. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 1 講
■ 今日の「井戸掘り」

 「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」        詩篇23:1〜6 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. . 150篇ある詩篇のうち、その半分がダビデによるとされています。詩篇の表題は霊感を受けた聖書の本文ではありませんので、間違いがないとは断定できませんが、古くからそのように受け留められていますので、それに従ってダビデの詩篇から学んでみましょう。今回、第一に取り上げたのは詩篇23篇です。ダビデの生涯のいつの時期にこの詩篇が詠まれたのかははっきりしていませんが、ダビデの詩篇と言えば、先ずこの詩篇を想い起こすからです。

. . 「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(1節)とありますが、豊かさは持ち物によるのではありません。私たちの周囲には有り余るものを持っていながら、心に乏しさを感じている人々が多くいます。さて、ダビデが「乏しいことはありません」と宣言する時、それは物質的に豊かだと言っているのでは必ずしもないのです。主が羊飼いであってくださる事実に豊かさの理由があります。主が共におられる時、すべてが備わって、私たちの杯は満ち溢れるのです(5節)。

. . 使徒パウロが言うように、私たちの良き羊飼い・「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとなられ」(第一コリント1:30)、また、私たちのすべてのすべてとなってくださいました。それですから、私たちはダビデ同様、乏しいことはありませんと、主にあって告白するのです。それはいのちそのものの豊かさの告白なのです。キリストが来られたのは「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つため」でした(ヨハネ10:10)とあります。

高知県・越知町の大樽の滝


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