Question/0009:
洗礼を受けると、何が変るのでしょうか?
Answer/0009:
1.聖書では、「洗礼」を受けることによって救われるのではなく、むしろ「洗礼」という礼典は、内心に始まった聖霊なる神の、「生まれ更わり」と称される御業を象徴・証しするもの、と教えられているようです。
■ 教会によって、その歴史的な背景のゆえに「洗礼」に関して理解の相違があるとは思いますが、私たち、インマヌエル教会の理解をここに書き記します。インマヌエル教会は、プロテスタントの流れ、即ち、聖書を神のことばと受け留める宗教改革の伝統の中にある、新教に属する教会のひとつです。
2.人が、クリスチャンになる以前の、神を蔑ろにした生き方を悔い改め、キリストを心と生涯に主として受け入れる、即ち、信じることによって、この「生まれ更わり」の御業は始まります。すなわち、聖霊による「洗い」が、心中になされるのです。「生まれ更わり」は、神学用語では、また「新生」とも言われます。
3.信じることによって始まった「心中の、聖霊による新生・洗い」を外的に象徴するのが、水の洗礼です。これが「洗礼」の持つ過去的な意味合いです。
4.「洗礼」の現在的な意味合いは、その礼典を通して、キリストのからだである教会に属するようになったことを表徴します。ある教派では、この霊的な教会への所属の具体的な表れとして、地上にあって活動している「教会」、例えば「インマヌエル教会」、に所属することも含まれると考えます。ある教派では、それを別けて理解しているところもあります。
5.「洗礼」の将来的な意味は、礼典が「水」による洗礼であるのに対して、それが予表するものは「火」の注ぎ、であるとされます。このことに関しては、またの折に説明することとして、ここでは軽く流しておきます。
6.簡単に結論つけると、「洗礼」の礼典は何も変化をもたらさないかも知れません。それは、すでに始まった内的な変化の証しなのです。キリストを信じ、受け入れることによって、心と生涯の変化が、神の恵みによって、聖霊の干渉によって始まります。この内的な変化があってこそ、洗礼を受ける意義がでてくるのではないでしょうか。
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