. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第40講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「アブシャロムは自分に仕える若者たちに命じて言った『よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が“アムノンを打て”と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。』、、、」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第二・13:20〜33

■ 井戸を掘りましょう:

. .アブシャロムは2年間(23節)じっと復讐の機会を窺がってこの時の到来を待っていたのでした。しかも、ことばにも、顔にも、そのような怒り(21節)・憎しみ(22節)を心に抱いていることは一切出しません。相手のアムノンには知らせずに、否、知られずに(22節)、、、なのです。人の心には、他の人では知ることのできない秘密の場所・こころの深みがあるようです。

. .この間、アブシャロムはどのような思いで、この2年間を過ごしたのでしょうか。憎しみを隠し、怒りを押し殺して、じっと復讐のための策を練っていたに相違ありません。なんと実りのない人生でしょうか。恐ろしい生き様でしょうか。復讐することが人生の動力となっているような生き方!しかし、この現実の社会には、アブシャロム同様、復讐することだけを考えて日も夜も過ごしている人々がいるのです。イスラエル人に、パレスチナ人に、クルド人の中に、、、。そして悲劇はまた、新しい悲劇を生み出してゆきます。

. .復讐は自己満足にしか過ぎません。それは復讐する者に何の益ももたらしません。むしろ悪をもたらします。アブシャロムにとっては、この復讐―妹を辱めたアムノンの殺害―を通して、父ダビデとの関係を悪いものにしてしまいました。そして、この時のダビデの態度/ 反応に怒って、後にアブシャロムはダビデに対する反逆・謀反を企てるように、、、ことが展開してゆくのです。そして、それはアブシャロム自身の戦死に繋がってゆきます。

. .では、なされた悪に対して自分で復讐しない、してはいけないとしたらどうしたらよいのでしょうか。ただ、黙って忍耐しているだけでは解決にはなりません。天には義であり聖である真の神がおられて、地上でなされる悪を弁え知り、時が来た時、必ずその悪を裁かれることを頷いて、そのお方にすべてを委ねることではないでしょうか。怒り・憎しみを天の神への祈りとして昇華させるのです。憤りの気持ちを自分で静めるのではなく―それはとてもできません―すべてを受け留めてくださる神にぶつけるのです。憎しみの気持ちを自分おうちに燃やすのではなく、祈りの炎として神の御前に上げるのです。神の御前では祈りのうちに「あの人が憎い」といっても差し支えありません。そのような心に神の愛の御手が触れて、その心がどのように変えられてゆくか見るのは楽しみではないでしょうか。

高知県・越知町の大樽の滝


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