦で日本の伝統文化・精神を骨抜きされたが、冷戦のお陰で経済大成功。冷戦後は米国に日本経済力の骨抜きを巧妙にしかけられ政府・政治家・官僚はその圧力に屈して、自ら米国流の日本に変更してきた。米国の圧力を受け入れた日本政府が悪いが、なにやら国民の知らぬ間のように思える。
これは巧妙な大不平等条約に近い。マスメディアもこの真実の追求をしていない。彼らが無知なのか、知らぬ顔なのか私には分からない。米国は日本の立・司・行の三権まで改革の要求をしている。日米関係には奇妙な仕組みが潜在しており、政治家もメディアも口をつぐんでいるとしか思えない。
聞く処によると米国の要求は政府各省庁の担当部局から審議会を経て法律改正にと着実に現実化して来たという。裁判員制度など、あれ程重要なものがあれよ、あれよと言う間に成立してしまった。これも米国の要求が背景にある、弁護士の少ない日本、大量にいる米国の構図である。以前、ガン保険は某米国保険会社のみ独占的に扱っていた時代があった。なぜかと調べたら、米国大統領の息のかかった保険会社であった。
昨年4月から半世紀ぶりに商法が改正施行され米国型の会社制度が導入された。要するに米国型の社外役員が経営を左右する仕組みである。この結果、昨年の日本株式の外人保有率は22%と過去最高。日本企業の大株主であった銀行の保有率は6%に激減。敵対的TOBを防ぐ手段は無く、二年後は株式交換M&Aで買収が更に容易となる。
東京三菱銀行さえシティ銀行が食指を動かしていた。資本力の巨大なメガ外資が日本企業を容易に買収できる改革である。薬品の世界最大はファイザー、資産28兆円、日本トップの武田薬品4兆円が最も外資に狙われていると聞く。
こうして見てくると竹中金融大臣が執拗に一部大銀行に厳しいのは日本の為と思えない。同氏は8月初旬3日間だけ米国を訪問し米国金融要人と会談した。私は疑っている。
建築基準法の全面改正も米国の圧力であると言われるが、日本の法成立過程に米国の民間業者が公然と口を出す仕組みがあったと言う。郵政民営化というが、このような一連の背景を見ると、米国資本の要求と政治圧力が背後にある。進出外資優等生のように私さえ思ったシティ銀行があの実態である。日本人の預金がハゲタカ外資の企業、銀行に流れ過ぎると、かれらの狡猾な大利益追求の為の生贄になるばかりか日本の経済基盤の完全溶解を招く。
このように、いつの間にか米国の容喙を許す仕組みが完結している。政府も政治家も官僚もメディアもこの真実を国民に知らせないまま既に国内法体系が出来上がり現実はその通りに進捗している。
米国の圧力もだが、国家として政府も、与野党議員も中枢官僚も、ずるずると日本流運営をグローバリズムの名の下に、国益即ち、国家国民の利益を放棄してしまっている。
戦略なき日本は米国には経済の実質的内容で、中国や韓国は、日本が主権なき国
とみて、歴史、靖国、尖閣、沖の鳥島、竹島で揺さぶり彼らの国益を追求している。本当に情けない。米国圧力の元凶である基本文書は、インターネットで入手したが、米国政府から毎年、日本政府へ年次改革要望書として提出され、結果を追及されている。
あらゆる分野で巧妙に日本は換骨奪胎されている。まさに属国である。政治家、政党は何をしているのか。国民は黙っていてはいけない

五 江戸・大坂のマネー感覚  
平成12年6月8日 日本海新聞潮流

戸の幕藩時代は武士の町、旗本と外様の武士はさしづめ国家官僚

と地方公務員。大坂は商人の町、人口40万の時代に武士は500人程度。現代風に言えば武士は公務員、商人は企業家か。現代の公務員でもそうだが江戸の武士もおカネは使う事しか知らぬ人。稼ぐ事を知らぬ人に生きた経済は本当の処は中々分かるまい。

