. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第66講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「彼らはその日大いに喜んで、主の前に食べたり飲んだりし、改めてダビデの子ソロモン王とし、油を注いで、主のために君主とし、ツァドクを祭司とした」.                               歴代誌第一・29:20〜25

■ 井戸を掘りましょう:

. .「主のために、君主とし」と書かれていることは大変興味深いと思います。ソロモンが王とされたのは「イスラエルの民のために」ではないのです。それは「主のためでした。」 その意味は、ソロモンは主である神に代わってイスラエルを統治する務めに立てられたということです。 イスラエルの王は民を統治しますが、それは「主のため」であって、そこに他の国に於ける王政とイスラエルにおける王政との根本的な相違がありました。イスラエルの第一代目の王サウルはこの真理を十分理解していなかったようです。それ故、神に対しての不服従を繰り返して王位から退けられました。ダビデは、この真理をよく弁えて「主のために」民を治めました。すなわち、主が喜ばれる正しい心をもってイスラエルの民に接したのです。

. .ここに改めて王として油注がれたソロモンは、この二人の模範を前にどちらの道を歩むのでしょうか。よく言われるように、どちらかを選ぶかはその人の自由です。しかし、人には自分の選択の結果を選び取る自由はありません。正しい道、主のみこころに適った道を選べば、主のご嘉納・祝福が、主のみこころに反した道を選べば、主のみ怒り・棄却が待ち受けています。

. .ソロモンのように王と言う立場に立てられた人に限らないで、すべての人はその人生において先に記した二つの道のどちらかを選ぶという選択を迫られます。そのとき、選択を誤ることがないように心を用いましょう。サウルのように間違った生き方を選択したために、取り返しのつかないことになりませんように。ダビデがその子ソロモンのために「わが子ソロモンに、全き心を与えて、あなたの命令と定めを守らせ、すべてを行わせて、私が用意した城を建てさせてください」と祈ったのも当然のことでした。

高知県・越知町の大樽の滝


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