. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第B30講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真中に安置した。それから、彼らは神の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえを捧げた。ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえを捧げ終えてから、主の名によって民を祝福した。」.                               歴代誌第一・16:1〜7

■ 井戸を掘りましょう:

. .ダビデは、神が真に求めたもうものは、全焼のいけにえでも和解のいけにえでもないことを知っていました。神が求めたもうものは「砕かれた霊、砕かれた、悔いた心」であることを個人的には弁えていたのです。

. .個人的にはそうであることを弁えていても、ダビデはイスラエルの王として、民を代表して律法に対して忠実であることが求められました。律法の遵守は、イスラエルの王にとっては、王としての義務だったのです。

. . このように、信仰には個人的な面と公的な面との両面があります。これは信仰を二元化してしまうこととは異なった、信仰の表れに関する事柄です。

. .新約時代の信仰にも、ダビデが示したような信仰の表れの二面性があります。個人的には、信仰は全き自由を信じる者たちにもたらします。しかし、教会という交わりにあっては、礼拝をともに守ると言うことは、信じる者にとっての義務であって、それを自由だからと言って、公同の礼拝をなおざりにすることは、個人的な自由のはき違えです。

. .20世紀になって、主イエスに対する信仰は持っていても、地上の教会から離脱して、個人的にのみ信仰を持ちつづけると言うタイプのクリスチャンが増えました。それは信仰の二面性を弁えないで、個人的な面のみを強調した結果といえましょう。信仰者にとって、教会にあっての信仰の交わりは不可欠なので、どうでもよいという問題ではありません。教会は、信仰者の一部なのです。

高知県・越知町の大樽の滝   下の「☆印」をクリックしてください

. ダビデの生涯/0027:「事件への対応の後への影響」
. ダビデの生涯/0026:「人々を通して働きかける神」
. ダビデの生涯/0025:「時代環境の感化・影響」
. ダビデの生涯/0024:「状況判断の的確さ」
. ダビデの生涯/0023:「神のご嘉納と人々の受諾」
. ダビデの生涯/0022:「愛する者の死に接して」
. ダビデの生涯/0021:「神の時計と人の時計」
. ダビデの生涯/0020:「試練から来る悩みの克服」
. ダビデの生涯/0019:「人の評価と主の摂理」
. ダビデの生涯/0018:「霊媒・死後の世界との交流は可能か」
. ダビデの生涯/0017:「信仰の動揺、信仰の衰退」
. ダビデの生涯/0016:「繰り返される信仰の試練」
. ダビデの生涯/0015:「信仰者と人間関係」
. ダビデの生涯/0014:「信仰の試練と忍耐」
. ダビデの生涯/0013:「みこころを求め続ける生涯」
. ダビデの生涯/0012:「人・悲しい存在」
. ダビデの生涯/0011:「二つのタイプの指導者」
. ダビデの生涯/0010:「信仰者と偽りのことば」
. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動を伴う」
. ダビデの生涯/0008:「みこころの成就のタイミング」
. ダビデの生涯/0007:「成功とその反応」
. ダビデの生涯/0006:「信仰によって結ばれた友情」
. ダビデの生涯/0005:「技術を支える心の状態」
. ダビデの生涯/0004:「人々の誤解・無理解に直面して」
. ダビデの生涯/0003:「変化する環境への順応」
. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」


Copy right 2004 PZH
All rights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる