ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

先住民たちの文化とその保護

モスラ――1961年『モスラ』より


 1961年に公開された『モスラ』に登場した怪獣モスラは、インファント島の守り神という位置づけである。あくまでもインファント島の守護神であって、人間の味方ではない。さらわれた小美人の奪還という目的のためには、日本もアメリカも関係なしに破壊しつくす、日本側から見れば破壊神も同然の存在であった。続編にあたる1964年公開の『モスラ対ゴジラ』で、余命いくばくもない体を押して、ゴジラと戦うために日本に向かったのは贖罪の意味もあったのかもしれないが……。

 さて、そのモスラの故郷であるインファント島は1961年の『モスラ』をはじめとした昭和シリーズでは太平洋上の南洋諸島に存在するという設定となっている。ロリシカ国の統治下にあり、長らく無人島だと思われており、この島の付近で核実験が行われたため、インファント島の環境は破壊されている。ロリシカという名前は、アメリカとロシアの名前をもじった架空の国であり、インファント島も現実には存在しないしない島ではあるが、現実の世界でも、東西冷戦時代のアメリカ合衆国とソビエト連邦を中心に、大気圏内核実験・地下核実験を2000回も行っており、その中には1954年の第五福竜丸の被爆事件のような悲劇も少なからず存在した。

 第五福竜丸の被爆事件は1954年3月1日にマーシャル諸島はビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験『キャッスル作戦』で起こった。広島に投下された原爆の1000倍の爆発力を持った水素爆弾の爆発――具体的には、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターができるほどの破壊力であった――は、大量の放射性物質を含んだ死の灰を降り注がせ、第五福竜丸とその乗員23名を含め、数百隻の漁船とその船員約2万名が被爆したとされる。また、この死の灰は、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にまで届き、島民64人が被曝し、アメリカ政府によって強制的に移住させられることとなった。3年後に帰国が許されたものの、故郷に戻った島民たちを待っていたのは、甲状腺の腫瘍や白血病といった放射線障害であったという。

 核実験の舞台となったビキニ環礁では1946年7月と1954年から1958年にかけて、核実験が行われた。ビキニ環礁に住んでいた170名の住人は、強制移住させられたが、移住先では産業資源にも乏しく、人々は困窮を余儀なくされたという。ビキニ環礁には、1970年代に島民の帰島が行われたが、放射線障害によって再び離島を余儀なくされた。1985年にビキニ環礁やロンゲラップ環礁が属するマーシャル諸島は独立し、マーシャル諸島共和国となる。ビキニ環礁は国際原子力機関(IAEA)が1998年に発表した放射能調査の調査結果によって、永住には適さないと結論付けられた。

 正直、情報の少なかったあの時代に、『モスラ』の制作者が、ビキニ環礁やロンゲラップ環礁の受けた住人たちの悲劇を知ったうえでインファント島の設定を作ったとは思わない。しかし、15世紀の大航海の時代を起点に、南北アメリカ、オーストラリア、アフリカなどに文明人を自認する侵略者たちが進出していき、先住民たちには虐殺・迫害・強制労働・奴隷売買といった悲惨な運命が与えられた。1961年の『モスラ』のパンフレットでは、先住民問題がテーマとして挙げられており、先住民の人権と文化の尊重といったことが当時すでに関心を持たれていたのだと伺えるが、2007年に採択された『先住民族の国際連合宣言』は起草から採択まで実に22年の歳月がかかっており、非常に根深い問題である。

ゴジラとゴジラの敵たちの時代