. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第52講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。」. . . . . . . . . . . . サムエル第二・20:1、2、14〜22

■ 井戸を掘りましょう:

. .ダビデは後に「ユダの獅子」と呼ばれているように、ユダの家から出身でした。それに対して、第一代目の王サウルはベニヤミンの族からでした。ダビデに反旗を翻したシェバは、同じベニヤミン人であったビクリの子であると書かれています。シェバがダビデに反旗を翻すにあたって、彼の心の中には、明らかにこの部族意識があったものと想像されます。イスラエルの王位は、もしサウルの家のものにならなければ、せめてベニヤミンの族が手にすべきだという思いです。

. .シェバが反旗を翻した時「すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った」とありますが、サウルの遺児イシュ・ボシェテに組したイスラエルの10族に加えて、ダビデを支持していたベニヤミンの族までもがダビデから去って行きました。残ったのは唯、ダビデと同族であったユダの人々のみでした。血の繋がりはなんと強いことでしょうか。そして人々の行動を左右しているものでしょうか。

. .しかし、わたしたちが神の子とされたのは、主イエスを受け入れたからであって(ヨハネ1:12)、神の子としての特権を享受するようになったのは「血によってではなく」ただ、神によって生まれたからでした(ヨハネ1:13)。血のつながりよりももっと密な霊のつながりが始まったのです。創造主である神を「御父」とし、主イエスは霊の家族の「長兄」、そして、このお方を受け入れた人々は「兄弟姉妹」なのです。教会で、同じく主イエスを信じる人々を「兄弟・姉妹」と呼び合うのは、決して意味のないことではありません。

. .「肉の欲求や人の意欲」が、神のみこころに勝って支配的になる時、教会は腐敗し、また、分裂し始めます。教会は霊のつながりを強調して、この世で支配的である同族意識、血のつながりが支配的になることがないように警戒しなければなりません。私たちは改めて「神の国の市民」権を持つ者とされたことを心に留めましょう。

高知県・越知町の大樽の滝


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