こちらの「Q&A」は、アーカイヴとして記録してある過去の「質問・回答」です。
2004年02月07日:「御霊の証し」について
Question/0003:
今回は、聖霊の確証のことなんですけど、「聖霊の確証」の教理がわかりません。教えてください。 「ウエスレーの神学」(福音文書刊行会)の第5章の「救いの確証」を読んだんですけど、「特異な感状体験でも、神秘体験でも、特別な啓示でもない。それは、初代教会の時代に限らず、いつの時代にも、すべての信仰者に約束された恵みの特権であり、その意味で聖霊による確証は、普通の賜物であるという」と書かれていました。第5章は、読みやすかったですけどあまりわかりません。それで、ウエスレー説教53(上)の訳者ノートをよみました。歴史的な事がかかれていました。初代から始まって、ルターを経てウエスレーに到達したことがわかりました。また、「信仰の源流を尋ねて」(小林和夫著)の本のなかには「私たちホーリネス・ピープルにとりまして非常に重要です。」と書かれていました。どうか「確証の教理」を教えてください。お願いします。


Answer/0003:
ローマ人への手紙8:15、16を読んでください。ここには「私たちの霊のあかし」と「御霊ご自身のあかし」と二重のあかしが言及されています。それで「私たちの霊のあかし」というのは、理性的なプロセスによって自分の救いを確証することです。例えば、
 @ 救いのために必要と聖書に書かれている条件=悔い改めて、主イエスを信じたかどうか=を果たしたかどうかは、自分で判ります。神は真実な方ですから、ある人が神の条件を履行すれば、神は約束を守って、救いを与えてくださったと頷いてもよい、ですよね。
 A また、救いの条件を果たした後、明らかに生活に変化が見られるでしょうか。これも自分で判断できますね。
 こうしたことを「私たちの霊のあかし」と言います。
それに加えて「御霊の証し」があります。それは、説明できないけれども、自分が救われた、また、キリストによって罪が赦されたという、深い内的な納得を持つことです。聖霊が直接的に私たちの霊にあかしして、救われたことを確証してくださるのです。それが「御霊のあかし」であり、それに関する教えを「確証の教理」と言います。

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