町人はカネのみに生きた。カネ儲けは己の才覚と度胸で命がけもあるのだ。だから大坂では世界最初の先物相場の米市場が発達してデリバティブの原理を使用していたと言う。これは金融派生商品の一つの難解なもので欧米の金融機関が駆使して後に日本が見習った。大坂は資本主義の原理が既にあった。そのお株は現在は欧米にとられて日本はしてやられている。さて、広く日本の金融界を俯瞰してみる。生保では日本生命、証券では野村証券、都銀では住友銀行と三和銀行、何れも業界トップの冠たる存在である。全て本拠地は大阪だ。住友は銅山、三和も三井も江戸時代の商人の祖を持つ。三菱は明治以降、武士の流れを持つ岩崎家が政府の支援を基礎として成立。官の背景がある。バブル期、三菱銀行はオットリしていて大蔵・日銀検査でもっと住友を見習わないと負けると言われたらしい。その功?があり不良債権が少なかったと言われる。富士銀行は現在でも東京都の公金を一手に引き受けている。楽にカネを集める事ができる。官の背景が大きい。
官の権威を背景に紙切れ一枚の金融債で何千億もカネを集めた興銀は直接金融が進みビッグバンとなると存立の基盤を失い遂に富士銀行と第一勧銀と統合した。「興銀の不治(富士)の病で一巻(一勧)の終わり」となった。長銀も日債銀も紙切れ一枚の金融債でカネを集めた機関だ。矢張りカネは汗水流して集めて貸し出す関西の金融機関が逞しいし強いと見た。
金融債で、戦後できた長銀マンがスマートと言うが遂に倒産した。カネの値打ちが肌で分かっていなかったのであろう。楽して融資できる銀行であったのただ。汗水流して集めたおカネは融資が真剣になると思う。
そう言えばバブル前、東京系の大企業はややこしい問題解決を直ぐにカネで解決しようとしていた。腰が弱いと思ったものだ。今は違うのであろうが。キリンビールがアサヒビールのスーパードライに負けた。キリンは三菱のお殿様で追われだしたら弱い?

アサヒビールの成功は関西源流の住友銀行出身の樋口社長の時だ。
次に外資系の金融機関だが日本のようにウブではない。法律スレスレをくぐり抜ける。ビッグバン以降凄まじいばかりに暴れ貪っている。日本的オーソドックスな銀行員は理解に苦しむ。スイス系であったか、本部とグルになり金融検査の証拠隠滅、米系の詐欺に近いカネ集め。
最近は公的資金4兆円を受けて外資が10億円で買った上述の長銀、買収者はオランダに本部を置く投資法人らしいが、今は宝の山と言われているらしい。数年後は利益を計上できる由。それなのにこの銀行が利益をあげても税金はピタ一文も日本政府に入らぬらしい。外国から見ればピエロの漫画だ。だから日本は益々ナメラレル、脅される。
日本の銀行を叩くよりこれらをしっかり追求せよ大マスコミ。公金を入れてもこのザマだ。嘆かわしい。現象のみ追いかけて社会現象の本質を徹底的に追及しないからだと思う。この問題は本紙で健筆を揮っている岩国氏が議会で追求された。日本国は実にオメデタイ。政府も官僚も議員もマスコミも国民もだ。経済合理性とか政策を徹底的に追及しようとしない国民性が背後にあると見る。マネーの世界は生き馬の眼を剥く世界だ。ビッグバンを橋本総理が押し切られたのは満期が到来する郵便貯金210兆円が狙い目ではないかと疑う。金利に釣られて大量の個人マネーがカネの無いアメリカさんへ注ぐと元も子も無くなる
株も外国為替もブレル度に誰かを儲けさせている。しっかり自己防衛しなくては。
六 韓国に油断は禁物

