. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第63講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「そうすれば、主は私について語られた約束を果たしてくださるだろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が絶たれない。』、、、」.                          列王記第一・2:1〜12

■ 井戸を掘りましょう:

. .臨終の床にあってのダビデの、ソロモンへの遺言がこの箇所には記されています。ソロモンが主の道に堅く立って歩むように諭し、そうする時に与えられる主からの祝福の約束を想い起こさせています。主の祝福の約束は二重です。第一は、主の道を誠実に歩む者への祝福で、それは「どこへ行っても、栄える」ということでした。第二は、ダビデの王朝が絶えることなく続くことへの約束です。

. .ダビデは完全無欠ではありませんでした。バテ・シェバとの間に犯された不道徳の罪、民を数えた不信仰の罪、、、とダビデの罪、失敗を容易に想い起こすことができます。ダビデは弱さを持った人でしたが、自分お罪を自覚した時には、主のみ前に砕けることを知った人物でした(詩篇51:17)。それに対して、サウルは主のみ前に砕けることを知らないで、人々の前に体面を繕うことしか心に留めませんでした第一サムエル15:30)。二人のこの相違が、二人の子孫の将来を大きく変えてしまったのです。サウルの王朝は短くして途絶え、ダビデの王朝は限りなく続くようになってゆくのです。

. .この臨終の床にあって、ダビデは3人の人物を想い起こして、それぞれに対するソロモンの対処を指示しています。イスラエルの将軍・ヨアブ、ダビデに忠誠を尽くしたバルジライ、そして、ダビデの苦しみの時に彼を烈しく罵ったシムイの3人です。恐らくダビデは、賢い統治者として、これらの人々のダビデ自身に対する態度は、ソロモンに対してもまた示されることを予見してのことでしょう。人前で悔いるだけでは、人はそう容易に変ることをしません。主の御前に悔い改める時、人は真に変貌します。シムイ、ヨアブの態度は前者だったのです。

. .聖書は「こうして、ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。」ということばをもって、ダビデの生涯の記録を閉じています。それは「世のすべての人の行く道」であることを、ダビデは自覚していました(2:2)。私たちの生涯の締め括りは、どのようなものになるでしょうか。死が「すべての人の行く道」であれば、それに備えて、どのように自分の生涯を締め括るかを心に描いて、子々孫々に祝福が届くような生き方を、主のみ前に生きたいと願います。

高知県・越知町の大樽の滝


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