
・ 単身赴任4ヶ月間の後、1969年8月、日本から家族=妻と2児=を迎えて、いよいよ奉仕する聖書学校から徒歩5分のトーリントンの借家に住むことになりました。ブレントリンガー師を初め、ウエスレン宣教団の宣教師たちが、私たちの住む家を視察に来られました。日本からの荷物は未だ届かず、家具は何もなく、ガランとした家でした。庭にはパンの木が何本か植わっていました。


・ジャマイカ (B在ジャマイカ日本大使館)渡航当時、長女は1歳半、長男は生後4ヶ月。妻フィーべは2人の幼い子を連れての、日本からサンフランシスコ経由でのジャマイカ渡航で大変苦労したようでした。しかし、無事、ジャマイカの我が家に落ち着くことができました。
NO.3:「最初の来訪者、トーリントン教会副牧師のシスター・オリブ」
・ ジャマイカに居を構えて最初の来訪者はシスター・オリブ:地元トーリントン教会で副牧師をしておられた、聖書学校卒業ほやほやの姉妹でした。
No.4:「家の前の牧場を望んで、遊ぶ2人」
・ 1歳半と生後4ヶ月の2人の子も、ジャマイカの環境に段々慣れてきて、2人だけで庭で遊ぶようになってきました。通りがかりのジャマイカ人が、よく門の所で立ち止まって、珍しい日本人の子どもをじっと眺めているのが目に入ることしばしばでした。当時は危険をあまり感じない、都会から遠く離れた地方でののどかな日々でした。
No.5:「行商の野菜売り少年」
・ 最初の1年間は、自動車がありませんでした。従って、奉仕も生活も、自動車を使用してからとは大分異なっていました。野菜は、ロバの背に野菜を積んで、時折訪れて来る行商のジャマイカ人のおばさんから買いました。このおばさん(後方に真っ白なワンピースを着て、、、)は、たいてい少年(右手に)を手伝いに連れてきていました。ジャマイカの子どもたちは、学校に行かないで、このように親の生業を助けていました。