日本海新聞潮流寄稿 

韓国は友好国である。在日韓国人も多いし、歴史的関係も深い。私は韓国とは子々孫々まで友好国でありたいと念じ、またそのような態度を今日までとってきた。
戦前、韓国は日本の植民地であったという指摘は妥当でないと私は思う。叉、仮に植民地と誰かが言うならば、この5百年間の欧米各国が彼らの植民地に対してとった残虐な態度と比較して貰いたい。
その欧米の元植民地国すら元宗主国に対して謝罪とか賠償など要求していないし宗主国は知らぬ顔だ。
今日まで、日本は必要以上に罪の意識を過剰に抱いて、必要以上に韓国に譲歩し過ぎているようだ。大統領が交代するたびに何度も謝罪させられ、金大中氏は「もはや過去は清算された」とまで言った。
終戦時、朝鮮半島における日本人個人財産は現在価値で約5兆円を掠奪あるいは没収されたままだ。韓国は対日戦勝国ではないが、その威を借りて不当に個人財産も奪われその補償はされていない。
韓国は、もはや弱小国ではない、先進国であり経済的にも決して弱くない。
戦後60年、今日までの韓国の主張は余りに不当過ぎる。もはや、韓国に遠慮は不用である。真の友好国として相互関係発展の鍵はもはや韓国サイドにのみあり、それは新大統領ノ・ムヒョン氏の指導力如何にかかっていると断じる。
韓国が友好的に非ずと断じる所以は
一、韓国の竹島領有権主張の不当性を先ず指弾したい。島根県は立派で竹島領有の不当性を主張し続けている。韓国は同島に郵便番号まで制定し、埠頭を造っている。国際法違反の侵犯であり、友好国に対して行うとは許し難い。
二、日本海を東海にと呼称変更を執拗に欧米各国で運動している。18世紀以降国際的に定着した歴史を無視し且つ地勢学的要素を無視し一方的である。
三、韓国内では、戦後60年になんなんとするが反日的歴史教科書を使用している。これは友好の意図がないに等しい。
四、隠岐近海の日本経済水域での大仕掛けの蟹蜜漁の常習犯的やり方は友好国として道義的ではない、プア-な心情の国民だと痛感する。
五、
 韓国の一部は、北朝鮮の核保有に理解を示す動向が見られるという。米韓同盟の認識が欠如している。これでは信用できない。
六、靖国とか、歴史教科書で、わが国に対して内政干渉が過ぎる。民族の習慣を尊重していい隣国の筈だ。
七、日本国民象徴の天皇をいまなお、王と称するような国では友好国と言えず未成熟の国民と言える。互いに尊重し合ってこそ共存できるのを知らぬのか、人柄の悪い友人のようだ。これでは、まともに付きあえないと知るべきだ。
八、韓国は中国、北朝鮮、ロシアに対するものと、日本へのダブルスタンダード外交が酷く日本に対してのみ理不尽である。
①朝鮮戦争では、中国が義勇軍を北朝鮮に派遣した韓国侵略の当事 者であるが、中国の歴史的責任追及を放棄し謝罪を全く要求しないまま国交正常化している。朝鮮戦争の中国義勇軍は韓国では侵略行為とされていたが中、韓外相間で調印された1992年の国交樹立の共同声明では一言も触れられず、ウヤムヤにしている。
②北朝鮮がラングーンで 爆破テロをやり韓国閣僚ら多くの要人を殺したが韓国人は
殆ど問題にしていないやに私には見える。
③ソ連が大韓航空機の撃墜をしたが、これも私には不問的に見えるし謝罪すら要求していないと私は認識している。
このように外交素人の私が記憶するだけでも、韓国は余りにも日本に対して反友好的と断ぜざるを得ない。これでは友好国と言えない。両国の交流全般を見ても一方的で日本人は余りに無防備すぎる、韓国に油断をしてはならない。
歴史的に韓国民族を観察すれば理解が得られる。台湾との外交断絶時でも、台湾側に対して実に欺瞞的外交をした記憶がある。当時、台湾外交部長は韓国を「うそつき」と非難した。
韓国は決して道義的国家ではなさそうだ。日本は、厳しく毅然とし、是々非々の国益追及のスタンスを政府も政治家も国民も取らなくてはならない。韓国は弱小国ではない、友好的態度を日本のみ強要されている。韓国の態度は反友好的である。

