. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第18講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「サウルは変装して身なりを変え、二人の部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。『霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。』」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第一・28:3〜14

■ 井戸を掘りましょう:

. .「ダビデの生涯」と言う観点からは横道に逸れるようですが、今回はサウルと霊媒、又は占いについて考え学びましょう。先ず心に留めておくべきことは、霊の世界は現に存在すると言う真理です。聖書は、肉体の死をもって人のすべてが終わる、とは教えていません。肉体が土に返った後も、その人の人生・生涯は、永遠の世界、霊の世界で存在し続けることを聖書は明らかに語っています。「滅び」といわれる状態は、肉体のいのちが失われるとともに、その人の全存在が消滅してしまう状態だ、と教えるエホバの証人の教理は、聖書の真理から外れています。

. . 聖書は肉体の死は「第一の死」に過ぎないで、私たちが真に恐れるべき死の状態は「第二の死」だと言っています(黙示録20章6節)。肉体はそれが取られた土に返ります。「塵は塵に帰る」のです。しかし、人の霊としての存在は肉体の死後もなお生き続けて、「第一の復活」に与るか、または「第二の死」・「永遠の滅び」に直面するかのどちらかです。

. . さて、肉体の死の後の霊の世界・永遠の世界がある時、その世界と地上との交流は可能でしょうか。すなわち、霊媒とか口寄せといったことが現実にありうるのだろうか、と言う疑問に直面せざるを得ません。サムエル記第一28章の、この記事を読むと、聖書は霊媒とか口寄せについてそれが可能だと教えているように見えます。聖書は、死後の世界と地上の現世との交流が可能だと教えているのでしょうか。先ず、新約聖書に与えられている十全な光において、この問題を見てみましょう。ルカによる福音16章26節を見てください。聖書は、死という現実は厳しいもので、一旦肉体の死を経験したら、死後の世界と地上の世界との間の交流は不可能だと教えています。霊媒・口寄せといった、死者を呼び出すとされている業はありえないのです。

. . では、サムエル記28章の記事をどのようない解釈したら良いでしょうか。聖書が明言していませんので、断言することは避けなければなりませんが、サウルが経験した出来事は、サタンの働きによるものか、この時には、特別な目的をもって神が干渉しそれを可能にしたと考えるか、そのどちらかでしょう。霊媒の女自身に死者を呼び出し、それと語る権能があったと考えてはならないと思います。

. .最後にダビデの生涯に戻って、霊の世界の秘訣は主に従い続けることにあることを心に留めて今回の井戸掘りを終えましょう。サウルの生涯はそれと逆の方向に展開されてゆきました。「サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかった、、、」とあります(28章6節)。これがサウルの不服従の悲劇的な結果だったのです。

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. ダビデの生涯/0016: 「繰り返し襲いかかる試練」
. ダビデの生涯/0015: 「信仰者の人間関係」
. ダビデの生涯/0014: 「信仰生涯における試練と忍耐」
. ダビデの生涯/0013: 「みこころを求め続ける生涯」
. ダビデの生涯/0012: 「人・悲しい存在」
. ダビデの生涯/0011: 「二つのタイプの指導者」
. ダビデの生涯/0010: 「信仰者と偽りのことば」
. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動する」
. ダビデの生涯/0008:「みこころの成就のタイミング」
. ダビデの生涯/0007:「成功と人々の反応」
. ダビデの生涯/0006:「信仰によって結ばれた友情」
. ダビデの生涯/0005:「技術を支える心の状態」
. ダビデの生涯/0004:「人々の誤解・無理解に直面して」
. ダビデの生涯/0003:「変化する環境への順応」
. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」


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