このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「アブラハムの死後、イサクは」 創世記25:1〜11
■ 井戸を掘りましょう:
先週、私たちは召天された方々の記念礼拝を守り、天候もなんとか支えら
れて、午後のひととき、墓前での時を過ごすことができましたが、墓石に刻
み込まれた「復活」の二字に目を留めながら、クリスチャンの死について考
えていました。
クリスチャンの死も、死であるからには、時として痛み、苦しみが伴いま
す。間もなく、教団の創立記念の日、10月21日を迎えようとしています
が、教団の創設者の夫人、蔦田宣子師は晩年癌との戦いの日々を過ごされま
した。看護婦さんが"あんなに忍耐強い人を見たことがない"と感想を述べ
ていたとのことです。病床にあって常々"イエスさまのお苦しみに比べた
ら自分の苦しみなんか、、、"と言っておられたとのことですが、随分と苦
しみを忍ばれたようです。クリスチャンの死にも、苦しみ、痛みのみか、悲
しみがあることも当然です。しかし、クリスチャンの死の最大の特長は、苦
しみ、悲しみに打ち勝たせる希望のあることです。パウロは、テサロニケの
クリスチャンたちに「眠った人々のことについては、、、他の望みのない人
々のように悲しみに沈むことがないためです。」と書き送りました(Tテサ
4:13)。クリスチャンにとって死はしばしの眠りなのです。やがて、復
活の朝、目覚めの時を迎えます。賛美歌に"ああ、その朝、ああ、その朝、
義の日は出でて輝かん。ああ、その朝、ああ、その朝、救い主に我ら会わん、
とあります。
さて、私たちは今年礼拝毎にアブラハムの生涯を辿って学んできました。
11章の終わりから、もっと大まかに言うと、12章から、25章まで、14ヶ
章をカバ−してきたわけです。今朝読みました25章には、アブラハムの
死の記事があります。第8節「アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全う
して息絶えて死に、、、」とあります。
アブラハムは旧約時代の人で、その時代には新約聖書を持って、それによ
って教えられている現代のクリスチャンと違って、人が死んだらどうなるか、
といったことは明確に啓示の光を通して教えられていない時代に生きていま
した。伝道の書には、人も獣も死んでしまえば同じではないか、悪人も、善
人も同じように死ぬではないか、といった嘆きのことばが見られます。その
ように時代にもかかわらず、アブラハムは神の民として、平安な死を経験し
たのです。仏教的な用語ですが、また、日本的、東洋的とも言えることばで
すが、アブラハムは大往生を遂げたのです。
偉大な人物でも、平凡な人でも何時かは死の時を迎えます。アブラハムに
もその時がきました。私たちにも、何時かはその時が来るのです。"人生に
おいて一番確かなことは、誰でも必ず、死の時を迎えるということだ"と言
った人がいます。
さて、アブラハムはその一生を閉じた時、何を遺したでしょうか。今朝の
聖書のみことばからの学びは"アブラハムの遺したもの"です。
T アブラハムは、第一に"アブラハムという名"を遺しました。
今から約4000年も前の歴史上の人物で、その何人の名前が現代に伝わ
ってきていますでしょうか。今とは比べようがないほど人口が少なかったの
は事実です。しかし、世界に何百万、何千万という人がいたことでしょう。
その中の何人の名が後代に伝えられていることでしょうか。考えてみれば、
不思議なことです。遠いパレスチナ地方のたかが部族の長の名が、4000
年の歳月、また、何万キロの距離を越えて、現代の私たちに届いているので
す。
アブラハムの生涯の出だしを思い起してください。神はアブラハムに何と
語られたでしょうか。12章2節「そうすれば、あなたの名を大いなるもの
としよう」と神はアブラハムに語られたのです。約束されたのです。それで
すから、アブラハムの名が今日にまで伝わってきていると言うことは、神が
ご自分の約束に対する忠実さの証しに他なりません。アブラハムの名、その
ものの偉大さではなく、おことばに忠実な神への証しとしての意義がありま
す。
今IGMにはシンガポ−ルからの宣教師派遣要請が届いています。この招
きはフレデイ−・ゴカビという福音的なメソジスト教会の牧師からのもので
す。ゴカビ師はインド人です。インドの神学校の卒業生で、私にとっては先
輩です。竿代信和先生や、田中敬康先生にとっては同級生です。しかし、こ
の招きは同級生だから、同窓生だからというだけで来ているのではないので
す。そのメソジスト教会では新しく会堂を建てましたが、前の会堂の会堂建
築の時の献金者の名簿の中に、蔦田顕理という名が見つかったのです。この
方はIGMの創設者、蔦田二雄師の父君でクリスチャンでした。シンガポ−
ルで戦前歯科医をしておられたのです。日本人会の会長を務めたこともあっ
