. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第11講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「ダビデはそこを去ってアドラムのほら穴に避難した。彼の兄弟たちや、彼の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た」           T・サムエル22:1〜10

■ 井戸を掘りましょう:

. . サウル王の追跡を逃れてアドラムの洞窟に来たダビデの下には、彼の兄弟のみか、多くの人々が参集してきました(2節)。ダビデには人の心を捉える不思議な魅力があったようです。しかも、ダビデの下に結集してきた人々は「困窮している者、負債のある者、不満のある者」だったと記されています。

. .これに対して、サウル王が召抱えたのは「勇気のある者、力のある者」たちでした。ここに、何か二人の指導者の人間関係の相違を見る思いがします。サウル・タイプの指導者は、エリートを集め、問題を持っている者、弱みを抱えている者を嫌い、排斥します。ダビデ・タイプの指導者は、弱い者、悩む者たちを理解、また、同情する者となって、彼らの心を捉えます。

. . 「神が私にどんなことをされるかわかるまで、どうか、私の父と母とを出て来させて、あなたがたといっしょにおらせてください」というダビデの親に対する配慮の気持ちは、彼の肉親だけに向けられたものではないでしょう。ダビデには、他の人を思い遣り、他の人のために良かれと思うことをするこころ、姿勢がありました。サウルは、優秀な人材を獲得して、彼らを自分の目的達成のために用いることはしますが、多分、彼らの立場にたって考えることはしなかったのでしょう。

. . 私たちが人々に接する時、私たちはどちらのタイプとして、人々の目に映るでしょうか。他の人々のことを顧みるよりも、彼らを自分のために利用しようとして、人々と付き合うタイプでしょうか。それとも、ダビデのように、問題を抱え、悩み、苦しむ人々と共にあって、彼らと悩みを分かつようなタイプの付き合い方をするのでしょうか。

. . サウルとダビデの相違は、恐らく、この二人の神への距離にあったといえましょう。神と近く生きれば生きるほど、私たちは、神の愛に同化されて、苦しみ、悩む人々のそばにいるようになります。私たちの主イエスは、正にそのようなお方でした。

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. ダビデの生涯/0016:「繰り返される信仰の試練」
. ダビデの生涯/0015:「信仰者と人間関係」
. ダビデの生涯/0014:「信仰の試練と忍耐」
. ダビデの生涯/0013:「みこころを求め続ける生涯」
. ダビデの生涯/0012:「人・悲しい存在」
. ダビデの生涯/0011:「二つのタイプの指導者」
. ダビデの生涯/0010:「信仰者と偽りのことば」
. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動する」
. ダビデの生涯/0008:「みこころの成就のタイミング」
. ダビデの生涯/0007:「成功と人々の反応」
. ダビデの生涯/0006:「信仰によって結ばれた友情」
. ダビデの生涯/0005:「技術を支える心の状態」
. ダビデの生涯/0004:「人々の誤解・無理解に直面して」
. ダビデの生涯/0003:「変化する環境への順応」
. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」


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