このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にまさって、すばらしかった。ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた。」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第二・1:17〜27
■ 井戸を掘りましょう:
. .愛する者の死の報に接して、ダビデが詠んだ悲しみの歌の締め括りの部分です。神を信じる者同志、やがての時、天での再開の時があることを信仰によって頷いていても、愛する者の死は矢張り悲しみ・痛みをもたらします。人の死に接して、特に、親しい者たちの死の報に接して、平然としているようには、私たち人は創造されていないのです。私たちは信仰者であっても愛する者の死の情況を思って痛み、愛する者との地上でのお別れを惜しんで悲しむのです。これが人の情です。
. .ダビデにとってヨナタンは特別な信仰の友人でした。ダビデが王となれば、自分が王子として生れているにもかかわらず、その地位を失うこと知っていても、なおヨナタンは自分自身の父親・サウル王に楯突いてまでして、ダビデのいのちを守ったのです。確かにヨナタンのダビデに対する愛は、女の愛にも勝る愛でした。友情がこのような高い山頂にまで昇り詰めることもあるのです。
. .ヨナタンの払った犠牲を、ダビデは、終生決して忘れません。後に見るように、ヨナタンに与えることのできなかったものを、ダビデは、ヨナタンの足の不自由な息子・メフィボシェテに施します。死によっても失われることのない友情がここにあります。
. .主イエスは、ヨナタンがダビデに対して示した以上の愛を、私たちに示してくださいました。主イエスは、私たちの救い、私たちが天の御国にあって主とともに王となるために、栄光の座を離れてこの地上に来てくださり、私たちのためにそのいのちを与えられたのです。「その贖いにて、我は生きぬ。我何をなして主に報いし?」と賛美歌にありますが、私たち、否、私は、この問い掛けに何とお答えするのでしょうか。
☆. ダビデの生涯/0021: 「突然に臨む死の時」
☆. ダビデの生涯/0020: 「」
☆. ダビデの生涯/0019: 「」
☆. ダビデの生涯/0018: 「」
☆. ダビデの生涯/0017: 「」
☆. ダビデの生涯/0016: 「繰り返し襲いかかる試練」
☆. ダビデの生涯/0015: 「信仰者の人間関係」
☆. ダビデの生涯/0014: 「信仰生涯における試練と忍耐」
☆. ダビデの生涯/0013: 「みこころを求め続ける生涯」
☆. ダビデの生涯/0012: 「人・悲しい存在」
☆. ダビデの生涯/0011: 「二つのタイプの指導者」
☆. ダビデの生涯/0010: 「信仰者と偽りのことば」
☆. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動する」
☆. ダビデの生涯/0008:「みこころの成就のタイミング」
☆. ダビデの生涯/0007:「成功と人々の反応」
☆. ダビデの生涯/0006:「信仰によって結ばれた友情」
☆. ダビデの生涯/0005:「技術を支える心の状態」
☆. ダビデの生涯/0004:「人々の誤解・無理解に直面して」
☆. ダビデの生涯/0003:「変化する環境への順応」
☆. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
☆. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」