. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第67講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「彼がイスラエルの王であった期間は40年であった。、、、彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。彼の子ソロモンが代わって王となった。」.                               歴代誌第一・29:26〜30

■ 井戸を掘りましょう:

. .「信仰者としてのダビデ王の一生の締めくくりがこのように描かれています。真に、主の道を真っ直ぐ歩いた人物への主の報いは豊かなものでした。ベツレヘムの野で羊の世話をしていた少年が、神のご嘉納を頂いたことによって、権力も地位も、そして「長寿も富みも誉れも」、地上で人が手に入れることのできるすべてを入手した、と言えますでしょう。まさに主の祝福でした。

. .しかし、このことのみを述べてダビデの生涯の学びを締め括ったなら、信仰生涯の何であるかに関して間違った理解・印象を残して学びを締め括ることになるでょう。ヘブル人への手紙11章32節には「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、ししの口をふさぎ、、、、」と書かれている後に、なお記述が続いているのです。

. .「また、他の人たちは、あざけられ、むちで打たれ、更に鎖につながれ、牢に入れられる目に会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、、、」。この後半の文章に記されている人々、この世では「荒野と山とほら穴と地の穴をさまよ」った人々も「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束のものは得ませんでした。」彼らにとっては、ダビデが与えられたような地上的な祝福は縁遠いものだったのです。しかし、彼らも「信仰によって証しされた」(ヘブル11:39)のです。神の民の信仰はご利益的なものではないのです。

. .多くの人々は、信仰のこの面に直面すると戸惑います。ダビデのように前者のカテゴリーに入っている限り、信仰の恵みを讃えます。しかし、神の崇高なみこころによって後者のグループ、この地上では報いられない信仰者のカテゴリーに入れられてしまうと途端に信仰そのものが分からなくなってしまします。私たちはそうであってはなりません。信仰の結果がどうあっても、すなわち、どちらのカテゴリーであっても、創造主である神に対していつまでも忠誠を尽くす者であらせていただきましょう。

高知県・越知町の大樽の滝


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