参考「日本海新聞では②③は削除それた」

七 孔孟の国、今は 

平成13年7月12日 日本海新聞潮流 
一、40年近く前、私は住友銀行で外資系企業を担当していた。欧米人はドライで、当然こちらも論理的対応となる。英語に曖昧さはない。それに比して華僑の中にはタイジン、大人と呼ぶに相応しい人物がおり尊敬した人物もいた。
二、田中首相が日中国交回復をしたのは昭和47年で、周恩来と固い握手をした。周首相はシーシータイタイ、子々孫々までの友好を言い覇権を求めないと明快に述べ日本人は心から喜んだ。孔孟の国に対して、戦前派の人々は信仰に似た思いがあろう。日本文化の淵源であり一衣帯水で同文同種の思い込みもあった。同文同種ではないが。
三、さて、この20年間に日本は中国に対してOECDの援助を3兆数千億円、開発融資を3兆円合計6兆円を超える税金を注ぎ込んでいる。贖罪の意味も込めて。百万円あれば家を建ててお釣りのある国に対してである。この事を中国は国内に知らせていない。中国の教科書は日本のように検定でなく国定なのだが算数の足し算に、戦争で日本人が中国人を殺した事例で教えているという。子供の時から反日を叩き込んでおるのは友好の意志のないのと同様である。
四、昨年も今年も、日本周辺の領海を無遠慮に堂々と侵犯し偵察艦が周遊しスパイした。遠慮深い日本の抗議に中国の首脳は、そんなに嫌ならこれからは事前に連絡すると言ったものだ。
五、この4月、米国偵察機が海南島に着陸した折の中国の発言は「中国にとり国家主権ほど大切なものはない」であった。教科書問題でも覇権的に日本を恫喝し内政干渉し不甲斐ない日本の政治家や外務官僚が怖気づいている。中国にとり主権とは自分の国の事だけで他国の主権など考慮にあたいしないようだ。そういえば、戦後だが意のままにならぬベトナムに懲戒と称して軍事侵入した事があった。チベット問題なぞ何でもないのであろう。
六、数年前、江主席が来日し皇居で、非礼にも解決済みの謝罪を再び求めた。流石に日本人の大きい反発があった。国賓であり日本はあからさまに書き立てなかったが早稲田大学の学生は江主席の講演にブーイングしたと言う。新聞は書かなかった。
七、文化大革命では数百万人が殺されたと言われる。朝日新聞が文化大革命を大変礼賛した。
八、近年、中国の覇権的手法に対する日本国民の反発が高いからであろう、最近は国会議員達を北京に招き、中国お得意の大接待をしている。与野党を問わず国家の威信を考えない議員達は朝貢するように中国詣でをした。援助を得る為に国会議員を饗応し買収している図式に見える。
中国は日本国民の大多数の愛国心を右翼だとの一言で片付けている。そう言って一般日本人を萎縮させ政治家と外務省を叩くだけで意のままに日本を動かそうとしている。それが彼らの国益に適うのだ。国会議員と外務官僚を抱き込めば経済援助を貰えるとの打算であろう。一部大ジャーナリズムも中国寄りでそ知らぬ顔をしている。外務省も一部マスコミも中国の日本出張所のような感じがする。理不尽な話はまだ続く。
中国の軍事力大増強は全く腑に落ちない。日本の援助が軍事力の大増強に役立っている。中国のミサイルは日本に向けているし領海侵犯はする。大陸国家に不必要と思われる航空母艦を検討しているらしい。海軍力の増強で覇権的領海侵犯をする。核保有でも、なぜ日本のマスコミを初めとした核反対派は中国に対して大声を挙げないのか。日本の核反対運動は矛盾が多い。戦後の日本が侵略的であろうか、戦後50年を正しく見ていないし言いがかりとしか思えない。彼ら独特のデマゴギーだ。経済援助は即刻やめたい。
十、ソ連は70年の大実験で共産主義をやめたがあの国の混乱を見ると共産主義が人間性を破壊したことを示している。戦前派の人達が憧れた孔孟の国はもはや徳とか道義とは無関係な国となりイデオロギーに毒された人たちの国のようである。東洋思想のよい物は日本に到着し蓄積されており歴史的に見習うものは既に消え去っている。
十一、この様に観察してくると日本人がいかに国としての誇りを欠いているか明白である。総理の知らぬ間に検定用教科書の内容が元インド大使により漏れた。隙だらけの日本国となっている。
十二、李登輝氏の来日など国家として主体性を持ってやり遠慮する必要はない。中国は日本が事を起こしたと隷属国のような物言いをした。腰抜けの河野大臣、外務官僚であったが国民の良識が勝った。日本も言うべき事は断固として言わねばならぬ。
十三、最近は不法入国の中国人絡みの強盗や麻薬が多発している。政府が断固とした抗議をしたであろうか。聞いたことがない。鳥取は黄砂の被害が特に酷いし雪も中国の工業化の進行で煤煙が多くて口にできなくなった。中国の工業化は地球規模で生態系に影響を及ぼすという識者もいる。法の支配が確立されていない非近代的な国である。実質的には発展途上なのに、大軍事力を背景に覇権主義が世界をかく乱し始めている。
十四、古きよき時代の孔孟の国はもはや無い。この迷惑な隣国に対して我々は幻想を捨て認識を改めねばならない時代となっている。  