たということです。この蔦田顕理氏に関係ある教会だと言うことで、IGM
に招きが寄せられたのです。いずれにしても、神への愛と献身の証しとして
名が遺されているとは、なんと幸いなことでしょうか。
しかし、更に、福音書を見ますと、弟子が伝道に派遣されて、帰って来た
時のことが記事になっている所があります。ルカの10の17以下です。弟
子たちは、素晴らしい働きをした、と喜び勇んで、帰って来ました。主イエ
スはそのような弟子たちに対して、「あなた方の名が天に記されたことを喜
びなさい」と諭しなさいました。天の生命の書に名が記されている、これほ
ど幸いなことはありません。素晴らしいことはありません。
私たちの名を世の中は忘れ去ることでしょう。墓石に刻み込まれた名も、
50年、100年たてば、苔むして読めなくなることがあるかもしれません。し
かし、天において私たちの名が覚えられ、書に書き留められている、これは
何と幸いなことでしょうか。何たる祝福でしょうか。
U アブラハムが死んで後に遺したものの第二は、"家族の間の秩序とハ −モニ−"です。
NHKの大河ドラマの"春日の局"では、第二代将軍の二人の子、竹千代
と国千代との争いがみられます。将軍家など例に取らなくても、極々一般の
家庭でも、耳にすることは、立派なおやじさんがでんと構えていた家が、そ
の家族の中心が亡くなった途端、遺された兄弟、親族の間での争いが表面化
すると言うのは、よくあることです。血をわけた兄弟が口もきかない、行き
来しない、といったことをよく聞きます。ちょっとした遺産の分け方を巡っ
て、そうしたことが起こるものです。
アブラハムはそうした家族間の関係に一切の後顧の憂いのないように心を
用いて、世を去って行きました。25章1節には、イサクが成人し、嫁を迎
えた後に、アブラハムは妻をめとったとあります。それがケトラで、この夫
人は子だくさんで、アブラハムに六人の子を生んだとあります。6節を見ま
すと、アブラハムはこうした子らに生存中に贈り物を取らせ、各々を独立さ
せました。
第5節に「全財産をイサクに与えた」とありますが、私たちは聖書がそう
言っているものと理解してはなりません。現在には現在の遺産相続に関する
法律があって、長男のみではなく、凡ての子にも権利を与えているからです。
今朝私たちが心に留めるべき真理は、アブラハムは死後、家族の間に紛争
の種を後顧の憂いを遺しもしなかった、ということです。むしろ、彼は家族
に秩序を調和をのこしたと言うことです。9節にイサクとイシュマエルの名
が記されています。先日学んだ折りに語ったように、新約聖書の象徴からは
二人は相反する主義を象徴しているようです。即ち、イサクは恩寵主義、恵
みによっての原理であり、イシマエルは律法主義を象徴しています。しかし、
イサクとイシュマエルは歴史的な出来事としては、腹違いの子たちにもかか
わらず、協力して父を葬っている姿は、麗しいものです。
V 第三のアブラハムの遺したものは、"多くの教訓"です。
私たちはその多くの教訓を学びながら、今日まで12章から25章へとア
ブラハムの生涯を辿って来ました。彼の一生は多くの教訓を私たちに与えて
くれます。そのひとつ、最大の教訓は、真の神に信頼し、委ね従って歩む人
生の祝福に関する教訓です。
創世記12章にはアブラハムが召し出された時、神が繰り返し繰り返し語
られたことがありました。「そうすれば」神は彼を、また、彼の子孫を、全
世界を祝福するとのことです。「そうすれば」−即ち、アブラハムが神に従
い、彼の故郷、親族、父の家を離れるなら、です。アブラハムお人生の目的
は、この神の祝福の証し人になることでした。真の神により頼む者は決して
失望させられることがない!、このことの証しの為にアブラハムは凡てを捨
てて彼の古巣から出発したのでした。
私たちクリスチャンも彼と同じ人生の目的を持って、神の従う者に対する
祝福を証しする目的をもってこの人生の道を辿っています。
先程、私たちの群の創設者、蔦田二雄師の父上、顕理氏のことに言及しま
した。シンガポ−ルで歯科医をしていたクリスチャンです。昨年ブラジルを
宣教視察しました折り、ひとりの方をお訪ねしました。村上真市郎といって
シンガポ−ル時代、蔦田顕理氏の協力者として働いていた方です。第二次世
界大戦の暗雲がシンガポ−ルにも立ちこめつつあった頃、村上さんはシンガ
ポ−ルに見切りをつけて、移民としてブラジルに渡航されました。顕理氏の
許で稼いだ資金と顕理氏から教えられたクリスチャン信仰とをもって、、。
困難な戦前の開拓移民の中にあって、村上氏は成功を収めなさいました。歯
科医として今、村上さんは老年を迎えられ、退職し大邸宅を構えて楽隠居さ
れています。クリスチャンとしても成功し、その家庭で始まった教会学校は
今ではひとつの教会に発展しています。村上さんの人生は、神に従うことへ
の神の祝福の証しの人生です。
