. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第33講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「ダビデは言った『恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。』」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第二・9:1〜13

■ 井戸を掘りましょう:

. .9章に進む前にひとこと8章18節に言及しておくことが必要でしょう。この節には「ダビデの子らは祭司であった」(新改訳)とあります。しかし、祭司は世襲制で、アロンの子らしかなれない筈です。平行記事の歴代誌第1、18章17節には「王の側近のもの」とあります。ダビデが王であるゆえに傲慢になって、律法を犯してまで、自分の子らを祭司職に就けたということも否定はできませんが、他の可能性もあるようです。NASBでは“chief ministers”、NIVでは“royal advisors”となっていて、文語訳では「大臣なりき」と訳されていました。

. .さて、9章に入って、この章に記されているダビデの、サウルの家の者に対する配慮・好意に目を向けましょう。相手がどのように自分に対して敵対的であっても、こちら側では愛と好意とをもって接することができることの例がここにあります。

. .ダビデは、イスラエル全体に対する彼の統治が確立した時、サウルの家の残りの者を見出させて、ヨナタンの子メフィボシェテと対面します。そして彼に、サウルの地所の全部を返したのです。人は、努力して得たものをそうやすやすとは手放そうとはしません。しかし、ダビデは多くの困難の後に彼の所有となった土地をサウルの家の者に返したのです。

. .ダビデの思いには、自分の所有となったものは自分の努力によって戦いとったものだと言う意識が、恐らくなかったのではないかと思います。むしろ彼が今手にしてものはみな、主の恵みによって与えられたものだという意識がありました。与えられたものですから、容易に手放すこともできるのです。努力への報酬と考えれば手放すことには未練が残ります。しかし、与えられたものは与え主の意向に沿って処理することが正しいのです。

. .私たちは、自分のものとなった富や財産をどのような思いで見ているのでしょうか。自分の努力と自分の知恵で獲得したもの、それゆえ、当然自分が所有して、自分のために用いても良いもの、と思っているのではないでしょうか。そうではなくて、富も財産もすべて、主のみこころによって与えられたもの、恵みの賜物なのだと理解して、それらの富を、与え主の意向に従って用いようとするでしょうか。

. .この章には、ダビデの死んだ者(1節)、弱い者(3節)、そして、試練を通過しつつある者(9節)への配慮を見ます。

高知県・越知町の大樽の滝


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