.  フィリップの「井戸掘り日記」」も、第63回で「ダビデの生涯」、列王記第一のダビデの死の記事にまで辿りつきました。しかし、ダビデの生涯は、歴代誌第一にも記述されていて、既にこれまでにカバーしたサムエル記第一、第二、そして、列王記第一とは少し異なった記述を見出すことができます。それで「ダビデとともに憩いの水際で」(ダビデの生涯)の補遺として、歴代誌の井戸からも水を汲み上げてみたいと思います。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第B22講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、主に尋ねなかった。それで、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。」.                   歴代誌第一・10:1〜14 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. . サムエル記第一の16章の記事に、ダビデの名が聖書に初めて見出される前の15章には、すなわち、サウル王の不服従を語っている章には、サムエルからの告知としてサウルは「主は、きょう、あなたからイスラエルの王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれたあなたの友に与えられました。」(28節)と告げられました。ダビデの名前はそこでは具体的に述べられていません。

. . 主の預言者として、この宣告を与えたサムエルも、その「友」が誰なのかを知らなかったことは、16章のエッサイの家に赴いた時の記事から分かります。主はサムエルに「あなたのなすべきことを、このわたしが教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油をそそげ。」(15:3)と語って、サムエルをエッサイの許に遣わしたのでした。

. . 主ご自身だけが知り、明らかにされていない私たち個人個人に関わるご計画があるということは、何と神秘的なことでしょうか。私たちの生涯は、ダビデの生涯同様、未だ明かされていない主のご計画によって展開してゆくことを、誰が悟っているでしょうか。

. .主が抱いておられる「私」に関するご計画を、「私」がいち早く見出して、そのご計画に従って人生の道筋を歩むことが、祝福であり、また、人生の寄り道をしないで済む秘訣なのではないでしょうか。

. .今日の聖書箇所は、サウル失脚の理由が二重の罪のゆえであるかのように述べていますが、サウルが除かれたのは「不信の罪」ゆえであったことがサムエル記から分かります。霊媒を求めたことは、不信の当然の帰結としてのことだったのです。サウルならずとも、人はまことの神を見失うと、神以外のものを求め始めるのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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