. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第9講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどにダビデを愛していたからである。ヨナタンはダビデに言った。「明日は新月祭です。、、、」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル記第一・20:1〜17 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. . ヨナタンがダビデを愛すること、二人が信仰によって堅く結ばれたことは、以前、こころに留めました。今回は「愛は行動を起こすものだ」と言う真理に心を向けましょう。

. . ここに「愛」と言うとき、ヨナタンの愛は人間的・地上的な愛ではないことに先ず注目しましょう。それは神的・永遠的な愛です。ヨナタンは、そのような愛の結果として、自分がやがて王位を失い、代わってダビデが王座に着くことを知っていました。、サウルの場合にそうであったように、こうした状況の中では、人間的・地上的な愛は、容易に妬み・憎しみに変質します。しかし、ヨナタンの愛は自己犠牲的でした。ダビデを愛するが故に、自分がすべてを失うことさえ「可」とするようなレベルの愛でした。

. . そのような愛は行動となって溢れ出します。ヨナタンは、サウルの怒りをもものともしないで、ダビデの側に立って、愛する友を弁護し、そのいのちの安全のために行動を起こしたのです。真の愛、天的・神的な愛は、甘美なだけではなく痛みさえ伴う愛なのではないでしょうか。主イエスは、私たちをこのような愛で愛された故に、自ら進んで十字架への道を歩まれました。そして、その先には、苦しみと死とが主イエスを待ち受けていたのです。神的な愛は行動します。その行動はしばしば、痛みと苦しみ、そして、自己の死さえをもたらすものなのです。

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