このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。、、、ダビデのところに告げる者が来て『イスラエル人の心はアブシャロムになびいています。』と言った。そこでダビデはエルサレムにいる自分の家来全部に言った『さあ、逃げよう。そうでないとアブシャロムからのがれる者はなくなるだろう。すぐ出発しよう。、、、』」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第二・15:1〜18
■ 井戸を掘りましょう:
. .12節には「この謀反は根強く、アブシャロムにくみする民が多くなった。」とあります。アブシャロムに組する人々が多くなったのは、少し前に行われたダビデの愚かで、また、不道徳な行為と無関係だったのでしょうか。ダビデの罪は、ダビデの人望に翳りをもたらしていたのではないでしょうか。
. .それはさておいて、アブシャロムは巧妙に人々の心を捉えました。聖書は「イスラエル人の心を盗んだ」と表現しています。うわべだけの同情(3節)、口先だけの正義感(4節)、そして、見せ掛けの謙遜(5節)。人は、何と容易にこうした表面的なことに心を動かされるものでしょうか。アブシャロムのこのような姿勢が謀略であることに気づいた人はいなかったのでしょうか。恐らく気づいた人はいたことでしょう。しかし、彼らは、ダビデに対する不満を心に抱いていて、アブシャロムの反逆に乗じて自分たちの不満をダビデにぶつけようと、アブシャロムを利用したのかも知れません。人の心はわからないものです。
. .「イスラエル人の心はアブシャロムになびいています」(13節)とありまから、時代の風はアブシャロムのほうに有利に吹いていたのでしょう。そのことはダビデの議官であったギロ人アヒトフェルがアブシャロム側に組したことからも判断されます。
. .「こうして王は出て行き、家族のすべての者も王に従った。、、、」。アブシャロムと近くにあった家族たちは、誰一人アブシャロムにつく者はいませんでした。身近な者たちはすべてダビデの側についたのです。ここにアブシャロムの謀反が実らなかった最大の理由があるような気がします。家族のサポートなしには、何事も成功しません。普段のアブシャロムを知らない人々は彼の側につきましたが、彼を身近に知っていた人々は、ことごとく彼には組しなかったのです。