. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第58講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「ダビデは、それを飲もうとはせず、それを注いで主にささげて、言った『主よ。私がこれを飲むなど、絶対にできません。いのちをかけて行った人たちの血ではありませんか』彼を、それを飲もうとしなかった。3勇士は、このようなことをしたのである。」.                          サムエル第二・23:13〜39

■ 井戸を掘りましょう:

. .故郷、そして、そこに纏わるものはすべてが懐かしく、また、慕わしくなるものです。故郷は、私たちの心にとってそのようなものです。ダビデにとっては、ベツレヘムがそのような場所であり、その門にある井戸の水は特別なものだったのです。しかし、ダビデは今は戦陣にあって、敵軍の陣営を突き抜けてゆかなければ、その井戸に行くことはできません。

. .ダビデの3勇士は、ダビデの心のの願望に気づいた時、いのちがけで敵陣突破をはかり、ベツレヘムの井戸の水を汲んできて、それをダビデの前に差し出したのです。ダビデにとっては、生まれ育った場所の幼い日、若い日々を過ごした時の思い出が一杯に詰まった水です。一気に飲み干したい気持ちは大きかったことでしょう。しかし、ダビデはそれを飲み干さないで、主の前にすべて注いでしまったのです。部下がいのちがけで持ち帰った水はあまりに尊くて、ダビデは飲むわけにゆきませんでした。

. .自分にとって最も貴重なものを主のみ前に捧げたダビデの姿勢、これこそ信仰者のあるべき姿勢です。現代の教会にあっては、そうした姿勢よりむしろ、余ったらそれを教会に持ってくるという姿勢が目立ちます。すなわち、自分の必要を先ず満たして、余ったものを主に捧げるという姿勢です。主が第一にはなっていないのです。ここに現代の教会の弱さがありはしないでしょうか。

. .賛美歌に「いとも良きものを君に捧げよ」と歌われている賛美歌があります。「いとも良きもの」をいつも主のみ前に注ぎだす心を常に持っていましょう。主が第一で、自分を第二の立場に置くのです。そうする時、私たちの信仰生活にどのような変化が生じてくるでしょうか。

高知県・越知町の大樽の滝


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