八 これで納得、日本・中国「道義」考
一、国際法を片っ端から破る、平和条約で完了した問題を蒸し返し官製デモで他国に圧力を加える非礼。ウエストファリア条約は他国の宗教に触れないのが近代国家の原則だが中国は他国の信仰に言いがかりをつける。宗教を認めない国が他国の宗教に口ばしを入れる厚顔と矛盾。戦後、数多く周辺国を侵略した中国が戦後日本を軍国主義と嘘をつく。自国の都合で外交悪化もすれば激変友好もする義も恥もなき鉄面皮中国。
日本は義に基づき誠をこめて約束を厳守し我々の税金を注いできた。
毛沢東「日本皇軍のお陰で中国共産党が民国に勝った、日本は謝る必要はない」、周恩来「子々孫々まで覇権を求めない」、これでは中国は嘘つき国である。
昭和27年講和条約締結時、中共は政権党でなく相手は中華民国。戦争相手でない中共にこれ程まで難癖をつけられる国際法的根拠は皆無。条約は後に成立した国が引き継ぐが、民国の後を継ぎ国連常任理事国となった中共、民国が約束した条約は無関係というなら常任理事国の資格はなく自己矛盾。講和条約参加国以外は東京裁判に言及せぬのが国際常識。
中国の如き理不尽な国は珍しい、さすが夜郎事大の後進性、道義・法治・恥知る国なら出来ない。王駐日大使「国と国とはお互い約束を守ることは何より大事である」と、あほらしくて物が言えない。
二、中国のこの道義・礼節を欠き、恥を知らぬ所以はなへんから来るか。共産主義の人間性荒廃にも起因するが、元々、孔孟思想は建前の国なのだ。古代中国の儒家は道徳観を持ち五倫・五常を説いたが欠けていたのは良心である。仏教は因果応報を思い現世の行いを慎む良心を持つ。中国人はあくまでも現世利益を貪ることのみ執着する。現世の徳目、道理・道徳を無視し権力者の現実的力だけを恐れる。
仁義道徳は中国社会では表面的な方便に過ぎず元々、不講道理なのだ。また、中国の儒家には心からの動機が欠落していた。政治と徳の偽善を古代から中国民衆は知っており、徳を以て天下を治める理想は喪失し権謀術数の指桑罵槐(しそうばかい)の社会となっていた。
三、だが日本は古代儒学を大いに受け入れ、特に「義」の概念は武士道の根幹にまで昇華した。本居宣長は日本の和歌や文芸こそ「儒仏による善悪にあずからぬ事」と論じ、日本古来の「いにしえ心」、「和心(やまとごころ)」の如く仏教や儒学とかかわりなく醸成されてきた日本精神が存在するとした。朱子学の敬の思想を検証、儒教の本質に迫るべく山鹿素行、伊藤仁斎らが古学と称し仁義・忠信を探求した。彼らは儒学の義から出発して神道の精神である「清明心」から説き起こし日本独自の「至誠」という観念を確立した。
至誠は中国儒教の形式主義を超え義に心魂を入れたものだと私は思う。日本人は古来の孔孟を身につけ更に日本独自の「誠の思想」に高めたのだ。
四、平安時代以降の日本文明は世界八大文明の一つであると、文明の衝突の著者・ハンチントンが指摘した通り日本文明は中国文明を超えていた。
五、更に江戸時代には孔孟思想をも超えて日本民族の精髄である「至誠」の思想に止揚(しよう)したのだ。日本人の背骨となった「至誠」を以て我が国は戦前戦後、終始一貫、国際的にも対処してきたのである。
六、近代中国は儒教を封建思想とし、共産主義の批孔批(ひこうひ)(もう)により完膚なき迄に孔孟思想は息絶えて道義と礼と恥の観念は完全に壊滅し形骸化しているのだ。これで納得できるではないか

あとがき

隔世の感がある。30年前、新聞寄稿を始めた頃は私の主張は驚嘆されていた、勇気があると。それが10年前になると、徳永さんの言われた通りになりましたねと。現在は、ほぼ大多数が私の見解に近くなっていると確信する。その頃、住友銀行支店長時代に故安岡正篤先生の謦咳に接し学んだ事が忘れられず、鳥取木鶏会(鳥取県生涯学習講座)を創立し県内同志を集め今日まで38年間、各月3時間欠かさず勉強会を続けている。

しかし、国家の環境は極悪に近く進み本格的な打開に至っていない。根本は憲法である。国民の生命財産を守る法体系の根幹が不備なのに改善されない、国民にとってこんな不幸はない。

大東亜戦争は4年間であった。アメリカの日本占領期間は7年、ここに秘密がある。世界史にこんな例は知らない。2千年の日本文化の徹底的抹消の占領効果が今なお残存しているのだ。

現在、日本はアメリカの同盟国で、国民の生命財産を守る国防は自前でなくアメリカに依存している、言うならば戦後70才にしていまなお部屋住み、即ち居候老人である。いつまでも責任ある成人になっていない。

戦争に負けるとは本当に悲しい、ある人曰く、敗戦後遺症克服は200年かかると。政治家や指導者に国家観が消失している。国民も同様だ。国家あってこその個人の幸福と安全を忘れている。コロナで現金やらワクチン支給できるのは国家がしゃんとしているからだ。国を考慮せず、個人中心となり過ぎて日本混迷の背後に見える事象の本質が分からなくなった感がある。日本混迷の事象を感じて頂けたら望外の幸せだと思う91才老人の遺言である。   

令和4年3月       徳永圀典

                完