アブラハムはその教訓を遺して世を去って行きました。蔦田顕理氏もそう
です。村上氏まだはご存命ですから、"教訓を遺して"とは申し上げられま
せん。しかし、確かに神が従う者へ祝福を与えてくださるということの証し
人です。
W 第四にアブラハムが遺したもの は何だったでしょうか。
先に言及した三つのものを振り返ってみましょう。アブラハムは死の時を
迎えた時、何を後に遺しましたでしょうか。
・第一に、彼はアブラハムという名を後代に遺しました。時間の経緯の中
で、後に名を遺すことができることは幸いなことです。しかし、それ以上に、
時間を越えて永遠の世界に、生命の書に、名が遺されること、これは更に幸
いです。
・アブラハムは、第二に、争いのない家庭、親族を残しました。彼は生存
中に凡ての後顧の憂いとなるものの芽を詰み取ったのです。彼は家庭に平和
を残してゆきました。
・更にアブラハムは多くの教訓を遺しました。殊に信仰の教訓を私たちに
遺したのです。
そして、第四番目、最後に、第11節を見ましょう。「イサクはベエル・
ラハイ・ロイの近くに住みついた」と暗示深くも書かれています。このこと
ばの意味するところを考えてみましょう。「ベエル・ラハイ・ロイ」とは地
名です。どのような意味を有した地名だったのでしょうか。創世記16章13
節をご覧ください。「エル・ロイ」とは「ご覧になる神」、「生きておら
れる神」との意味です。「ベエル」は井戸です。ハガルという女奴隷が、そ
の人生における失意の中で体験した真理、即ち、神は私たちの苦しみ、涙を
見て、知っていてくださる、更に、見て弁えていてくださるのみか、生きて
おられる神は必要な折りにかなった助けの手を差し伸べてくださる、との真
理です。
イサクは父アブラハムの死後、その記念の名を持った井戸の近くに居を構
えたのです。アブラハムが遺したもの、それは何だったでしょうか。それは
その子イサクの心にある神を敬う心、神を慕う心だったのです。「エル・ロ
イ」−ご覧になる神への信仰です。
私たちも子どもたちの心に、ご覧になる神、知っていてくださる神の意識
を植えつけ、遺して世を去ることができたなら、どんなにか幸いであり、嬉
しいことでしょうか。何を遺すに勝って信仰を子らに遺すことができたら。
家屋敷を子どもたちに遺すこともよいでしょう。株券やゴルフ・クラブの会
員権を遺すことの悪いことではありません。しかし、こどもに神を敬う心、
神を慕う心を遺せなかったなら、自分だけで天国に入っても、天国の祝福を
楽しむことができますでしょうか。
アブラハムは遺した最大のものは、イサクの信仰だったのです。イサクが
アブラハムの死後、ソドム・ゴモラの近くではなく、ベエル・ラハイ・ロイ
の近くに住んだという事実です。「アブラハムの死後、神は彼の子イサクを
祝福された」と10節に書かれていますが、イサクが「ベエル・ラハイ・ロ
イ」に住んだこと、これこそがその祝福の理由、秘密なのです。アブラハム
が信仰の生涯を生き抜いたように、その子イサクも信仰の生涯を辿ったので
す。
IGMの創立記念の日が間近であることを覚えて、蔦田宣子師のことをお
話しました。蔦田顕理氏に言及しました。蔦田真実師は蔦田二雄師のご長男
です。現在主都中央教会の牧師をしておられます。昭和の一桁生まれです。
戦後直後、青年としてご自分の人生の岐路に立たれた時、周囲の多くの人は
時代の流れに流されていて模範にするに値しなかった、とのことです。周囲
が"八紘一宇"といえば、"八紘一宇"、"大東亜共栄圏"と言えば、その
繰り返し。戦後になって"民主主義"と言えば、"民主主義"を欧歌する。
そのような時代の中に、二人心に留まった人々があったそうです。徳田球一
と自分の父親のふたりです。徳田球一は共産党ということで投獄されました。
蔦田二雄師はクリスチャン信仰の故に、これまた投獄されたのです。真実師
は考えました、このふたりが、投獄されても放棄しようとしなかったものは
何だったのかと。見習うとしたら、自分の人生の手本とするとしたら、この
どちらかだと。真実師は結局、父親と同じクリスチャン信仰を取りました。
その判断は正しかったのです。今日、共産主義は理論としては素晴らしくて
も実践としては機能しないことが確かになりつつあります。ソ連のペレスト
ロイカ、次いで、ハンガリ−は共産党を放棄して、先日新しい社会党を生み
出しました。いずれにしても、蔦田二雄師の道、クリスチャン信仰の道を真
実師は歩むことにされたのです。
アブラハムは「信仰の父」と呼ばれています。信仰一筋に生きたのです。
その子イサクは、アブラハムの死後、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住み、
父アブラハムの道に進むことを証ししました。アブラハムはその子イサクに
何にも勝って信仰を、神を敬い、神に従う心を遺していったのです(1989/10/15、礼拝)。
■ キリスト、ペテロの足を洗う