このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。」. . . . . . . . . . . . サムエル第二・19:1〜10
■ 井戸を掘りましょう:
. .アブシャロムを失ったダビデの悲しみは大きかったのです。しかし、人は時として、自分の感情を押し殺して振舞わなければならない時があります。ダビデにとっては、このときが正にそのような時でした。ダビデが、もし、この時、ヨアブの助言を無視して個人的な悲しみの感情に浸っていたなら、民の心は急速にダビデから離れていったことでしょう。
. .ダビデは、個人的な悲しみを押し殺して嘆きの席から立ち上がり「門のところにすわ」りました。人々の訴えに耳を傾けるためにです。当時の王にとっては「門のところに座って」様々な訴えを持っている人々のことばに耳を傾けることは(115:3、4)王としての公務でした。公務が私たちを招く時、私たちは個人的な思いを乗り越えて公務にたずさわる必要があることがしばしばです。
. .「こうしてダビデは、すべてのユダの人々を、あたかもひとりの人の心のように自分になびかせた。ユダの人々は王のもとに人をやって、『あなたも、あなたの家来たちもみな、お帰りください。』と言ったのです。反乱軍を敗北に追いやったあとも、ダビデは直ちに首都に戻って王宮に入ることをしなかったようです。ユダの人々が来て「お帰りください」と懇願するまでは、流浪の地に留まり続けたのです。
. .このようなダビデの行動は、彼がいかに人心を掌握するのに長けていたかを物語っています。これらのことは結局、ダビデが自分中心に振舞うことをしないで、人々を中心に考えて行動したことを証ししています。ここに、人の心を「自分になびかせる秘訣があるのではないでしょうか。自分中心に振舞う人は結局、人を自分から遠ざけてしまします。しかし、人々中心に考えて行動する人は、その時は、自分に不利に見えること、辛いと思えることがあっても、最終的にはそれが自分を益していることを学びます。