. フィリップの「井戸掘り日記」」、なお続いています。聖書は読み返せば読み返すほど、様々な真理が、宝石箱の中のダイヤモンドのようにキラキラ輝いているのが目につきます。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第B11講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「ツッケラグの彼のもとにやってきた人々は次のとおりである。彼らは勇士たちの中で、戦いの加勢をした人々であり、弓を持った者、石投げ、弓矢に、右手も左手も使う者で、サウルの同族、ベニヤミンの出であった。」.                歴代誌第一・12:1〜18

■ 井戸を掘りましょう:

. .サウルの手を逃れツィクラグに行ったダビデの許に馳せ参じてきた人々の中に、サウルと同族のベニヤミン人がいたことは興味深いことです。しかも彼らは武芸にたけた人々だったようです。

. . こうして集まった人々に「もし、あなた方が穏やかな心で、私を助けるために私のもとに来たのなら、私の心はあなた方と一つだ。もし、私の手に暴虐がないのに、私を欺いて、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神が見て、おさばきくださるように。」と、ダビデが言ったのも無理のないことです。猜疑心からの発言とも見えるダビデのこのことばは、むしろ、ダビデの指導者としての慎重な姿勢を反映するものとしてみるべきでしょう。

. . 猜疑心は、人に心を閉ざさせ人を遠ざけます。しかし、指導者としての慎重な姿勢は逆に人に評価されるのです。ダビデのことばを受けて、補佐官の長アマサイは御霊に感じて次のように言いました。「ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイノ子よ。私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。」ダビデには人をひきつける魅力があったのです。そして、それはダビデの、神のために熱心であるという姿勢から発するものでした。「あなたの神はあなたを助ける」ということを、アマサイが察知したことが、彼が態度を決定するに際して心に留めた大切な要因だったのでしょう。

高知県・越知町の大樽の滝


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