. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第AA63講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「これらはみな、その父の指揮下にあって、シンバル、十弦の琴、立琴を手に、主の宮で歌を歌って、王の指揮の下に神の宮の奉仕に当たる者たちである。アサフ、エドトン、ヘマン、彼らおよび主にささげる歌の訓練を受けた彼らの同族―彼らはみな達人であった―の人数は288人であった。」.      歴代誌第一・25:1〜8

■ 井戸を掘りましょう:

. .私たちに才能を授け、様々な楽器を奏でることを教えた創造主への礼拝には、音楽・賛美が欠かせません。この章には、音楽を奏でることは「預言的な活動」であると記されています(1、2、3節)。楽人は音楽を通して神のことばを語るのです。

. .人類は音楽のこのような役割を忘れて、音楽を自らを楽しませる道具に変えてしまいました。音楽は神への賛美のためであり、神のことばを予言するためのものであるのに、、、なのです。音楽が、神への賛美から、己の楽しみのために変ったとき、音楽の質も変質を来たしました。神が、その被造物の成り立ちのうちに埋め込まれたハーモニーを無視して、不調和音をもって音楽を構成する類の音楽が誕生したのです。聞く者の思いを神へと向かわせるのではなく、彼らの思いを神から遠ざける類の音楽が生み出されました。

. .今、人の心は神から遠く離れていて、音楽を神にささげて、神への礼拝のために用いようとする人々が少なくなりました。第7節に「主にささげる歌の訓練を受けた彼らの同族」という表現が見出されますが、現代では、音楽の技術的なことにおいて訓練を受けるだけではなく、音楽そのものの目的に関する理解において訓練・教育を授ける必要が生じてきます。

. .「神のことばに従って」(5節)音楽を理解し、そのように用いる人々が起こされますように。音楽が、その目的から離れて、自らを楽しませる手段に成り下がることがありませんように。音楽を通して私たちは主のみことばを高らかに預言する、そのような奉仕をこの時代にあって取り戻したいと願います。

高知県・越知町の大樽の滝


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