. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第47講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。『私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。』民はみな、王が隊長たち全部にアブシャロムのことについて命じているのを聞いていた。」. . . . . . . . . . . . サムエル第二・18:1〜15

■ 井戸を掘りましょう:

. .イスラエルの民の聞いているところで、ダビデは、アブシャロムをやさしく扱うように全軍に命じたのでした。背いて自分の王位のみか、自分のいのちさえ狙うアブシャロムに対してダビデは、依然として父親としての愛と配慮とをもって対応しようとしていたのでした。それが親心というものです。

. .主である神が、新約聖書では「父なる神」と呼ばれていることは、大変意味のあることです。ダビデのアブシャロムに対する気持ちは、父なる神の、私たち、御父に背いて、その許を離れてしまった罪の子ら、に対する態度、そのものです。神は私たちの「霊の父」で、私たちの安全をこころから願っておられるのです。

. .さて、ダビデの軍とアブシャロムの軍との戦いはエフライムの森で行われました(6節)。「イスラエルの民は、そこでダビデの家来たちに打ち負かされ、、、」とありますが、アブシャロムによって引き起こされた、ダビデへの謀反は根深いものがあったようです。「イスラエルの民」は、ダビデを全イスラエルの王として油注ぎましたが、依然としてダビデに同調しない分子がかなり多くいたのでしょう。アブシャロムがダビデに反旗を翻したことをみて、好い時機が到来したとばかりに、アブシャロム側についてダビデの王座の転覆を画した人々がかなりいたようです。

. .しかし、それでもアブシャロム側の敗色は濃くなり、アブシャロムは騾馬に乗って、戦場に背を向け敗走するという事態となりました。そして、思いがけない事の展開で、アブシャロムはその死の時を迎えることとなりました(9〜15節)。

. .サウルの死後、ダビデの許に和平を申し出てきたイスラエルの将軍アブネルを殺害したのは、ダビデ軍の司令官ヨアブでしたが(3:27)、この度も、アブシャロムをやさしく扱うようにと言う指示を出したダビデの意に反して、アブシャロム殺害をそそのかしたのが(18:11)、また、このヨアブだったのです。

. .私たちクリスチャンは、願わくは、ヨアブのようではありませんように。ヨアブは、ダビデのその子アブシャロムに対する思いを知りながら、アブシャロムを赦さないで死に至らせました。御父のみこころを知っている私たちは、人々を躓かせて、死に至らせる、しかも、永遠の死に至らせる、というようなことをしませんよう、祈ります。

高知県・越知町の大樽の滝


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