フィリップの「ジャマイカ時代」 / その / 子どもたちの成長―つづき

懐かしい日々を画像で、振り返るページ
・ こちらのフォート・ギャラリーには、ジャマイカ時代の懐かしい写真を、順次、年を追って掲載しようと思います。成人し、今はそれぞれの家庭を形成している子どもらが、古い時代を想い起こして、彼らの子どもたちと語り合う機会、また、主イエスの恵みを新しくする機会になればよいと願ってのことです。
・ ただ、かなり以前に撮影したスライドの画像なので、カビなどの劣化があって、色彩など修正せいてはいますが、最初のスライドのようなキレイな色合いは望めませんことをご了承ください。 ベランダで読書を楽しむエスター

No.13:「ジャマイカで唯一の日本人家族」

・ 1969年代、ジャマイカには日本大使館さえなく、私たちがジャマイカで唯一の日本人家族でした。子どもたちはそれでも恵みの中にすくすくと育っていきました。
日本から送られてきた絵本を手にして、涼しいベランダでそれを読む(見る)ことが楽しいようでした。
・  日本語は、学齢期になったとき、母親が教えました。しかし、それも子どもたちが地元の学校に通うようになると段々難しくなってきました。あまりにも子どもの負担が大きかったからです。
・ そして、更に、ボランティアー教師のアメリカ青年が、毎食、私たちの家に来るようになるに及んでは、食卓での会話が英語になり、子どものことばも急速に英語化してゆきました。


私はもうジャマイカ人よ! No14:「ジャマイカの文化に慣れ親しんで」

・ 子どもは、学ぶのが早いようです。ジャマイカでの生活が一年もたたないうちに、ジャマイカ人のまねをして、その土地の文化を吸収していきました。
ジャマイカでは、おとなも子どもも、荷物を運ぶのは、このように頭の上に乗せて、、、です


聖書学校のあるトーリントンから少し離れたとなりの地域、セント・ルシアへ

No.15:「セント・ルシア行き」

・ セント・ルシアは美しい町でした。ウエスト・モーランドから50〜60キロくらいの距離だったでしょうか。
時々車を降りて、真夏の日射しの中でしたけれども街を歩くことがありました。そんな時は衆人の注目の的、好奇心の対象になります。


新しく構内に建築された日本人宣教師のための住まい。ダイニング・ルームにて。 No.16:「小さいけれど、我が家となった、通称『セカンド・ハウス』です。」

・ 宣教師・聖書学校の学生で、力を合わせて自分たちで建てた宣教師館でした。フィリップの設計した食堂・台所は「風通しがよく、また、明るくて、一番使いやすい」との評判になりました。
・ 総工費、日本円にして300万円くらいでしたでしょうか。



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■  ジャマイカ時代ーその1
 ジャマイカ時代ーその2
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