. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第A63講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「ダビデは老年を迎え、長寿を全うして、その子ソロモンをイスラエルの王とした。」.      歴代誌第一・23:1〜11

■ 井戸を掘りましょう:

. .この節を見る限りにおいては、ダビデがソロモンを王位につけたかのような印象を受けます。しかし、前の22章9節をみると、そこにダビデは「次のような主のことばがあった」と言っています。すなわち「見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。」ということばです。神の約束、また、神のみこころがあったのです。

. .ソロモンは、ダビデの意向によって次代のイスラエル王とされたのではなく、神のみこころ、また、選びによって、王として立てられたのでした。しかし、それはダビデが「ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。主がイスラエルについてモーセに命じられたおきてと定めをあなたが守り行うなら、あなたは栄える。」と言っているように、主への服従を条件としてのことでした。

. .現代を生きるわたしたちの人生にも、同様の二つの要素があることを忘れないようにしましょう。人生は、一見、人の意思、人の動きによって展開してゆくように見えます。しかし、その背後に、ソロモンの時と同様に、神の意思・みこころがあって、それこそがすべてのことの動きを支配しているのを知るのです。

. .ソロモンが律法の遵守を義務づけられたように、私たちの前にはみことばの真理が置かれ、みことばに対する誠実な態度が問われるのです。私たちの人生は、いつの時代にあっても、創造主である神と無関係に展開するのではなく、創造主であり、歴史の支配者である神との密な関係のうちに展開してゆくのです。神とともに歩むことが人生における最大の祝福なのです。私たちの周囲に配剤されている様々な人々は、神のみこころを成就するための主のみ手にある道具であることに気づきましょう。

高知県・越知町の大樽の滝


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