中国、あれやこれや3.――本当の中国―

 1日 朝鮮半島と中国

朝鮮半島の国王は歴代、中国皇帝により国王として認定を受け、朝貢を行い「三跪九叩頭」の礼をしなくてはならなかった。

朝鮮は武器や強力な軍隊の保持を禁じられた。朝鮮人は文明の師匠である中国に対して侵略支配されているという事実を認めたくない気持が強く、一度も中国に対して軍事的挑戦を試みていない。
 2日 儒教の受け入れ方の違い

中国・韓国とも儒教の国、士農工商の身分あり。上位を占めたのは知識階級で巧みに詩文を作る能力保有者で「士」と呼んだ。反対に力仕事を主とする農民、職工、兵隊等を極端に卑しみかつ蔑んだ。韓国の「両班」の特権階級を育て近代化を遅延させた。

日本の「士」は武士、詩文の巧みな者もいた。更に「論語」に言う「士はもって弘毅ならざるべからず」を実践し心強く意思強く責任感に富むように教育された。職人にも敬意を示した。

 3日 禿山の中国と韓国

鉄の生産には莫大な木材を必要とする。華北一体の山々は裸になるまで伐採された。乾燥した大地だから一度伐採されると再生は不可能である。

韓国も同様に伐採したまま放置。
日本ほど植林に努力しないのは職人をバカにする儒教の風土、日本では多湿が幸いし
30年経てば自然に復元するが植林の尽力が違う。
 4日 中国料理のゲテモノ 蛇、熊、狸、犬、猫、コウモリ、コオロギ、燕。

皇帝が珍奇を求めた事と、戦乱や大災害による飢饉の食糧難が背景にある。

 5日 前漢末の人口大激減

前漢末とは紀元後2年、当時人口5959万人が、後漢初代皇帝の光武帝が崩御した57年には人口が2100万人となっている。

体制派による大虐殺と10年の戦場化による飢饉と言われる。僅か50年で4000万人の激減は尋常ではない。
 6日 金印の謎

後漢の光武帝が倭の国王に金印を与えたと後漢書にあり志賀島で発見された。金印のつまみがとぐろを巻いた蛇である。これは謎と言われる。

匈奴に与えたものはラクダの銅印、倭には蛇の金印であり破格の待遇である。
 7日 秘密結社

時の豊かな社会から弾き出された人々が、相互扶助の下に結社を作り、助け合うことが、中国では古くから存在している。元々は宗教上の組織だが政治的パワーを持つこともある。

結社の始まりは「太平道」である。宋時代の1133年のことである。近年、日本に密航者を送り込む「蛇頭」は犯罪秘密結社である。
 8日 漢民族の人間観1.

中国は有史以来現代までの4000年間、毎年どこかで必ず戦争があった国である。堤防破壊、蝗災―いなごー、飢饉、田

地の荒廃と、常に不安と共存であり、他人を一切信用しない、政府も信用しない、自分の生活第一の性質がある。
 9日 漢民族の人間観2

他人には絶対弱みを見せてはならず、逆に相手の弱みに付け込まなければならないと考える。だから絶えず緊張している人が立派な人物という評価を受ける。

現代中国人の持つ感情は白髪三千丈式の被害者意識を中国共産党が政治的、経済的意図ででっち上げた反日教育によるものである。日本の謝罪は完了している。
10日 仏教の弘布

広めたのは北魏494年頃、孝文帝は多数の異民族からなる統一策として、精神的指導原理を「仏教」に依存した。

大同の雲崗の石窟寺院、洛陽の龍門山である。龍門石窟の代表は奉先寺で完成は唐時代の675,廬舎那仏は有名。奈良大仏完成751年はこれを模倣。
11日 山鹿素行の
「中朝事実」から引用

漢民族は五胡十六国時代にかけて300年間、遼時代り209年間、金時代の109年間、元時代の90年間、そして現在の清時代まで、野蛮人に支配され、かつ混血融合が進んだ為に、もはや純粋の漢民族とは言えなくなり、文明そのものも漢以来停滞をしてしまった。

それに対して日本は純粋な漢民族であった孔子や孟子の教えなどを書物を通して導入し、礼節、仁義など儒教精神を武士社会の中心に据えて発展してきた、それゆえ、日本人こそが春秋時代の聖賢の教えを正しく受け継いだ民族であり、真の中華とは日本のことを指し、真の中国人とは日本人のことを言う」

12日 中国統一国家成立

隋である。280年ぶりに中国を統一した。科挙の制度を作る。

初代文帝の息子の煬帝―ようだいー569-618年となると内外に積極策を取り南北に運河を通し経済発展の端緒を開く。
13日 隋が高句麗を恐れた

隋の建国は581年、日本では飛鳥時代。593年聖徳太子が摂政となり17条の憲法を制定した。607年に小野妹子を隋に派遣した。

隋の文帝が高句麗と親しい北周を簒奪していた。そして高句麗―現北朝鮮―が戦闘に強いことをよく認識し恐怖心と警戒心を抱いていた。
14日 当時の朝鮮半島 任那の日本府は既に滅亡―562年―、韓族の国家としては「百済」と「新羅」であった。新羅は初めは日本や高句麗の圧力に苦しんだ。

