. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第6講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。」. . . . . サムエル記第一・18:1〜5 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. . ゴリアテとのいのちをかけての対決の後、ダビデとヨナタンとの摂理的な出会いがありました。ヨナタンは、ダビデを自分と同じように愛したのです。ここに信仰によって結ばれた友情の素晴らしさをみます。同じ主に心を明け渡した若者同志の固い結びつきは、趣味や、同郷のよしみなど、他の要因によって結び付けられた友情よりもずっと堅く、また、長続きします。

. . また、信仰を土台とした友情は犠牲的です。ヨナタンは、ダビデに「着ていた上着、よろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも与え」ました。ダビデは、ヨナタンとその父のサウル王に、全身全霊をもって仕えます。自分中心の友情ではなく、相手をおもんばかる友情です。デゥイーの「祈りの手」と題されたエッチングは、デゥイーとその友人との、同じように信仰によって結ばれた友情のすばらしさを証ししています。デゥイーが画業を学ぶことができるようにと一生懸命働いた友人の手。数年の後、デゥイーが交代して、その友人を絵の学びにつかせようとして時、彼らが気づいたことは、友人の手が過酷な労働によって、今は節くれだったものになって、絵筆を持つのには相応しくなくなっていたと言う過酷な現実でした。友人は画家になることをあきらめたのです。その節くれだった友人の手をスケッチしたのがあの「祈りの手」でした。

. . ヨナタンとダビデの、信仰によって結ばれた友情は、親子の情を越えた友情でした。サウルが、ダビデに対してあらぬ嫉妬に駆られた時、ダビデを弁護し、ダビデの安全のために、サウロの怒りをも恐れないで、あれこれダビデのために立ち回ったのがヨナタンでした。そこには親子の結びつきよりも強い、男同志の友情がありました。

. . 後に、ダビデはヨナタンの戦死のニュースに接した時、次のように歌いました。「あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にまさって、すばらしかった。」(第二サムエル1:26)

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. ダビデの生涯/0024:「状況判断の的確さ」
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. ダビデの生涯/0021:「神の時計と人の時計」
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. ダビデの生涯/0018:「霊媒・死後の世界との交流は可能か」
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. ダビデの生涯/0015:「信仰者と人間関係」
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