このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油そそいでユダの家の王とした。」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第二・2:1〜7
■ 井戸を掘りましょう:
. .ダビデが油そそがれたのは、ずっと以前のベツレヘムで羊飼いをしていた時代でした。サウルが依然として王座に在ったときから、主である神のみ前ではダビデが王として立てられていました。しかし、この箇所に記されているユダの人々によるダビデの油そそぎの記事は、神のご嘉納とともに人々にも受け入れてもらうことの大切さを教えています。
. .ある人々は、神のご嘉納さえ得ていれば、人々が受け入れようと受け入れまいとそんなことは関わりない。神のご嘉納のみで十分だと考えています。しかし、神に受け入れていただくとともに、人々によっても受け入れてもらうことが大切です。神のご嘉納は成功への必須条件であっても、十分条件ではないのです。
. .ダビデにとって、ユダの人々による油そそぎということがなかったなら、彼はユダの家の王となることはできませんでした。治めるべき国、治めるべき民のいない王は、裸の王様に過ぎません。人々を治めるには、その人々の同意、彼らの支持が必要とされます。
. .この真理を、教会におけるはたらきに適応してみましょう。私たちが牧師・伝道者といった教会の働き人として立つには、主である神の召命が必須です。神のみこころ、神によるご嘉納があって初めて、人は聖職につくことができます。しかし、たとえ、神の召命を自覚していても、教会と言う場面で、奉仕すべき教会の兄弟姉妹がたの協力、賛同、同意が得られなかったら、その奉仕は進まないのです。牧師はこのことをしばしば忘れて、神による権限を振り回して、神の民のこころを捉えることに腐心しないで打ち過ごしてしまうことがあります。それは神の召命に関する大きな誤解によるのです。
. .伝道者は、奉仕に対する神の召命を確信するとともに、奉仕すべき人々の心を捉え、彼らの支持を受けるよう心を用いるべきでしょう。謙遜は、教会の働き人が身に着けているべき大切な衣です。
☆. ダビデの生涯/0024:「状況判断の的確さ」
☆. ダビデの生涯/0023:「神のご嘉納と人々の受諾」
☆. ダビデの生涯/0022:「愛する者の死に接して」
☆. ダビデの生涯/0021:「神の時計と人の時計」
☆. ダビデの生涯/0020:「試練から来る悩みの克服」
☆. ダビデの生涯/0019:「人の評価と主の摂理」
☆. ダビデの生涯/0018:「霊媒・死後の世界との交流は可能か」
☆. ダビデの生涯/0017:「信仰の動揺、信仰の衰退」
☆. ダビデの生涯/0016:「繰り返される信仰の試練」
☆. ダビデの生涯/0015:「信仰者と人間関係」
☆. ダビデの生涯/0014:「信仰の試練と忍耐」
☆. ダビデの生涯/0013:「みこころを求め続ける生涯」
☆. ダビデの生涯/0012:「人・悲しい存在」
☆. ダビデの生涯/0011:「二つのタイプの指導者」
☆. ダビデの生涯/0010:「信仰者と偽りのことば」
☆. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動を伴う」
☆. ダビデの生涯/0008:「みこころの成就のタイミング」
☆. ダビデの生涯/0007:「成功とその反応」
☆. ダビデの生涯/0006:「信仰によって結ばれた友情」
☆. ダビデの生涯/0005:「技術を支える心の状態」
☆. ダビデの生涯/0004:「人々の誤解・無理解に直面して」
☆. ダビデの生涯/0003:「変化する環境への順応」
☆. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
☆. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」