あとがき 


昨年9月に米国テロ事件が発生した。又、靖国神社に小泉総理が参拝することに中国や韓国が干渉した。江沢民は、小泉総理をパスさせるわけにはいかぬとも言った。中国や韓国の教科書を垣間見ても私は恐るべき欺瞞すら感じている。いい加減なものとさえ思う。史実を自国に都合のいいように記載している。どこの国もそんなものだ。それを日本だけにに干渉するのは、私は政治家や外交官が信念を持ち体を張ってやらないからだと思う。新しい教科書でも多くの教員経験者も素晴らしいと言う。それが教科書として実現されないのは教育委員会とか教師たちが体を張って信念として貫かないからだ。矢面に立つのを避けているのだと思う。それが戦後ヅルヅルと今日迄続き遂に国益を阻害するまでに到ったのだ。親も子供の躾に体を張らない。戦後の共通する問題はここにある。私は住友銀行支店長の時、好ましからざる連中に融資を拒否した時、部下に殺してやると言ったという。100万円の融資が不良債権になれば辞表を出さねばと言う思いで体を張ってやっていた。民間では無責任は辞任と倒産に直結する。政治と公的職務の指導層を中心にその場しのぎの成り行きまかせがかかる現状を招いたと思う。責任感溢れるものが欠けていたのだ。このまま推移せんか、日本国は亡国への道まっしぐらとさえ感じる。悲観的過ぎるのであろうか。私には亡国への地鳴りとして聞こえる。
      平成14年4月吉日   徳永圀

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