しかし、外交巧みな隋が出現すると直ちに朝貢をして高句麗の圧力排除を文帝に懇願。これが隋崩壊の一因となる。

15日 隋滅亡の原因

文帝は高句麗に大敗、大損害を蒙る。高句麗は騎馬戦法、隋は歩兵戦法であった。隋はこうして30年間高句麗遠征に全てを費やした。

何度も遠征し遂に高句麗も降伏申し出でたが、東突厥が隋との和議を破り侵入、煬帝は長安に敗退してここで護衛に殺害され隋は滅亡した。そして、唐が出現して行く。

16日

漢民族国家として歴史的な最大帝国である。

隋滅亡から唐出現の20年間、3000万人が殺害されている
17日 理想的君主・太宗

唐は建国618年、滅亡が907年で289年続いた。

最大功労者は高祖・李淵の次子である李世民。

18日 兄弟殺害の李世民

李世民の名声を妬んで排除しようとした長兄、弟を陰謀で殺害し627年に太宗として即位した。

太宗は後世、理想的君主として英傑さを称えられ、その治世は「貞観生政要」として本ホームページでも紹介したが皇帝政治の見本となった。
19日 新羅の武烈大王1.

中国風へ改名を強制したのが武烈大王である。唐帝二代目の太宗は高句麗への遠征が祟り64951才で死亡。三代高宗は新羅の要請で出兵、

668年最後の強敵高句麗を破り漸く唐に敵対する異民族を平定した。唐の力を借りて統一した新羅の武烈大王は、唐の文物を採りいれ、姓名を中国風の二字または三文字に強制統一した。
20日 新羅の武烈大王2.

官僚を作る為、中国から「科挙」の制度も採用した。中国では誰でも受験できたが、朝鮮では庶民に受験資格は無く、文官貴族と武官貴族のみで有資格あった。

朝鮮の科挙の試験には、必ず中国の正史である「史記」が出た、要するに武烈は自国の歴史を否定した国王であった。

21日

新羅の武烈大王3.

国王・貴族・官僚階級の使用する文字はすべて漢字とした。庶民は理解不能であり、独自の文字を持つ1446年の世宗大王のハングル制定まで待たねばならなかった。

武烈は韓国では国民的英雄とされているが、固有の名前や、自国歴史を否定、漢字を公用語とした人物である。日本に創氏改名とか批判する前に自国の英雄のした事をどう思うのか。
22日 新羅の武烈大王4.

武烈は同民族である高句麗を滅ぼす為に外国の唐と組んで滅亡させたのである。

多くの百済人と高句麗人は逃げ場を失い虐殺された。助かった両国の人々の多くは日本へ逃げ延びたが日本では彼らを同盟国人として厚遇してきたのである。
23日 くだらないの語源 つまらない、とか、下らない、と言ういう意味で使用されている言葉は、「百済にない文物はない」という意味。これが省略されて「百済ない」となった。

時代を経るに従い意味が変化したという説がある程に、当時の百済は文化が発展していた。それが同民族により滅亡させられて日本に亡命して厚遇された。

24日 日本に帰化した高句麗王族

666年、来日した正使、乙相庵即、副使は玄武若光、達相遁の王族であった。

玄武若光は、その後日本に気化し、朝廷から従五位下、王姓を賜った。

25日 唐帝国の領土

東は朝鮮半島付近からシベリアを横断してバルハシ湖、アラル海からアムダリア川を渡りホラズムまで治めた。西南方面は現在のウズベキスタン、トルクメニスタンを経てパ

ミール高原にいたり、カラコルム山脈からヒマラヤ山脈の北麓に沿いビルマのパトカイ山脈に出て、現在のミャンマーの一部とラオスの全部を治めた上で、ベトナムのユユ付近までを領有した。

26日 西遊記の妖怪とは

孫悟空、猪八戒、沙悟浄が三蔵法師を守りインドに赴く途中に数々の法難を克服撃退しその功により全員が成仏するという物語。

蛮戎夷狄―ばんじゅういてきーの地を通過する時、妖怪が襲ってくるが、それらの地に必ず妖怪が住むという設定は中国人の偏見が影響している。現代の中国の少数民族の住む地の人々が蛮戎夷狄にされていたのだ。

27日 冊封体制1.

漢民族の住む中国本土を「正州」、これが大前提である。夫々の民族の自治を認めた地域が「羈縻州」。

独立国として認め朝貢する支配下で友好関係を望む場合、皇帝は官爵を与え、君臣関係を結んだ。これを冊封国、または外藩国と呼んだ。新羅・渤海などである。

28日 冊封体制2.

中国王朝に使者を派遣し朝貢だけ求める国を朝貢国と呼んだ。一時的な日本、林邑、南詔がある。

中国皇帝の軍隊でも勝てぬ、無視できない国を対敵国と呼んだ。−突厥や吐蛮がある。

29日

冊封体制3.

対等国は対等の関係で「大食」―タージーと呼んだイスラム帝国が該当する。

絶域と呼ぶ遠隔地のヨーロッパ諸国で一切の国家間交渉がなく中国皇帝の恩恵の届かない国と考えていた。日本はこれに属した。

30日

最大の錯誤

日本は絶域にいた。中国人初めとしてアジア諸国の人々が、日本の文化、歴史認識と合致しないのはこの点にある。

アジア人達が、日本はアジアに位置するモンゴル系黄色人種の国であり、しかも長い間、中国の冊封体制の中の東夷で漢字文化圏の国家の筈だという認識は日本を見誤る最大の原因である。

31日

韓国の思い違い

韓国は小中華である。中国に隷属していた。

日本は朝鮮半島のように隷属していない。来月から詳しく掲載する。