2.外国人による大東亜戦争評価発言
アメリカの青年詩人 コーエン氏
敗戦直後に近い1948年、アメリカの歴史学の権威である、チャールズ・ビアード博士は、米国の公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と第二次大戦」という著書を発表した。この中で、博士は、日米戦争は、好戦大統領のルーズベルトの周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまりアメリカの侵略戦争であることを痛烈に告発しています。
日本は「騙まし討ちという騙し」にのせられていたことが明白、アメリカ国民も日本国民も同時に騙していたのだ。
戦後、アメリカの青年詩人コーエン氏は、このビアード博士の本を大学の図書館で読んで仰天、大統領が戦争を仕組み、無実の日本の指導者を処刑したことに心から詫びたいと来日して、絞首刑場跡の、巣鴨処刑場の記念碑の前で次の詩を書き残しました。
アメリカ人はまだ中国・韓国と異なり知性があります。
「ああ、アメリカよ、法を曲げ、正義を踏みにじった
ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン
今や 黄泉にて、汝の非道に、涙す」
アーノルド・J・トインビー (歴史学者) |
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ジョージ・S・カナへレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。このような機会がなかったならば戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」
ククリット・プラモード (元首相) |
ラジャー・ダト・ノンチック(元上院議員) |
サンティン・アムステルダム市長(1994年内務大臣) |
モハメッド・ナチール (元首相) |
ラダ・クリシュナン(大統領) |
J・R・ジャヤワルダナ
(大統領) |
バー・モウ (元首相) |
ゴー・チョクトン (首相)
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「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私どものオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝ったはずなのに、貧乏国になってしまいました。戦前は「アジア」に大きな植民地(ほぼ現在のインドネシア)があり、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。あなた方の日本国は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけたと、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すという人類最高の良いことをしたのです。
何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先のことのみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ちあがったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わってのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。
自分を蔑むことを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」
* このアムステルダム市長の挨拶文は、現地で直接聞かれたのは、元憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎氏(平成9年3月14日逝去)です。(ゴジラズワイフは交流がありました。)そして文章は、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が1994年3月24日に作成されたもの。
マハティール首相の演説文
1997年9月20日世界銀行年次総会において
マレーシアはメキシコの轍を踏むことがないようにとよく忠告された。そして、マレーシアは、そのようなことをすることはないと自信を持っていたのであった。しかし、現実には操作される投機的危機が、自分たちの目と鼻の先に近づいてきていたのであった。私はそのことに気がつかなかった。なおも、日本、韓国、メキシコ・・・・などが受けた運命は、自分たちにとっては無縁のものであると、信じていたのであった。しかし、それが間違っていたことを今、はっきりと知ることができるのである。なぜマレーシアがメキシコと同じような運命を辿ってしまったのか。その原因がわかるのである。
まさにメキシコの経済的破綻は偶然に起きたのではなかった。ある筋によって操作され破壊されたのである。他の発展途上国の経済に起きたこともまた偶然のことではなく、金融上の投機操作によってもたらされたものであることがわかるのである。このようなことをする、いわゆる大いなる者たちは、誰それを幸福にしよう、誰それは幸福になってはいけないという、決定をする力を持っているほどなのである。彼らは、発展途上国やその他の国々が、自分たちにひれ伏すようにと要求しているのである。繰り返し述べるが、私がここで演説するようにという要請を受けたとき、自分としては、自分たちが受けた祝福、自分たちの持っている抱負について語りつつ、まだ苦しい中にある諸国が同じように繁栄する国々になってほしいと、語ろうとしていたのであった。それゆえに、その招待を受けたのであった。その時には、今あるような現状をとても知る術がなかったし、また金融の操作されていくことなどについても、知る術がなかったのであった。
巨額な数字が、銀行から銀行へと、帳簿上動き回るだけですから。実体のある貨幣は、この種の取引には一切関係がなくて、関係があるのは数字の動きだけです。私が申し上げたいのは、ただ暴利を貪って何とも思わない連中から、社会や国家を防衛しなければならないということなのである。
このようなことを言えば、少なからざる語弊を与えることになるかもしれない。しかしながら通貨の売買、すなわち為替取引は不必要なものであって、倫理にももとるものであることを、明らかにしておかなければならない。通貨の売買は正しいことではない。通貨の売買は、非合法にされなければならないのである。われわれにとって通貨の売買は必要ではない。実際に貿易が行われ、そのための決済が行われる所でのみ、すなわち現金がどうしても必要な場合にだけ、金銭を買うという行為を認めればよいのである。このような時以外に、われわれは商品を買ったり売ったりするのと同じように、貨幣を売ったり買ったりする必要は認められるべきではない。これらの為替相場仕掛人たちは、強力な力を持っている者たちであるがゆえに、気をつけなければならないとよく忠告されてきた。われわれが彼らのやり方を暴露したり、またどのような形であったにしても彼らを怒らしてしまうならば、報復されることも、そして彼らがいったん怒ると、それらを暴露した者たちを皆殺しにしたり、狂人にしたり、廃人にしたりすることも知っている。われらがどれほど彼らに抵抗したところで、彼らからくる殺人を含んだ報復に対して、何もできないことを認めざるを得ないのである。われわれが繁栄するのも繁栄しないのも、これら仕掛人たちが決定することも判っているのである。