. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第30講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「主の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第二・6:12〜23

■ 井戸を掘りましょう:

. .この章で「主の箱」と呼ばれている主の契約の箱をエルサレムに運び入れるに際してのダビデの行動、そして、それに対するミカルの反応は、信仰における実と型と言う問題を考えさます。

. .かってイスラエルは、信仰の実質が失われているのに、信仰の型により頼んで、戦場に契約の箱を持ち込めば勝利間違いなしと勘違いし、手痛い敗北を喫しました。契約の箱は敵ペリシテ人に奪われ、イスラエルの戦士たちは戦場にそのいのちを散らしたのです。信仰の実のない型だけの空しさを、この出来事は教えています。

. . 他方、この章では、主の箱の帰還を喜ぶあまりにその前で踊りはねたダビデの行動から、信仰に実が見られるとき、その信仰の実は何らかの型となって現されると言うことを学びます。ダビデの喜びは信仰の実の一つの表現として、ダビデにとっては当然でした。しかし、信仰の異なった実質の持ち主であったミカルには理解できない、愚かな行動に思えたのです。彼女はダビデをさげすみました。

. .信仰の実のない型のみというのは空しいものですが、同時に、実があっても、それが型として表現されないということも奇妙なものです。内実は必ず型になって表現されるものだからです。それですから、信仰が生きているなら、礼拝を守る、聖書を読む、礼拝のための服装を整える、、、と言った信仰の型が意味を持ってくるのです。それをミカルのように、信仰の型・信仰の表れを嘲ることは、彼女自身に信仰の実が欠如していることを暴露する結果になります。

. .礼拝の中心は、主ご自身の臨在にあります。しかし、主の臨在があるとき、私たちの礼拝を見える型に表現することも大切であることを心に留めましょう。

高知県・越知町の大樽の滝   下の「☆印」をクリックしてください

. ダビデの生涯/0029:「」
. ダビデの生涯/0028:「」
. ダビデの生涯/0027:「事件への対応の後への影響」
. ダビデの生涯/0026:「人々を通して働きかける神」
. ダビデの生涯/0025:「時代環境の感化・影響」
. ダビデの生涯/0024:「状況判断の的確さ」
. ダビデの生涯/0023:「神のご嘉納と人々の受諾」
. ダビデの生涯/0022:「愛する者の死に接して」
. ダビデの生涯/0021:「神の時計と人の時計」
. ダビデの生涯/0020:「試練から来る悩みの克服」
. ダビデの生涯/0019:「人の評価と主の摂理」
. ダビデの生涯/0018:「霊媒・死後の世界との交流は可能か」
. ダビデの生涯/0017:「信仰の動揺、信仰の衰退」
. ダビデの生涯/0016:「繰り返される信仰の試練」
. ダビデの生涯/0015:「信仰者と人間関係」
. ダビデの生涯/0014:「信仰の試練と忍耐」
. ダビデの生涯/0013:「みこころを求め続ける生涯」
. ダビデの生涯/0012:「人・悲しい存在」
. ダビデの生涯/0011:「二つのタイプの指導者」
. ダビデの生涯/0010:「信仰者と偽りのことば」
. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動を伴う」
. ダビデの生涯/0008:「みこころの成就のタイミング」
. ダビデの生涯/0007:「成功とその反応」
. ダビデの生涯/0006:「信仰によって結ばれた友情」
. ダビデの生涯/0005:「技術を支える心の状態」
. ダビデの生涯/0004:「人々の誤解・無理解に直面して」
. ダビデの生涯/0003:「変化する環境への順応」
. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」


Copy right 2004 PZH
All rights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる