戦後メディアや左翼が無視したこの事実 平成17年9月1日
          1.大日本帝国を肯定的に評価する世界の著名人の発言一覧

                     2.外国人による大東亜戦争評価発言
   
      アメリカの青年詩人 コーエン氏

敗戦直後に近い1948年、アメリカの歴史学の権威である、チャールズ・ビアード博士は、米国の公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と第二次大戦」という著書を発表した。この中で、博士は、日米戦争は、好戦大統領のルーズベルトの周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまりアメリカの侵略戦争であることを痛烈に告発しています。
日本は「騙まし討ちという騙し」にのせられていたことが明白、アメリカ国民も日本国民も同時に騙していたのだ。

戦後、アメリカの青年詩人コーエン氏は、このビアード博士の本を大学の図書館で読んで仰天、大統領が戦争を仕組み、無実の日本の指導者を処刑したことに心から詫びたいと来日して、絞首刑場跡の、巣鴨処刑場の記念碑の前で次の詩を書き残しました。
アメリカ人はまだ中国・韓国と異なり知性があります。

「ああ、アメリカよ、法を曲げ、正義を踏みにじった
 ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン

 今や 
黄泉(よみ)にて、汝の非道に、涙す」 

o        【イギリス】アーノルド・J・トインビー 

アーノルド・J・トインビー (歴史学者)
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)

 

o        【アメリカ】ジョイス・C・レブラ/ジョージ・S・カナへレジョイス・C・レブラ (コロラド大学歴史学部教授)


「日本の敗戦 それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に西洋の植民地支配の復活も許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」(「東南アジアの解放と日本の遺産」)

 

ジョージ・S・カナへレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。このような機会がなかったならば戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」

 

o        【タイ】ククリット・プラモード (元首相) 

ククリット・プラモード (元首相)
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」

o        【マレーシア】ラジャー・ダト・ノンチック/ガザリー・シャフィー 

ラジャー・ダト・ノンチック(元上院議員)
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」
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ガザリー・シャフィー (元外務大臣)
「日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」
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ザイナル・アビディーン (歴史学者)
「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大きな
触媒の役割を果たした。」

o        【オランダ】アムステルダム市長 

サンティン・アムステルダム市長(1994年内務大臣)
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」(1985年日本側傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)

o        【インドネシア】モハメッド・ナチール (元首相)/ブン・トモ(元情報相) 

モハメッド・ナチール (元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
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アラムシャ (元第3副首相)
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
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サンパス (元復員軍人省長官)
「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
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ブン・トモ(元情報相)
「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言)

o        【インド】ラダ・クリシュナン(大統領)/ハビブル ・ラーマン 

ラダ・クリシュナン(大統領)
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像も出来なかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」(昭和44年日本経済新聞)
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ハビブル ・ラーマン(元インド国民軍大佐)
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは日本が育んだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」
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グラバイ・デサイ (インド弁護士会会長)
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべ共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)

o        【スリランカ】J・R・ジャヤワルダナ (大統領) 

J・R・ジャヤワルダナ (大統領)
「往時、アジア諸民族の中で日本のみが強力且つ自由であってアジア諸民族は日本を守護者且つ友邦として仰ぎ見た。当時、アジア共栄のスローガンは従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には最愛の祖国が解放されることを希望して日本に協力した者がいたのである。」(1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)

o        【ビルマ】バー・モウ (元首相) 

バー・モウ (元首相)
「歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたの解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本の為に惜しむのである。」

o        【シンガポール】ゴー・チョクトン (首相) 

ゴー・チョクトン (首相)
「日本軍の占領は残酷なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内にアジアの植民地は全て解放された。」(「諸君!」平成5年7月号)

  

オランダ・アムステルダム市長のご挨拶          

 「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私どものオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝ったはずなのに、貧乏国になってしまいました。戦前は「アジア」に大きな植民地(ほぼ現在のインドネシア)があり、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。あなた方の日本国は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけたと、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すという人類最高の良いことをしたのです。
何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先のことのみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ちあがったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わってのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。
自分を蔑むことを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。

 * このアムステルダム市長の挨拶文は、現地で直接聞かれたのは、元憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎氏(平成9年3月14日逝去)です。(ゴジラズワイフは交流がありました。)そして文章は、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が1994年3月24日に作成されたもの。 

 マハティール首相の演説文 
1997年9月20日世界銀行年次総会において
 

マレーシアはメキシコの轍を踏むことがないようにとよく忠告された。そして、マレーシアは、そのようなことをすることはないと自信を持っていたのであった。しかし、現実には操作される投機的危機が、自分たちの目と鼻の先に近づいてきていたのであった。私はそのことに気がつかなかった。なおも、日本、韓国、メキシコ・・・・などが受けた運命は、自分たちにとっては無縁のものであると、信じていたのであった。しかし、それが間違っていたことを今、はっきりと知ることができるのである。なぜマレーシアがメキシコと同じような運命を辿ってしまったのか。その原因がわかるのである。

まさにメキシコの経済的破綻は偶然に起きたのではなかった。ある筋によって操作され破壊されたのである。他の発展途上国の経済に起きたこともまた偶然のことではなく、金融上の投機操作によってもたらされたものであることがわかるのである。このようなことをする、いわゆる大いなる者たちは、誰それを幸福にしよう、誰それは幸福になってはいけないという、決定をする力を持っているほどなのである。彼らは、発展途上国やその他の国々が、自分たちにひれ伏すようにと要求しているのである。繰り返し述べるが、私がここで演説するようにという要請を受けたとき、自分としては、自分たちが受けた祝福、自分たちの持っている抱負について語りつつ、まだ苦しい中にある諸国が同じように繁栄する国々になってほしいと、語ろうとしていたのであった。それゆえに、その招待を受けたのであった。その時には、今あるような現状をとても知る術がなかったし、また金融の操作されていくことなどについても、知る術がなかったのであった。
巨額な数字が、銀行から銀行へと、帳簿上動き回るだけですから。実体のある貨幣は、この種の取引には一切関係がなくて、関係があるのは数字の動きだけです。私が申し上げたいのは、ただ暴利を貪って何とも思わない連中から、社会や国家を防衛しなければならないということなのである。

このようなことを言えば、少なからざる語弊を与えることになるかもしれない。しかしながら通貨の売買、すなわち為替取引は不必要なものであって、倫理にももとるものであることを、明らかにしておかなければならない。通貨の売買は正しいことではない。通貨の売買は、非合法にされなければならないのである。われわれにとって通貨の売買は必要ではない。実際に貿易が行われ、そのための決済が行われる所でのみ、すなわち現金がどうしても必要な場合にだけ、金銭を買うという行為を認めればよいのである。このような時以外に、われわれは商品を買ったり売ったりするのと同じように、貨幣を売ったり買ったりする必要は認められるべきではない。これらの為替相場仕掛人たちは、強力な力を持っている者たちであるがゆえに、気をつけなければならないとよく忠告されてきた。われわれが彼らのやり方を暴露したり、またどのような形であったにしても彼らを怒らしてしまうならば、報復されることも、そして彼らがいったん怒ると、それらを暴露した者たちを皆殺しにしたり、狂人にしたり、廃人にしたりすることも知っている。われらがどれほど彼らに抵抗したところで、彼らからくる殺人を含んだ報復に対して、何もできないことを認めざるを得ないのである。われわれが繁栄するのも繁栄しないのも、これら仕掛人たちが決定することも判っているのである。