. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第65講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意したこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。」.                               歴代誌第一・29:10〜19

■ 井戸を掘りましょう:

. .ここに、ダビデをはじめイスラエルの民が神殿建築のために喜んでささげた理由が記されています。彼らは、自分たちの持ち物がすべて神によって与えられたものであることを意識していました。元々神からのものだから、神にお返しするのは当然だと言う理解をもっていたのです。

. .現代人の多くは、神を見失うとともに、ダビデが持っていたこうした理解も失ってしまいました。自分の持ち物は、自分の努力で稼いだもの、だから、自分が自分のために自由に用いても一向差し支えないと言う所有観です。

. .しかし、このような現代的な所有物に対する理解が以下に間違ったものであるかは言うまでもありません。人間的な努力は、それに加えられる神の恵みの干渉がなかったら、如何に空しいものでしょうか。神が、私たちとともに活き働いてくださらなければ、私たちの知恵・努力は何の実も結びません。創造主である神はみこころのままに与え、また、取り去られるお方です。主のみこころに反して、私たちは何一つこの地上で所有できないのです。ダビデの富のすべては、神がダビデを嘉して彼に与えたものでした。

. .ですから、今ダビデは神の宮の建設のために、与えられた富をその与え主にお返ししたという訳です。そこにささげる喜びが伴います。主のためにお役に立ったということの意識から来る喜びです。

高知県・越知町の大樽の滝


Copy right 2004 PZH
All rights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる