ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

武力攻撃とみなされるかどうか……判断は難しい

1995年3月公開の映画『ガメラ〜大怪獣空中決戦〜』より


 1995年3月11日に公開された特撮映画『ガメラ〜大怪獣空中決戦』は、昭和ガメラシリーズ後期の子供向けの路線から一転、「現実に怪獣が出現したら」というリアリティにこだわった演出で、これまでの怪獣映画とは一線を画した作品に仕上がった。今見ると、いろいろ首を傾げてしまうところもあるものの、日本の特撮のみならず映画史に残る名作であり、日本特撮・怪獣映画の金字塔である。

 表記の台詞は、映画に出てきたものではなく、映画のノベライズ版で出てきたものである。なので、以下の台詞もノベライズ版のものである。

 福岡ドームでのトリ(ギャオス)捕獲作戦を妨害するかのように出現した怪獣(ガメラ)。なぜかガメラは福岡ドームで動きを止める。主人公の米森は、作戦指揮を執る中隊長に攻撃を迫る。以下は、米森と中隊長、それから責任者の環境庁(現環境省)の斎藤審議官のやり取りである。

米森「攻撃は? なぜ、攻撃しないんです?」
中隊長「自衛隊法76条により、武力行使が認められるのは、防衛出動の場合に限られています」
斎藤「その場合でも、相手による武力攻撃が行われなければ、こちらが攻撃することは許されない。しかもだ、国連憲章第51条には、自衛権の発動は武力攻撃が発生した場合に限る、と記されている。あれが――あいつが上陸したとして、それが武力攻撃とみなされるかどうか……判断は難しい」
米森「そんなこといっている場合ですか!」

 正しいかそうでないかは別として、怪獣出現→怪獣攻撃の法的根拠に言及した場面は珍しいように思う。個人的には、怪獣は他国からの侵略行為ではなく、ただの大型生物でしかない(もちろん、某国が極秘開発した生物兵器とかだったりしたら話は違ってくるだろうが)以上、ただの有害鳥獣駆除……だと思うので、武力行使とか防衛出動とか考えなくてもいいんじゃない? と思うのだが、そうもいかないのだろうか。

 災害出動において、原則では銃火器は使用しないが、ほかに適当な手段がない場合では銃火器を使用するケースもあるので、絶対に使ってはならないと定められているわけではない。たとえば1974年11月の第拾雄洋丸の事故では、海上自衛隊が魚雷まで使って沈めているし、1960年9月に谷川岳の遭難事故で宙吊りになった遺体を、銃でロープを切断して下ろしたこともある。また、有害鳥獣駆除に自衛隊が駆り出された例もいくつかある。1960年代に北海道で海獣が増えすぎた際は機銃を使って排除しているし、2011年に北海道のエゾシカ駆除でも自衛隊が協力している(自衛隊が銃を使用したのではなく、ヘリを出して鹿の移動を確認して地上の猟友会と連携をとりながら駆除を行った。)。それに、「部隊が移動している途中で、人命及び財産を脅かすような災害に遭遇した場合、部隊指揮官がその判断で臨機応変に救助・救命活動を行うこと」は別に禁止されているわけではないということなので、仮に福岡ドームの事件で、ギャオス用に用意していた火器をガメラに使用することは可能だったのかもしれない。

 前例は探せば出てくるとはいえ、最終的にはトップが腹をくくれるかどうかという側面もあるだろう。現実が想定していないことに現実の法律をあわせるよりも、怪獣の存在が明らかになったら速やかに「対怪獣行動」のようなすべてワンパックになった法律を成立させたほうが、よほど現実的かもしれない。怪獣を最終的に殺処分にできたとしても、被害状況が軽微だった場合も逆に甚大すぎた場合も国民からは非難の声が上がる可能性がある。国民の理解を得られたとしても、日本を叩くのを生き甲斐にしているあの環境保護団体とか、日本を貶めるのを国益と考えているあの国とか、国民無視で政府・与党の揚げ足を取るのを党是にしているあの政党とか、反権力のためになら国を売っても何とも思わないあの団体とか、スクープとか視聴率のためなら報道の正義などお構いなしのあのマスコミとかが騒ぎ立てるのは間違いなく、結果、日本の政治は何らかの形で停滞を余儀なくされるだろう。その責任を現場に押し付けるのはあまりにも酷過ぎる。

創作物のセリフから